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青バラは今日も人が少ない。
珍しく奥のボックス席には若い男女が二対二で座っている。たまに聞こえる会話からここの常連夫婦の二組のようだ。
それとカウンター席には、私と礼司。
お客さんはそれだけ。
「で、どうだ? 年下彼氏は」
礼司は面白くなさそうにグラスを傾けた。
私はケイちゃんがこの前作ってくれたテキーラなんちゃらのグラスをそれにぶつける。
「可愛いよ。今度礼司にも会わせるね。すごくイイコ」
「ふーん?」
「今日は終電前に帰るからね」
「土曜日なのに? つーか電車?」
私も礼司も実家暮らしで、この店からなら歩いて帰れる距離に住んでいる。
土曜日はお店が閉まる時間までダラダラと礼司と喋っているのが週末のスタイルだった。
「うん、ショーちゃんとデート」
「……一人暮らしだっけ?」
「ううん、カレも実家」
「ふーん? あれ? 最初一人暮らしとか言ってなかった?」
「うん、私もそう聞いてたんだけどね、家に行きたいって言ったらホントは実家なんだって。なんかカッコつけてウソついちゃってたらしくて」
「……へぇ?」
それ以上聞いてこないのは大人だからかもしれない。こんな時間から実家暮らしでデートなんて、行くところは限られている。
「夏の予定は埋まりそうなのか?」
「うん。海も花火も行きたいねーって。あと、私が八月生まれって言ったらなんとかしなきゃって」
「なんとか? 何か、じゃなくて?」
「? うん」
礼司は難しい顔をした。
「なぁ、その年下彼氏やっぱやめたら?」
「はぁ? なんでよ? あ、さては羨ましいんだ?」
「ちげーよバカ」
そして少し躊躇いがちに、だけどハッキリと続けた。
「お前、遊ばれてるよ」
「な……っ」
「久々の恋愛に浮かれてんじゃねーよ。せめてお前から別れろ? 今ならまだ――」
「なんでそんなこと言うの!?」
突然の大声にケイちゃんもこちらを見る。ボックス席の談笑も止まった。
「私が先に幸せ掴みそうだからってそういうこと言うの? 礼司ってそんな性格悪かったっけ!?」
「俺はお前を心配して……」
「礼司は私の保護者でも彼氏でもないんだから恋愛に口出さないでよね!」
「! じゃあ勝手に浮かれて裏切られて泣いてろよ!」
「だからショーちゃんはそんなんじゃないって言ってんでしょ!? もういい帰る!!」
「ちょっと、みゃーちゃん!」
ケイちゃんの声が聞こえた気がしたけれど、私は勢いに任せて店を飛び出した。駅まで走る。
「……礼司のバカ」
待ち合わせの時間より少し遅れてショーちゃんはやってきた。
「あれ? 仕事帰りなの?」
「うん、まぁ……ちょっと先輩に捉まってたから着替える時間なくて」
「そっか。お疲れ様」
スーツ姿で現れたショーちゃんはやっぱり可愛い。
一時間程待ち合わせ場所近くの店で飲んだ後、いつものようにホテルに入る。
「ね、ココのポイントすごいたまったんじゃない?」
「うん。ショーちゃんいつもココにするからね」
「だってココのスイーツおいしくない!?」
全然遊ばれてないよ。
だってホテルに入ったってすぐに体を求めてくるわけじゃないもん。
カラオケして、スイーツ注文して。たまに一緒にゲームして。
お互い実家だからここが一人暮らしの家代わりなんだよ。
普通の恋人らしいじゃん。まったり過ごすの。
「ねぇショーちゃん、次の休み何処か出掛けない?」
「え?」
「ショーちゃんが行きたいトコあれば行くし、なかったら……今度の日曜に隣町の花火大会あるじゃん。まだ夏始まったばかりでそんなに暑くないだろうけど」
「うーん、日曜かぁー」
「何か予定あるの?」
会社は日曜と祝日は休みだ。
「予定っていうか、うーん……」
「先約あった?」
「あー、うん。ごめん、大学のときのサークル仲間で花火見ようって話出てて」
