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第十三節 弱くも、哀れでもない民衆
今から、およそ20年前。
『武蔵』というタイトルで放送された大河ドラマの冒頭は……
こんな話で始まる。
「戦国時代の合戦を扱う歴史書の中で、一般民衆について語られることは、ほとんどなかった。
あったとしても、合戦で村を焼かれたり、戦のたびに戦場に狩り出される、弱く、哀れな犠牲者としてだけであった」
こう続く。
「しかし。
合戦に参加した民衆は、戦場となった村から食糧を奪い、女性や子供をさらってきて奴隷にし、不要なものは売り飛ばしていた。
大名たちは何度も陣中法度[合戦に参加した者たちへの命令のこと]を出し、虐殺や略奪、女性や子供を生捕りにする行為などを禁止したが……
『手ぬるい』ものでしかなかった」
なぜ大名たちは、虐殺や略奪、女性や子供を生捕りにする行為を厳しく取り締まらなかったのか?
答えは至って簡単である。
民衆を厳しく取り締まれば、戦に人が集まらなくなってしまう。
結果として。
国を統治する立場にありながら……
大名たちは、民衆が行う数々の暴虐行為に『見て見ぬふり』をしていたのだ!
民衆は弱くも、哀れでもなく、むしろ自分勝手で、行き当たりばったりな者ばかりなのだろうか。
◇
「凛よ。
そして2つ目の……
戦いの黒幕を生み出した『歴史』について話そう」
「はい」
「その前に。
我らの手で終止符を打たねばならない『戦国乱世』とは、何のことだ?」
「読んで字の通り……
世が乱れた結果として、国中で戦が起こっている状態のことです」
「では。
誰が、世を乱したのか?」
「誰?」
「うむ。
そなたの頭で考えてみよ」
凛は将軍、幕府、大名、国衆[独立した領主のこと]、民など、それぞれの『役割』から考えてみることにした。
多くの書物を読んできた彼女なら十分に精通している分野でもある。
武士たちの頂点に君臨する将軍を、幕府という官僚組織が補佐していた。
幕府は国の支配者に相応しい大名を任命し、大名は幕府の意向に沿うように国衆たちを従わせて国を一つにまとめる役割を担う。
大名と国衆は法を破る犯罪者たちを厳しく取り締まることで国の治安維持に努め……
国境を巡って争いが起こったり、犯罪者が他国へ逃げ込んだりしても、勝手に裁いて相手に報復したりなどしない。
国衆は大名に訴えを起こし、大名は幕府に訴えを起こして裁きを仰ぐ。
各自が己の役割を果たし、己の分を弁え[自分の地位や身の程をよく知り、出すぎた真似をしないこと]ているうちは、世が乱れることなどない。
こう考えれば原因はおのずと導かれる。
将軍が、幕府が、大名が、国衆が、民が己の分を弁えず、己の役割を放棄しているからだ。
要するに、『秩序』が崩壊したのである。
◇
「父上。
幕府や大名などの『支配者』こそが、世を乱した張本人ではないでしょうか?」
「ほう」
「国衆や民は……
支配者としての役割を果たさない幕府や大名に愛想を尽かしていると聞きます」
「だから好き勝手に戦や侵略を行っていると?」
「はい」
「では。
『なぜ』、そうなった?」
「なぜ?」
「うむ。
そなたには、幼き頃より多くの歴史の書物を読ませてきた。
考えを申してみよ」
「……」
凛は、はたと困り果てた。
どの歴史の書物も……
『応仁の乱』が全ての原因だと書いていたからだ。
「支配者たちは酒や女子遊びに溺れ、政治は腐敗して賄賂が横行し、醜い身内争いも頻発した。
乱は日ノ本各地に拡大して秩序は脆くも崩壊した」
こう書かれていた。
読んだ凛は、強い『違和感』を覚えていた。
「あまりにも話が単純すぎる!
酒や女子遊び、政治の腐敗、賄賂の横行、醜い身内争いなんて、いつの時代にもあったことでしょう?」
と。
苦し紛れに、娘は父の質問に答える。
「書物には……
酒や女子遊び、政治の腐敗、賄賂の横行、醜い身内争いのせいで、乱は日ノ本各地に拡大してたとありました。
あまりにも話が単純すぎると思うのですが、書いてあるのがそればかりで分からないのです」
「話が単純すぎる、か。
なかなか鋭いのう。
分からないときは、己にこう問うのだ。
『なぜ?
どうして?』
とな。
そして己の頭で答えを導け」
「どうして、話が単純すぎるのか……?」
「そうだ。
考えてみよ」
「うーん……
『分かりやすく』したいからでは?」
「分かりやすく?」
「そうすれば読むのが簡単になり、大勢の人に読んでもらえます」
「ははは!
