ロングスタイル

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「……らいたいねぇ! 私が何したっていうのよッ!!」  彼女は割れそうなほど勢いよくグラスをテーブルに打ち付け、カウンター越しにマスターに絡んでいた。 「まぁまぁアヤノちゃん、そんなに荒れないで」  マスターは苦笑して“アヤノちゃん”と呼んだ彼女の頭を撫でた。  少々オネエっぽい男だが、面倒見が良くて常連客から愛されているマスター。俺もそんなマスターの人柄が気に入り、また、いつも人が少なく隠れ家的な落ち着いた雰囲気のこの店が好きなんだが――どうやら今日はハズレだったようだ。  ここにもこんな五月蠅い客がいるのか。 「ますたぁぁぁ~!! 私、私ぃぃ~」 「あー、よしよし、泣かないの。ワタシが1杯とっておきのカクテルをご馳走してアゲルから」  そう言って彼は慣れた手つきでカクテルを作り、彼女の前にグラスを置いた。 「……おいひぃ……でもちょっとしょっぱいぃぃ~……」 「もう、それはアヤノちゃんが泣いてるからでしょ。アナタは美人なんだから笑ってなさいな。化粧ボロボロでヒドイわよ~?」  確かに。薄暗い店内、カウンターテーブルで三席分離れた場所にいる俺の目にも彼女のメイクが崩れた顔が見える。 「あの男が悪いんらからねぇッ!!」  話を聞く限り、どうやら彼女は失恋したようだ。また乱暴にグラスを置く彼女。そのグラスから一粒の氷が俺の手元まで飛んできた。 「あらヤダ! ごめんなさいねぇ~……ちょっとアヤノちゃん!」 「あ、いえ。気にしないで下さい……マスターも大変ですね」 「そんなこと……あぁ、アナタもコッチで一緒に飲まない? 五月蠅くしちゃったお詫びに一杯奢らせて? それともこんな喧しいのはイヤかしら?」  マスターの言葉に彼女はムスッと頬を膨らませる。 「どぉ~~~~せ私は喧しくて可愛げのない女れすよぉ~~~~ら!」 「もう! そんなこと言ってないでしょ?」 「ははは……それは気にしませんが……かえって気を遣わせてしまって申し訳ない」 「いいのよ~、今日は他にお客さんもいないし……アナタ最近よく来てくれてるでしょ? そろそろ仲良くなりたいと思ってたのよ~」 「それじゃ、お言葉に甘えて」  俺は自分のグラスを片手に彼女の隣の席に腰掛けた。 「隣、失礼しますよ」 「あい!」 「もう……困った子ねぇ、こんなに酔っ払っちゃって」 「ははは」  かなり酒臭いが、酒のニオイの他にふわりとシャンプーのような香りがする。顔も先述のようにぐちゃぐちゃだが、目鼻立ちはクッキリと整っている。 「はい、ドーゾ。これでよかったかしら? たまには違うのがよかった?」 「ありがとうございます。いただきます」  俺がいつもジントニックしか頼まないのを覚えてくれているのだろうか?  一口飲みグラスを置くと、マスターはこちらに笑顔を向けていた。 「改めて紹介させて。ワタシはココのマスターの新井慶(あらいけい)。みんなは“マスター”とか“ケイちゃん”って呼んでくれてるわ」 「どうも……俺は宇和島聡一(うわじまそういち)です。最近仕事でこの街に越してきて……歯科医をやっています」 「歯医者さん!? スゴイのねぇ~!」 「いえいえ、雇われですし」 「謙遜しないの! 雇われがダメだったら世の中の大半の人間がダメじゃない」 「ははは、確かに」 「で、こっちの子が……ちょっとアヤノちゃん、寝ないの!」  うとうとしていた彼女はマスターの声でビクッと目を覚ました。話は半分聞いていたのだろう、くるりとこちらに体ごと向くと元気よく自己紹介を始めた。 「私は月島綾乃(つきしまあやの)れす! “島”付く同士らねぇ~! あははは! お仕事は~……あ! 24歳れーす! おにーさんはいくつれすかぁ~?」  鼻先が触れ合いそうなほど顔を寄せてくる彼女。一瞬ドキッとしたが――やっぱり酒臭い。 「お……俺は28、です……」 「そーちゃんって呼んれいいれすかー?」 「それはちょっと……」 「アヤノちゃん! 全く、ごめんなさいねぇ」 「ははは、いえ……“そーちゃん”は恥ずかしいんで、普通に名前で呼んで下さい」 「ワタシも聡一クンって呼んでいいかしら?」 「勿論。よろしくお願いします、マスター」  まだ慣れない街。  だけど、こうやって常連になれる店と出会えたのは幸先がいい。  マスターとの出会い。この“綾乃”という女性との出会い。  彼女のグラスにそっと自分のグラスをぶつけて、ジントニックを飲み干した。
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