申し訳なさそうに頭をかく。
「なんだ、そんなこと。友達付き合いは大事だし気にしないで行きなよー」
「ありがと雅ちゃん。雅ちゃんって大人の余裕あるカンジでいいよね」
「そうかな?」
「うん、そういうトコ好きだな」
視線が絡まる。そして甘い時間。ほら、こんなにうまくいってる。
礼司のバカ。礼司のバカ。
「わ、どうしよう」
朝早くにホテルを出るため財布を出したショーちゃんは頭を抱えた。
「どしたの?」
「昨日、雅ちゃんとデートだからって財布に金入れてきたんだけどさ、一万円札と間違えて千円入れてた…」
「あはは、うっかりしてるんだ」
「ちょっと楽しみ過ぎて浮かれてたのかも……ごめんけど、雅ちゃん……」
「うん、気にしなくていいのにー」
自動精算機にお札を飲み込ませながら私は笑った。
最近よくショーちゃんはうっかりミスをする。私に気を許して素が出てきたんだなって思うと嬉しい。
「絶対次返すから!!」
「いいからいいからー。それじゃ次の日曜……は、会えないんだったね。また次の休みにでもどっか行こうよ」
「……うん、連絡するね。花火一緒に行けなくてごめんね」
「いいんだって。でも、他の花火大会一緒に行ければいいね」
「ね」
――とはいえ。
実は勝手に一緒に行けると思い込んでいて見やすい席のチケットを二枚買っていたのだ。折角並んで買ったのに勿体無い。
すごく悩むけれど、やっぱり礼司に付き合ってもらい、ついでに幸せアピールして変なこと言ったことを謝らせよう。
『この前はいきなり帰ってゴメン。次の日曜の花火、一緒に行こ』
そうメールすると礼司は二つ返事でOKしてきた。いつ誘っても礼司は暇なんだなぁと思いつつ変に緊張しないで花火を楽しめることに浮かれていた。
「こういうのに一緒に行くための年下彼氏だろ?」
文句を言いながらも、花火大会当日礼司は車で迎えに来てくれた。
礼司も恋人がいれば張り切るようなタイプだと思う。いつも遊びに行くときはしっかり準備してリードしてくれるし、今日も道路が混むだろうと早い時間に家に迎えに来てくれた礼司は車の中で私にブランケットと虫除けスプレーを渡してくれた。
「用意いいねー」
「俺を誰だと思ってる」
「礼司様ですね」
「おうよ。で? 彼氏にフラれたのか?」
「失礼な。順調にお付き合いしてますよー」
「ふーん? 今日は?」
「大学のサークル仲間と先約。あ、でもこの花火大会来るって言ってたし遭遇するかもね」
「大学のサークル仲間、ねぇ? 社会人なってまで?」
「仲良かったんじゃない?」
混雑を避けて会場に着いた私達は、花火打ち上げまで時間がかなり余ったので会場内の出店を回ることにした。
「意外と空いてるね」
「まだ時間も早いしな」
「ね、何食べる?」
「どうせお前焼きそば食うんだろ?」
「そうだけど。礼司だってどうせフランクフルトじゃん?」
「……まぁ」
毎年フリー同士で花火だ夏祭りだと行っていたら出店で買う食べ物もわかっているものだ。
「――まだ、ショーちゃんに遊ばれてると思ってる?」
「うん」
「……そっか」
怒ってやろう、謝ってもらおうと思っていたけれど、そんな気は起きなかった。きっと礼司は礼司なりに私を心配してくれてるんだ。私の好みも過去の恋愛も見てきた礼司だ。保護者みたいな気持ちになっても仕方ないと思う。
「礼司は恋人作らないの?」
「んー、相手次第かな」
「え? そういう感じの相手いたんだ!? じゃあ今日とか誘わなくてよかったの?」
「うん、別にいい。お前と違ってがっついてないし」
「ひどい!」
「……俺のこと見てねぇし」
「ん? なんて?」
「別に」
少しずつ辺りも暗くなり始め会場には少しずつ人も増えてきた。
夏が始まる。いつもと違う、特別な夏。
「翔太ぁ」
何処かで若い子が会話をしているのが聞こえた。
翔太。
ショーちゃんと同じ名前だ。
私も他の花火大会ではショーちゃんが隣にいるのかな?