あっさりと答えに辿り着くとは……
凛よ、さすがではないか。
大勢の人に読んでもらうために内容を薄くし、分かりやすい理由を面白おかしく書いた歴史の書物から得られるものなど何もない」
「ならば。
なぜ、支配者は役割を果たさず……
なぜ、国衆や民は好き勝手に戦や侵略を行っているのでしょう?」
◇
「政治が腐り切っている!」
仮にこういう批判が殺到したからといって……
秩序が崩壊するまでに至るだろうか?
起こるのはデモ行進と、メディアからの轟々たる非難と、SNSが荒れることくらいだろう。
とはいえ、民衆のデモが暴動や反乱にまで発展して秩序を崩壊させた例はいくつかある。
例えばフランス革命とロシア革命だろうか。
当時の支配者であった皇帝を引きずり下ろして新たな秩序を作ったものの、かえって治安を悪化させ、噂一つで人間が処刑される暗黒時代を齎したのは有名な話であるが。
ちなみに。
この2つの革命は、非常に切迫した問題が原因で発生したらしい。
民衆が『飢えた』ことだ。
◇
「凛よ。
『酒や女子遊び、政治の腐敗、賄賂の横行、醜い身内争いのせいで秩序が崩壊した』
これは全く出鱈目な表現なのだ」
「やはり、そうなのですか」
「実は……
幕府が成立する以前から、秩序は既に崩壊していたのだからな」
「えっ!?
それは、真にございますか?」
「今からおよそ400年前……
源頼朝が何を開いたか知っていよう?」
「鎌倉幕府です」
「鎌倉幕府は武士たちを見事に統率し、およそ100年続く平和をもたらした。
ただし。
この平和は日ノ本の人々を『一変』させてしまった」
「人々を一変?」
「より多くの銭[お金]を得ることばかり考えるようになったのだ」
「どうしてそんなことに?」
「その答えを知るには、さらに400年ほど時間を遡らねばならん」
◇
凛のいる時代から約800年前。
現代からは、約1,300年前の奈良時代。
『貨幣』を全国に普及させようと試みた女帝がいた。
大化の改新で有名な天智天皇の娘・元明天皇である。
この女帝は……
奈良の平城京を作り始めたことと、和同開珎という貨幣を作ったことで有名だ。
しかし、残念ながら貨幣の普及には失敗した。
貨幣の価値を信用しない人が多かったのが原因だとも言われている。
そもそも。
この時代の朝廷は日本全国どころか、関西地方くらいしか完全に支配できていない。
支配領域が狭すぎて貨幣の普及は元々から不可能であったのだろう。
その後。
約400年ほど時代が進んだ平安時代末期になると……
朝廷の支配地域は大きく広がる。
源氏[清和天皇の子孫]、平氏[桓武天皇の子孫]、藤原氏[平将門討伐で出世した藤原秀郷の子孫]などが関東地方を中心に農地の開拓に励んで朝廷の支配領域の拡大に貢献したからだ。
元々いた原住民との争いで戦闘経験を重ねた武装集団は、やがて『武士』と呼ばれた。
◇
さて。
この状況の中で……
平氏の嫡流[本家を継承する家柄のこと]であった平清盛は、宋[当時の中国の王朝]の国で使われている『宋銭』という貨幣に目を付けた。
「宋[中国大陸]は日ノ本[日本列島]とは比べ物にもならない程に『広い』らしい。
加えて人の数[人口]もまた、日ノ本とは比べ物にもならない程に『多い』とか。
つまり宋銭は、圧倒的な勢いで作られていることになる。
日ノ本で貨幣を作るよりも……
宋から宋銭を買った方が、手っ取り早く貨幣を普及させることができるのではないか?」
清盛は一世一代の大勝負に出た。
平氏一族の持つ金銀財宝を全て注ぎ込んで福原[現在の神戸市中央区]の地に巨大な港[現在の神戸港]を作り、本格的な宋との貿易を始めたのである。
◇
宋銭という貨幣は……
清盛の想定すら超え、恐るべき早さで日本全国へと普及していく。
福原の港は貨幣を欲しがる人々でごった返し、それと引き換えにありとあらゆる富が次々と平氏一族に転がり込んで来た。
「平氏でなければ人ではない」
こう言われるほどに平氏一族の栄華は極まった。
【次節予告 第十四節 お金の普及、災いの連鎖の始まり】
平清盛は、平氏一族に永遠の繁栄を齎したかのように見えました。
ただ残念なことに……
お金は、お金を普及させた平清盛自身も、その恩恵に浴した平氏一族をも幸せにすることはなかったのです。
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