第五十五節 仕方なくやったという物語

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第五十五節 仕方なくやったという物語

京の都を焼き討ちにしようとする織田信長の暴挙を知って慌てふためく京の都の主だった人たちと、京都所司代(きょうとしょしだい)村井貞勝(むらいさだかつ)との会話に舞台を戻そう。 「戦争をする人間すべてが、よくもそんなにお金を持ってたものだな」 前々節の最後に貞勝(さだかつ)が放ったこの一言は、戦争というものの『本質』を的確に突いている。 「領地や資源が欲しいから。 過去から続く復讐の連鎖だから」 人間が戦争を始める度に、その理由についてメディアもSNSも声高にこう言うが…… 果たして『正確』なのだろうか? 過去から続く復讐の連鎖ならば、我が国・日本とアメリカにも存在している。 太平洋戦争の最中(さなか)であったとはいえ、兵士ではなく民間人の殺戮(さつりく)を目的に行われた大規模な空襲や二度の原爆投下によって家族や友人を焼き殺された日本人は数え切れないほどいる。 原爆を発明した科学者が一生良心の呵責(かしゃく)(さいな)まれ続けた一方で、投下した人間は救国の英雄に祭り上げられた。 ところが! 終戦からたった15年後の1960年。 日米安全保障条約の締結に大勢の市民が反対し、安保闘争(あんぽとうそう)とも呼ばれる過激なデモ活動を起こしたが…… デモに参加した人々の主張はこのようなものであった。 「。 戦争などもう沢山だ! 自由万歳! 民主主義、万歳! 我々の平和で安全な生活をぶち壊そうとする政治家どもを許すな!」 と。 終戦からたった15年しか経過していないにも関わらず、日本人の関心は家族や友人を殺戮したアメリカ人への復讐などではなく…… 平和で安全な生活を『維持』することであったのだ。 要するに。 せっかく得た平和で安全な生活を自らぶち壊し、自分の財産を切り崩す、あるいは多額の借金を背負ってまで高価な武器弾薬を用意し、いつ死んでもおかしくない危険な戦場に進んで行く人間などほとんどいないのである。 「争うのが人間の(さが)だから仕方ない」 こう主張する者も多いが、果たして正確なのだろうか? むしろ、こちらの方が人間の本質を正確に突いているのかもしれない。 「争いよりも平和で安全な生活を希求(ききゅう)するのが人間本来の(さが)では?」 と。 戦争という面倒で危険な行為をするよりは…… お金を増やし、楽しみを追い掛け、有名になる方がはるかに『(らく)』であることに間違いはない。 確かに。 いつの時代も世の中には人種、民族、宗教、文化、性などの差別が存在し、その被害を(こうむ)った人々の憎悪と怨嗟(えんさ)が絶えず渦巻(うずま)いている。 ただ残念なことに、彼ら、彼女ら、あるいは少年少女らは貧しく、高価な武器弾薬を用意するお金など持ってはいない。 。 高価な武器弾薬を用意できる富んだ人間、あるいは武器弾薬そのものを扱う人間が『(あお)って』いると考えた方がごく自然だろう。 「お前たちは何も悪くはない。 お前たちを差別し、貧しさのどん底へ突き落した奴らがすべて悪いのだ! 奴らこそが敵ではないか! さあ! 家族の(かたき)を取るために立ち上がるのだ! わたしたちは、お前たちの味方だぞ。 この武器を持って戦場へ行き…… 老若男女を問わず一人でも多くの人間を殺し、祖国の英雄となれ!」 と。 こうして大勢の人々が『(しん)の敵』を見誤り続けて今日(こんにち)に至っている。  ◇ 某国が、とある国へと侵攻してからほぼ2年が経った。 この長期に(わた)る戦争は、世界中の人々の価値観を大きく変えてしまう。 「平和で安全な生活を維持するためには…… 軍事力の増強に加えて、『核』武装も必要なのでは?」 と。 核とは、持つだけでも危険極まりない代物(しろもの)だ。 あの東日本大震災で我が国はとてつもない痛手を(こうむ)っている。 核兵器をどの場所に設置するかの検討を始めた途端、大波乱を招くことは想像に(かた)くない。 ?  ◇ 京都所司代(きょうとしょしだい)村井貞勝(むらいさだかつ)の話は続く。 「どう考えても(らく)静謐(せいひつ)[平和]を邪魔してまで、面倒で、危険な(いくさ)をする理由とは何か? それは…… 『第一』に銭[お金]が掛かっているからだ」 「……」 「違うか?」 「そこで。 信長様はこう申された。 『焼き討ちを見逃す代わりに、銭[お金]を差し出せ』 と」 「銭[お金]を?」 「そうだ。 