1 依頼人

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「憤怒の恒久的権利がほしい?」思わず声が上ずってしまった。「お前さん本気かね。一回きりの従量契約でもそう簡単にいかんような話なんだが」  依頼人は若い女だった。背丈はせいぜい150センチメートル少々、体重は1ポンドあれば御の字という小柄な女だ。とても非合法(アウトロー)な手段で怒り狂いたいと望んでいるような人間には見えない。  その証拠に、彼女はわずかに首を傾げてニコニコ笑っている。まあそれをいうならすべての日本人がいまや、依頼人のように気色の悪い笑みを顔に貼りつけてやがるのだが。  つい先日いきなりアポの連絡があり、断る理由もなかったので了承した。それがまちがいだった。うららかな春の午後、俺の事務所兼アパートで狂人とこうして相対しているという顛末だ。 「全部承知の上です。聞いた話によると正規じゃないルートで憤怒権を売ってくれるんですよね。だったら――」 「売れるもんと売れんもんがある。いくら俺でも恒久的権利なんて無理だよ」 「いままでそういう依頼はあったんですか」俺の反応を見て察したらしい。「なかったんでしょ。だったらやってみなきゃわからないじゃない」 「破るべき法律が多すぎる。悪いがよそに当たってくれ」 「あなたみたいな人は、破るべき法律が多ければ多いほど興奮(エレクト)するって聞きましたよ」 「誰だ、そんなたわごとをお前さんに吹き込んだやつは」  彼女はぺろりと舌を出した。「あたしが勝手にでっちあげただけです」  俺は盛大にため息をついた。「わかったよ、とにかくいきさつを話してくれ。それと名前も」 「渚です。百合丘渚(ゆりがおかなぎさ)」 「なんつう名字だそりゃ。最近は名字までキラキラネームになっちまってるのかい」 「れっきとした父母の名字なんですけどね。そちらのお名前は?」 「桐谷薫(きりたにかおる)、39歳独身」無精ひげをなぜながら、「それで憤怒の恒久的権利だっけか。よりにもよってなんでまた?」 「いつでも怒りたいときに怒れる。こんなすごいことってほかにあります?」 「知らんよ」ここで思い当たるふしにぶち当たった。「お前さん、もしかして〈アングリー同盟〉とかいう連中の一味かね」  百合丘女史は誇らしげにうなずいてみせた。
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