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第十二節 素人たちが引き起こす災い
明智光秀の長女・凛。
彼女が興味を持つ対象は、人間そのものにあった。
「人だけが『他人を思いやる心』を持ち、人だけが『正義感』を持ち、人だけが己の『生き方』について悩んでいる。
それならば……
人は、特別な存在なのでは?
何らかの意図を以って生み出され、果たすべき使命を与えられていると考える方が自然でしょう?
銭[お金]を増やすこと、楽しむこと、有名になること、このことばかりを追求する生き方が、人らしい生き方であるはずがない!」
と。
「お金そのものには何の価値もないが……
お金に魅了され、お金の奴隷へと成り下がった者たちが大勢いる」
凛にとって、この話は驚きでしかない。
◇
「『多くの銭[お金]を得ても、幸せにはなれない』
なぜ大勢の人は……
この本質に気付かないのでしょう?
父上」
「凛よ。
そなたに問いたい。
多くの銭[お金]を得ても、幸せにはなれないのはなぜだ?」
「『キリがない』からです。
より多くの銭[お金]を得ようとすればするほど……
どうやって増やすかに気を取られ、満足どころか常に飢え渇くようになってしまう。
あるいは。
どうやって守るかに気を取られ、己に近づく人を全て疑心暗鬼の目で見るようになってしまい、最後は孤独と不安の日々を送るという悲劇を迎える。
幸せになるどころか、不幸になるだけではありませんか」
「ははは!
確かにその通りだな」
◇
「要するに、父上。
戦いの黒幕の最後の6人目とは……
戦で生活が成り立つ民と、銭[お金]そのものを欲する民であると?」
「凛よ。
まだある」
「まだあるのですか?」
「戦の玄人だけが戦場に出ているのならば問題ないのだが……」
「え?
戦の『素人』が戦場に出ているのが問題だと仰りたいのですか?」
「うむ」
「なぜです?」
「例えば、およそ100年前に起こった応仁の乱」
「応仁の乱?
書物で読みましたが……
細川勝元が率いる東軍16万人と、山名宗全が率いる西軍11万人が、11年も続く泥沼の戦をして京の都を灰にした、あの?」
「考えてもみよ。
そもそも、両軍合わせて27万人も集まるなど『おかしい』ではないか」
「おかしい?
確かに多すぎるとは思いましたが……
あっ!
ま、まさか!
集まった兵のほとんどが『民』であったと?」
「報酬の銭[お金]に釣られて集まった戦の素人どもだ」
「戦の素人たちがそんなに大勢集まったら……
収拾が付かない事態に陥るような気がします」
「見事な見立てではないか。
両軍とも兵を集めるのに必死で、報酬の銭[お金]がどんどん釣り上がっているのを知った戦の素人どもは……
『今日は敵の東軍へ寝返るか?
数日前に西軍へ寝返ったばかりだが』
こう話すようになったという」
「何の罪悪感も抱かず、報酬の高い側への寝返りを繰り返したと?」
「うむ」
「そんなことをしていては……
いつまで経っても戦の決着が付かないではありませんか」
「戦の決着が早々に付いてしまうと、奴らは銭[お金]を稼げなくなるからのう」
「何と恥知らずな人たち!」
「それだけならまだいい。
奴らはもっと質が悪かった」
「何をしたのです?」
「こう考える奴らが現れた。
『常に命の危険が伴う戦場に居続ければ、死ぬ確率も高くなってしまう。
もっと楽に稼ぐ方法はないか?』
と」
「もっと楽に稼ぐ方法……?
まさか!」
「その、まさかよ。
『ここは大勢の人々が住んでいる都であろう?
弱い者から力ずくで奪えば済む話では?
ちょうど戦で稼いだ銭[お金]が全て博打や女遊びに消えてしまっていてな……
困っていたところよ。
早速、今夜から稼ぎまくろうぞ!』
とな」
「武器を持っているのを良いことに強盗まで働くなんて……
恥知らずの、人でなし!
父上。
両軍の総大将は一体何をしていたのです?
こんな蛮行を見て見ぬふりをするなんて、おかしいではありませんか!」
「いかに優れた大将であっても……
戦の素人どもが数十万人も集まったら、どうしようもない。
あまりにも数が多すぎて手に負えん」
「……」
◇
「もう一つの例えが……
本願寺教団、つまり一向一揆よ」
「一向一揆のことなら存じております。
『我々には、神仏のご加護がある!
今こそ立ち上がるときぞ!
