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ドクンツ。麗しい顔に圧倒されてドキドキしながらも王子への好奇心が湧いてきた。王子は薄っすらと楽しげに微笑んでいる。
「残念だったな。先に読むぞ。おまえはしばらく待つといい」
彼は、ディディが読もうとしている事に気付いている。心の内を見透かされているようで落ち着かなくなる。
(やだなーー。この人、何かを疑っているような目をしているわ)
すると、なぜか王子はクスッと表情を崩した。
「おまえ、居眠りでもしていたのか? ほっぺたにインクがついているぞ。仕事場に帰る前に顔を洗っておけ」
紫色の絹の長衣の裾を翻すようにして書庫から立ち去っている。
(へーえ。あれが、噂の根暗な童貞のレイ王子なのね……)
みんなが言うような間抜けで内気な人には見えなかった。どちらかと言うと、その逆だ。
何にせよ、もう二度と会う事もないだろう。この時は安易にそう思っていたのである。
☆
アズベールは、キーリア教徒が暮らす大陸と隣接している。海峡を挟んだ南側に位置していた。キーリア教徒達からは砂漠の大国と呼ばれている。
しかし、王都は緑に溢れていた。カラカラに乾いているのは国の南部である。しかし、国内には大きな河か流れており、灌漑施設のおかげで南部にも農地が確保されている。
宮殿の西門を出たところには、青空市場。
活気があって気持ちいい。
安くて美味い食べ物を売る屋台がズラリと並んでいる。魚、肉、柑橘類、乳製品、野菜。衣服、金物。種類ごとに区分けされていた。
「揚げパンはいらんかねぇ~ ほらほら、そこのお役人さん、夕飯にどうだい!」
「羊の串焼きはアツアツだよ。三本まとめて買うと安いぜ! 早い者勝ちだよ!」
店主と常連客とのやりとりを見ているだけで楽しい。
準備中の店の引き戸を開いて帰宅すると厨房にいる若い娘が振り向いた。柔らかな笑みをこほししている。
「おかえりなさい、ディディ」
住み込みで働いているポッチャリ体型のナーラは、ディディよりも七歳ほど年上だ。
「明日、胡椒列島に帰国するお客さんに漬け物を頼まれたんだよ。イサドさんは大量に買ってくれるから有り難いよね」
そう言って微笑んでいるのは、ディディの腹違いの兄の叔母のガガリアである。ここの女将なのだ。二人は、夕方の営業の為に料理や、客が持ち帰る保存食の仕込みに追われているところだった。
(まだ、お兄ちゃんは帰って来ないんだね……)
そんな事を案じながらは二階へと上がっていく。早いもので、兄が辺境地帯に旅立ってから三週間が経過している。
それは、ディディが夕食を食べ終えた後の事だった。ガガリアが、とんでもない事を言い出した。
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