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さくらおばあちゃんの足音のほかに、控えめについてくるもう一つの足音に気がついた。気分が優れないと朝から引きこもったままの私を、あおいも少しは気にしてくれていたのかもしれない。
ふたりの優しさが身に染みて、元気が湧いてくる。と、同時に答えのわからない問題についても、まあ突然こっちに来てしまったんだし帰るときも突然帰れるんじゃないかな! と楽観的に考えておくことにしようと思えた。こうなってしまったからには、焦らず、不安がらず、すべきことをするしかないだろう。
よし、と自分に言い聞かせて、立ち上がり、ふすまを開けて、部屋の前にいるさくらおばあちゃんと遠くのあおいに向かって微笑んだ。
「もう大丈夫です、心配かけちゃってごめんなさい」
あおいとさくらおばあちゃんとの奇妙な三人生活が始まり、数日経ったある日の昼下がり。相変わらず元の時代への帰り方などの手掛かりのないままにぼんやりと過ごしている。午前中にはおばあちゃんの畑や家事の手伝いをし、お昼を食べたあと私は基本的に自室にこもっていた。
与えられた六畳の畳の部屋に転がり(畳なんて小さいころ行った旅館以来で、なんだか良いにおいがして落ち着く)、私はうとうとしていた。まどろみの中で、こんな夢を見た。
私は学校にいて、廊下を一人で歩き、普通の教室より小さな部屋に入る。そこにいるのは生物教師の芹川先生だ。ここは生物準備室。これは、ただの夢ではないと私は気づいた。苦くて痛い、つい先日の私の記憶だ。
「おや、白瀬さん、どうしました。質問ですか」
二、三言、他愛のない言葉を交わし、私は意を決し先生を見据え告白するのだ。しばらくの沈黙。そして言われる。
「ありがとうございます。せっかく好意を抱いてくれたのはとても嬉しいですが、ぼくは教師で君は生徒です。君の気持ちを受け入れるわけにはいきません。わかってくださいますね?」
と。諭されるように頭を撫でられれれば、自然と涙があふれそうになるが必死に抑え、震える声で「私、あきらめられません」とだけ言って逃げるように準備室から走り去った。その後、現実では教室で顛末を見守ってくれる友人たちに縋りついて泣いたのだ。
でも、この夢は私の見る夢だからか、少しだけ私に都合の良い続きがあった。
走り去った私を見送った先生はふらりとソファに座り込むと、手のひらで顔を覆って、いろっぽい声でこう言うのだ。
「っ、ぼくだって、君のことを……っ」
そこで、私は目を覚ました。六畳の畳の部屋。見慣れない木造の天井。どれくらい寝ていたのだろう。少し背中がいたい。夕暮れのセミの声だけが聞こえる。ここは本来私のいるべきではないところなのに。
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