「エアコンつけっぱで来ちゃったかもぉ」
「マジかよ? 先月もそうやってて電気代めちゃかかったじゃん」
「ごめ~ん」
聞き覚えのある声。
ショーちゃんはこの会場に今日来る予定で、その声は聞こえてもおかしくなくて、むしろこの人ごみで偶然会えるのはすごいことで……――
「どした?」
「……ショーちゃん、いる」
「ん? 何処? 大学生みたいな若い集団なんて…」
「礼司」
「なんだ――は? どうした……!?」
礼司のシャツの裾をぎゅっと掴む私の手は震えていて、視界はぼやけていた。慌てた礼司の顔はギリギリちゃんと見える。
「集団じゃないよ……」
「……」
「ねぇ、ごめん、礼司……礼司はいつも正しいや…」
その声は私に気付かず近付いてきて。徐々にハッキリと聞こえてくる会話は二人が一緒に暮らしていることを容易に想像させる内容で、絡みつく腕と寄り添う距離感は二人がとても親密であることを証明していて、そして私に気付いた彼の驚いた表情は私との関係がニセモノだという決定打になった。
「……やだな、ショーちゃん……そこは“偶然会えて嬉しい”ってカオするトコだよ……?」
涙はこぼさない。それが私の精一杯の強がり。
「誰このオバサーン」
「アカリっ! ……か、彼女は……」
不穏な空気の二人。壊れればいいと思うし、壊してやりたいと思うけれど、今の私は涙をこぼさないように堪えるのに必死だからそこまで上手く立ち回れない。
その時、礼司が力強く私の肩に手を回して抱き寄せた。
「誰がオバサンだよこのガキが。人のオンナにいきなり何言ってんの?」
「……れい――」
「アンタが“ショーちゃん”? へぇー、その子が“大学時代のサークルメンバー”? まだ十代に見えるけど」
「え? 翔太ぁ、どういうこと? アタシ大学とか行ったことないんだけどー」
「……その」
「悪いけどさ、最初から知ってたんだよね。アンタが遊びでコイツに手出してきたの」
礼司の言葉にアカリと呼ばれた女がショーちゃんに牙を向ける。動揺して言葉が続かないショーちゃんを礼司が一方的に責める。
「まぁいいんだけど? アンタみたいなの、どうせ一人になるんだし」
「あの、オレ……」
「で、女。お前がオバサンって言った女と自分のオトコ寝てるけど? “オバサン”に寝取られるってどんな気持ち?」
「ちょ、え!? 翔太、どういうことなの!? てかアンタは……その人カノジョなんじゃないの?」
「あ? 俺は知っててコイツを選んだからいーんだよ。最初から付き合ってて横から入られるようなマヌケはしねーっつーの」
意地悪く彼らを睨み付けた礼司は、私の肩を抱いたまま鼻で笑った。
「お前からもなんか言ってやれば?」
礼司に促されて、私は声が震えそうになるのを必死に我慢して言った。
「実家暮らしなんじゃなかったっけ? ……あぁ、もしかしてそのコドモ、妹さん? 一緒に住んでるんでしょう? 大変ね、コドモのお守りは。私もショーちゃんのお守りは疲れちゃった」
打ち上がる花火を背に車を走らせる。
青バラの近くの駐車場に停まるまで、私はボロボロと涙をこぼした。
礼司はずっと黙っていたけれど、私がシャツの裾を掴んだままなのも振り解きもせず黙っていてくれた。
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