リッキースタイル

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リッキースタイル

 ネクタイをしなくなったのは、俺を縛り付ける存在なんて要らないって思ったから。  細身のスーツに身を包み、シャツの襟は大きく開け、アクセはあまり好きじゃないからシンプルに。  着飾り過ぎない、作り過ぎない。  それが俺のスタイル。 「ウォッカリッキー」 「何ソレ?」 「カクテルの名前」 「リッキーのあだ名かと思った」  ここ、Blue roseは俺の行きつけのバー。  一人で来ることは勿論、こうやって仕事でオンナを連れてくることも多い。 「ハイ、お待たせ」  物腰の柔らかいマスターは、中世的で男から見てもカッコイイと思う容姿の持ち主だ。  そのマスターの男らしくも繊細な手から生まれるカクテルが好きで、いつからかこの店に足を運ぶようになっていた。 「それがカクテル? 超透明じゃない?」  オンナがバカな発言をする。 「何? カクテルは色ついてるモンって思ってんの?」 「アレでしょー? カルーアミルクみたいな」 「……」  説明するのも面倒くさい。  別にコイツと付き合ってるわけでもないし、バカなオンナのほうが扱いやすいし。 「ねぇ、リッキー」 「ん?」 「愛してるって言ってよ」  オンナは俺の肩に頭を乗せ、甘ったるい声を出した。これも仕事の内と何の感情も乗せずに囁く。 「愛してるよ」 「ホント?」 「――愛してるよ」  このオンナは特に言葉を欲しがる客だ。だけどただの女子大生。もうそろそろ金も尽きてきた頃だろう。 「なぁ、マナ」 「なぁに?」 「明日も店来れる?」 「……なんで?」 「店内イベントでさ、売り上げバトルすんの。毎回結構盛り上がるんだよね」 「それで?」  ここまで言ってもわからない程のバカ。本当に面倒くさい。 「俺を勝たせろよ」 「マナにもイイコトある?」 「当然。じゃんじゃん高いの入れてくれたらその分一緒にいられるよ」 「……うーん、それもいいけど……でも、マナはリッキーとこうやってたまに一緒に過ごせればそれでいいんだ」  えへへ、と笑うオンナ。頬を染めてるのはアルコールの所為だけじゃなさそうだ。 「もういいや」  俺の一言にオンナはもたれていた体を起こした。 「俺の仕事全力で応援してくれるヒト、他にいっぱいいるんだよね」 「え、えと……」 「お前ホスト遊び向いてないよ。もう帰りな」 「だ、だって……え? なんでそんなこと急に言うの? マナ、何かリッキーのこと怒らせた……?」 「別に怒ってないよ? どうでもいいだけ」  化粧で真っ黒に盛った目に涙をためる。それで涙流したって黒い線が出来るだけだろ? 可愛くねーんだよ。 「ね、今はリッキー仕事終わりだよね? プライベートの時間なんだよね?」 「勘違いしてんなや。アフターも仕事の内なんだよ」 「あ、愛してるって……」 「お前が言えっつーから言ってやったんだよ。『いらっしゃいませ』と同じだ」 「……私はリッキーのこと好きだよ!?」 「じゃあその好きな“リッキー”のために店にもっと通えよ。“リッキー”は店での名前だ。“リッキー”がどうしたら振り向いてくれるか考えろ。ホスト遊びはそういうモンだろ」  好き。愛してる。  オンナ達は“リッキー”に向かってそう言う。だったら“リッキー”を育てるのがオンナ達の役目だろう。 「……お前、やっぱりホスト遊び向いてないからやめろ。もう帰れ」  泣きじゃくるマナを無理矢理外に出し、深い溜息と共にソファーに身を沈める。  今日も疲れた。  カラン、とグラスの中の氷が融けて音を立てる。 「相変わらずキツいのか優しいのか判断が難しい接客ねェ……」  マスターが苦笑し、手招きをする。 「お仕事お疲れ様、コッチ来て飲みましょうよ――龍クン」  本名を呼ばれカウンターに移動する。  綾小路龍(あやのこうじりゅう)という源氏名のような本名はとても気に入っているが、それを活かさずに“リッキー”と名付けたのはオンオフをきっちり分けたかったから。  好きな酒の飲み方。そしてそのスタイルのシンプルさが好きだから。 「また泣かせちゃって。でもあのコはやっぱりホスト遊びは向いてないわ」 「だろ?」 「でも、言ったでしょ? ホストとして彼女達に接するなら、あくまでも優しくしないと」  同じ客商売だからか、それとも昔この人もそういう世界に身を置いていたのか。  マスターはいつもこうやって俺を諭す。 「……なんだか面倒になってさ」 「龍クンこそ、夜のお仕事無理してない?」  中卒の俺がホストを始めたのは17歳の頃。  スカウトされた時に年齢を偽り、そのまま働き始めた。暫くして未成年だということがバレてクビになったけれど、その時今の店のオーナーがハタチになった時にヤル気があればウチに来いと声を掛けてくれ、その言葉を信じて20歳になった俺がオーナーに会いに行くと好待遇で受け入れてくれた。自分の居場所を作ってくれたオーナーには感謝している。  だから俺はオーナーの期待に沿うべく、いつも上を目指してきた。  