権力者どもを倒し、富んだ者どもを殺せ!』
こう叫んだ、どうしようもない人たちは……
加賀国[現在の石川県]を蹂躙して、たくさんの人を殺しました」
「うむ」
「阿国の父と母も、その犠牲となったのです。
わたくしには……
阿国の思いが痛いほどよく分かる。
己の利益のために、都合の良い、存在もしない神を生み出し、政にまで口を出す教団の存在を絶対に許すべきではない!」
「そうだな。
凛よ、わしも同じく思うぞ」
「話をまとめますと。
戦いの黒幕の最後の6人目にして、戦国乱世という『災い』を齎した民とは……
1つ目は、戦で生活が成り立つ民。
2つ目は、銭[お金]そのものを欲する民。
3つ目は、戦の素人である民。
この3つなのですね」
「そうだ」
◇
20世紀初頭に起こった世界大戦について、とある学者はこう語っている。
「1914年。
イギリス、フランス、ロシアを中心とする連合国と、ドイツ、オーストリアを中心とする中央同盟国が戦争を始めた。
相手を本気で打ち倒すような全面戦争ではなく、あくまで局地的な、数ヶ月程度で終わるはずの戦争であったが……
『国民』を総動員したことで大きな災いを引き起こす。
誰一人として戦争を経験した人間がおらず、全員が戦争の素人であったからだ」
続けてこう語っている。
「自分勝手な正義感を振りかざし、捻じ曲がった民族愛を暴走させ、理性も知性もなく猛獣のように突っ走る素人たちほど『厄介』な存在はない。
自分だけが優れていると驕り高ぶり、何の根拠もなく敵を見下して自信満々で戦場へとやって来た戦争の素人たちは……
やがて恐ろしい現実を目の当たりにする。
圧倒的な火力を誇る機関銃が行く手に立ち塞がり、突撃を繰り返したところで相手の陣地を突破するどころか無数の屍を晒すだけであったのだ。
多少の頭を働かせて自分の身を守ろうと塹壕を掘ったが、冬の凍えるような寒さを凌げず、排泄物が溜まった最悪の衛生状態で過ごすことを余儀なくされ……
戦争の素人たちは、ようやく自分の無力さと愚かさに気付き始めた」
最後にこう語っている。
「戦争は泥沼の長期戦への様相を呈し、1,000万人を超える死体が戦場を埋め尽くしても、戦争の素人たちは何の役にも立たなかった。
そもそも……
自分の頭で筋道を立てて考えることを怠り、誰かの話を真に受けて戦場へやって来た行き当たりばったりの素人たちに、戦争を終わらせる判断力も行動力もあるはずがないのだ!
ダラダラと糞まみれの塹壕の中に籠り続け、痛ければ母の名を叫び、怖ければ神に祈ることを繰り返していただけであった。
そして4年後の1918年。
連合国に加勢したアメリカが兵士と一緒にウィルスを持ち込んだことでスペイン風邪が大流行し、更に2,000万人を超える死者を出して戦争の継続を不可能にした。
戦争の終結に『貢献』したのは、戦争の素人ではなくウィルスであった」
と。
素人が引き起こす災いがどれほど大きいかを、第一次世界大戦はよく物語っている。
◇
第二次世界大戦について、とある番組ではこう語っていた。
「第一次世界大戦の勝者となったイギリスやフランスだが……
戦費を賄うため、アメリカの『ウォール街[金融街のこと]』に莫大な借金をしていた。
借金を確実に回収したいウォール街は、パリ講和会議において敗戦国のドイツに莫大な賠償金を背負わせるよう巧みに誘導する。
重い賠償金によって経済は破綻し、パンすら手に入らないほどの生活苦に陥ったドイツ国民は……
一人の独裁者を誕生させた。
独裁者はやがて戦争を始め、当初はヨーロッパのほとんどを占領する戦果を上げる。
一方で米英[アメリカとイギリスのこと]の経済制裁に苦しんだ日本国民は……
ドイツの勢いに熱狂し、米英を打倒せよと声高に叫び始めた。
国民の圧力に屈した日本政府は、何と赤の他人であるドイツを当てにして米英との戦争を始める。
ついに核兵器が開発され、広島と長崎の人々は生きたまま焼き殺された。
焼け野原になったドイツと日本は戦争の継続が不可能となり、ようやく戦争は終結した」
と。
二度の世界大戦は……
戦争で生活が成り立つ者、お金そのものを欲する者、戦争の素人が引き起こす災いがどれほど大きいかを物語っている。
【次節予告 第十三節 弱くも、哀れでもない民衆】
『武蔵』というタイトルで放送された大河ドラマの冒頭は……
こんな話で始まります。
「民衆は、弱くも、哀れでもなかった」
と。
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