『充分な銭[お金]を差し出せば、焼き討ちを見逃すと約束しよう』 こうはっきり申されている」 「……」 「各々方(おのおのがた)。 信長様の敵と取引して儲けた銭[お金]をすべて差し出されよ。 信長様が容赦されるかどうかは、銭の(がく)次第だ。 命か、銭か。 どちらが大事かよく考えなされ。 残された時間は少ないゆえ、すぐに戻って準備された方が良いと思うが…… 如何(いかが)かな?」 「かしこまりました。 すぐに準備致します」 京の都の主だった人たちは慌てて退出していく。  ◇ 1573年3月29日。 織田信長が京の都の東の高台にある知恩院(ちおんいん)[現在の京都市東山区林下町]に着陣すると…… これを見計らったように、銭[お金]を積んだ2つの荷車がやってきた。 一つは上京(かみぎょう)[現在の京都市二条通の北側]から、もう一つは下京(しもぎょう)[その南側]からである。 「信長様。 下京は銀800枚を差し出しましたが、上京は倍の銀1,500枚を差し出しました」 堀久太郎(ほりきゅうたろう)だ。 「で、あるか。 ところで久太郎(きゅうたろう)仙千代(せんちよ)よ。 上京と下京は、なぜ別々に銭[お金]差し出したのじゃ?」 「」 「ほう……」 「信長様は、こう(おお)せになりました。 『京の都を2つに割れ。 (みにく)い身内争いのせいで焼き討ちにあったとの筋書きを用意せよ』 と」 「要するに。 京の都を、上京(かみぎょう)下京(しもぎょう)の2つに割ったと申すのか?」 「御意(ぎょい)。 上京は東にある鴨川(かもがわ)と、西にある桂川(かつらがわ)の上流に位置しています。 常にきれいな水を確保でき、より健康的に、より長生きすることが可能になるため…… 権力や富を持つ者たちは皆、上京に住みたがるのだとか」 「…… まさに、言い得て(みょう)であるな」 「(おっしゃ)る通りと存じます。 ところが。 上京の人々は恵まれた環境で暮らせていることに感謝するどころか、常に下京の人々を見下して差別し、加えて(おのれ)が優れていることを他人に認めさせようとして、上京の中で何処(どこ)がより地位が高いかを自慢(じまん)し合っていると聞きます」 「くだらん! そんなもの、どうでもいいわ! で?」 「そこで仙千代(せんちよ)殿が…… 京都所司代(きょうとしょしだい)村井貞勝(むらいさだかつ)殿より、京の都の主だった人たちにこう伝えれば良いのではないかと思い付かれ……」 「どう伝えれば良いと?」 「『充分な銭[お金]を差し出せば、焼き討ちを見逃すと約束しよう』 と」 「なるほど。 充分な銭[お金]か。 それを聞いた上京(かみぎょう)の奴らは、こう考えたのだろう。 『下京(しもぎょう)の者どもは大した額の銭を差し出すことなどできまい。 上京は上京だけで差し出すことにしようぞ。 万が一、上京と下京のどちらかが焼き討ちになる事態に陥ったとしても…… 』 とな」 「ご慧眼(けいがん)の通りにございます。 上京の人々が、下京の人々と別に銭[お金]を差し出せば…… 信長様は堂々と上京を非難できましょう。 『(おのれ)が助かるためならば、平然と同胞(どうほう)を見捨てる薄汚い奴らめ!』 と」 「ははは! わしのことをよく分かっているのう」 「そもそも。 下京の人々は常に上京の人々への敵愾心(てきがいしん)を燃やしています。 下京の人々の憎悪は、焼き討ちを実行する信長様ではなく、上京の人々へと向くに違いありません」 「これで。 京の都の人々の半分は敵ではなく、むしろ『味方』となるか」 「御意(ぎょい)」  ◇ 万見仙千代(まんみせんちよ)が続く。 「信長様。 それがしは…… 」 「どんな物語か聞こう」 「かような噂を流しておきました。 『朝倉軍と武田軍が再び侵攻してくることを非常に恐れた織田信長は…… 何とか現状を打破しようと、愚かにも国境をがら空きにして全軍をかき集めた。 朝倉義景(あさくらよしかげ)と、新たに武田軍を率いる勝頼がこの好機を逃すはずがない』 と」 「そういうことか。 あの室町幕府に、わしに勝てると思い込ませることで…… わしとの和平を(かたく)なに『断る』よう仕向けるのだな?」 「御意(ぎょい)」 【次節予告 第五十六節 同胞を見捨てる者たち・前】 幕府は上京の商人たちから何度も念を押されます。 「堺の商人と手を結んでいる織田信長と和平を結べば、我ら京の都の武器弾薬の商いはどうなるのです? そんなに心配せずとも、父の武田信玄を超えるほどの軍略の才を持つ勝頼が信長の背後を突いてくれるでしょう」 と。
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