だけど……―― 「オーナーがさ……死んだんだ」  ずっと俺を可愛がってくれていた人。実の父親よりも。  その彼が死んだ。心筋梗塞だった。  苦しんで死んだのかなと思うとくやしい。あんなにいい人だったのに。 「“リッキー”を育ててくれた人。なのに……」 「……それはつらかったわね。だけどここで立ち止まっちゃったら、今まで“リッキー”を大事に育ててくれたオーナーが一番悲しむんじゃないかしら?」  そして出されたウォッカリッキー。  俺の大好きな、シンプルなカクテル。 「ん、そうだよな……」  カランカランと昔ながらのベルの音。  店のドアが開くと、サラリーマン風の男とキャバ嬢が入ってきた。  どこかで見たことある女。でも、店の客じゃない。 「マスター、奥座るね」 「どうぞぉ」 「いつものお願い」 「はぁい♪」  会話からこのオンナも常連だとわかる。ココで見たのか? ……いや、違う。  ボックス席に酒とつまみを運んで戻ってきたマスターを捉まえて尋ねてみる。 「なぁ、あのオンナどっかで見たことあるんだけど?」 「アラ気になるの?」  冗談めかしてニヤつくマスター。 「ちげーよ」 「フフ、冗談よ。龍クン……いえ、リッキーなら知っててもおかしくないわね。彼女はこの街じゃナンバー1のキャバ嬢だもの。amazingのリリィちゃん、聞いたことあるでしょ?」 「アメージング……リリィ……あぁ」  そうか。  俺の勤めるホストクラブの向かいにあるキャバクラ“amazing”。この街ではその店がキャバ界トップクラスと言われていて、その店のナンバー1キャスト、リリィと言えば全国版の雑誌にも紹介される程のオンナだ。  確かにナンバー1の風格がある。変に媚びないイイ女。  この薄暗い店内に居ても端整な顔立ちに目がいく。 「もっといかにも大物の男を連れてるんだと思ってたけど……」  意外にもというか何というべきか、隣で鼻の下を伸ばして彼女の肩に腕を回そうか躊躇っているその男はどこにでもいそうなサラリーマンといった風貌で、とても大金を落としそうな客には見えない。 「まだまだねぇ、龍クン。彼はね、大手出版社の社長さんなんだから」 「え?」  社名を聞いて更に驚く。 「よく見たらわかるわよ。時計、タイピン、鞄に靴、どれも一流品よ。それにホラ、あんなにだらしなく着崩してるけれどフルオーダーのスーツよ。しかもかなり上質」  そう言われてみれば、どれも俺なんかじゃ絶対買えないようなモノばかり身につけている。  結局男は最後まで彼女に触れることのないまま飲むだけで、彼女を置いて一人で帰った。 「飲み直したいの。マスター、ウォッカリッキー」  カウンターに移動してきた彼女は迷いもなくウォッカリッキーを頼んだ。  俺と同じカクテル。 「……同業者さん?」  俺のグラスをチラリと見た彼女はそう尋ねてきた。  グラスの中身については触れてこない。 「一応」 「やっぱり」  マスターが酒を出すと彼女はそれ以上口を開かなくなった。サッパリし過ぎというか、もう少し話してもいいのに。 「リリィさん、ですよね」 「……」  横目で俺を見て、一口酒を飲んでから。 「……タメ口でいい」  とてもつまらなそうにそう吐き捨てると、マスターに視線を移した。 「ね、マスター。この人は?」 「彼もココの常連さんで――」  どちらの名で紹介しようか迷ったのだろう。マスターが俺に目配せしてきたので、続きは自分で名乗った。 「……龍」 「龍クン。こちらはリリィちゃんよ」 「……よろしく」 「……」  無言のままグラスの縁を指でなぞる彼女。  その瞳はとても冷たかった。 「今は、リリィじゃないよマスター」 「あらそぉ? じゃあ改めて、龍クン、このコはユリちゃん」  マスターのその紹介の後、やっと彼女は口を開いた。 「ユリです。よろしく」 「あぁ」 「……」 「……」  会話が続かない。  キャバ嬢だろ? ナンバー1だろ? もっと話しやすいと思ってた。 「つまらないオトコ」 「……は?」 「もっと話す人だと思ってた。それともよく喋るのはリッキーの時だけ?」 「え?」  どうして俺を知っているんだろう?  そんな疑問に答えるかのように彼女は続けた。 「……向かいの店の情報なんて興味がなくても入ってくるよ。それにアンタ、ナンバー2じゃん」 「……」 「超オレ様なナンバー2のオトコ。よく他のコから話聞いてたけど――つまんないね、アンタ」 「まぁまぁユリちゃん」 「ご馳走様。今日はやっぱ帰るね」  支払いを済ませ、マスターにだけ挨拶をして彼女は店を出た。 「どうしてあんなに言われないといけないんだよ……」 「あのコ、プライベートだといつもあぁいう感じなのよ。龍クンにだけじゃないから」  マスターはそう慰めるけれど、いきなりあんなこと言われて面白くない。あんなオンナのいる店になんて絶対に飲みに行かないからもう言葉を交わすことなんてないだろう。  そう思ったのに、意外な形で俺達は再会することになる。
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