ロングスタイル

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 「よろしくお願いします……」  緊張した面持ちでこちらも見ずに小さくそう挨拶をした彼女はギュッと目を閉じてその時を待っていた。  「手、震えてんぞ?」  「いえ、いや、別にあのチョット寒いかなぁって、五月下旬にもなるのにまだ冷えますね……」  そう早口で妙な言い訳をし、一拍置いてゆっくりとこちらを見た。  「――……って、アレ? その声……聡一?」  「ちなみに今日は七月上旬並みの暑さらしいぞ」  マスクを外して素顔を見せると彼女は「やっぱり聡一だ~」と呟いた。  「うっそ、うっわ、恥ずかし……何よ、ココ聡一の勤める歯医者さんだったんだ?」  「あー、言ってなかったもんな。つーかお前も歯痛いんだったらまず俺に言えよ」  「あはは、だって大人にもなって恥ずかしいじゃん。ていうか聡一怒るでしょ? 虫歯なんて作ってたら」  一気に緊張の糸が解けた彼女、月島綾乃は豪快に笑った。  彼女と出会って約一ヶ月。  俺自身はあまり人と仲良くなるのは得意じゃないほうだが、彼女が人懐っこい性格なのだろう。まるで旧知の仲かのように急速に距離は縮まっていた。今では暇さえあれば“BAR Blue rose”――通称青バラで一緒に飲んでいる。 「今日は? 青バラ来る?」 「そうだな、今週全然行ってないからマスターも寂しがってるだろうし……」 「うっわ、やっだ、マスターとそういうアレだったんだ……気付かなくてゴメン……」 「ちげーよバカ」 「あははは!」  あれ以来、彼女は涙を見せない。  我慢している様子もなく、散々飲んで泣いて自分の中で消化出来たのだろう。  元々サバサバした性格だからなのかもしれない。彼女がこうやって明るく笑えるのも、俺が一緒に笑えるのも。 「ブラッシングが甘い。次回は歯ブラシ持参するように」  治療を終えそう言うと、彼女はニヤニヤして「ハーイ、センセ」と軽く答え診察室を後にした。 「――今の、先生の彼女さんですか? 綺麗な方ですね」  歯科助手が数人笑顔で訊ねてくる。  まぁ、確かに外面はいいし整った顔立ちはしているが。 「アレとはただの友人ですよ」  だけど、彼女を褒められるのは何故か嬉しいと感じていたし、彼女に間違えられるのも悪い気はしない。 「そうなんですか? お似合いなのに」  俺は曖昧な笑顔を返した。 「あ、聡一~! お疲れ様」  その晩。  俺が青バラに行くと既に彼女はいつもの席で飲み始めていた。  カウンターの奥から二番目の席が彼女、その手前が俺がいつも落ち着く席だった。彼女は割とこだわり無くその日の気分で色々な酒を飲んでいて、今日は白ワインのようだ。 「早かったんだな」 「まぁねー。って言うよりは聡一が遅かったんじゃない?」 「あぁ、閉めるギリギリで飛び込みの患者が来てさ」 「それは大変だったね~」  言うと同時に自分のグラスを少しだけ浮かす。  タイミングよくマスターがジントニックを出してくれ、俺も彼女に倣う。 「んじゃ、今日もお疲れぇ」 「ん、お疲れさん」  コツンと音が鳴るか鳴らないかの控えめな乾杯と同時にやっとオフモードになれる。  無意識に深いため息をついていたらしく、彼女は右手で頬杖をつきこちらに体を向け、少しだけ優しい表情になった。 「頑張ってるんだねぇ」 「……ん?」 「体が疲れてるって言ってる。でも充実してる顔してる」  よく見ているんだなと思う。そんな些細なことが嬉しい。人と関わることはこんなに心地良いものだっただろうか? 「最近はすっかり二人仲良しさんねぇ。どう? 聡一クンもこの街に大分慣れた?」 「えぇ、お陰様で。この店の存在とマスターがいてくれたから」 「ヤダ、嬉しいこと言ってくれるじゃないの」 「私、私はー?」 「この店ありきだろうが」 「そうだけどー」  いつもと変わらない雰囲気の中、他愛も無いことで盛り上がり、みんなで笑顔になる。  そんな“いつも”を作ってくれたのはこの二人なんだ。 「……感謝してるよ」 「え? ごめん、何て?」 「いや、なんでもない」  マスターは俺の言葉が聞こえたのか黙って微笑んでいる。  グラスを空けた彼女が次の酒を注文しかけた時、店のドアが開いてレトロなベルの音がカランカランと響いた。いらっしゃいませの声につられてドアの方を向いた彼女は、その瞬間動きを止めた。 「やっぱりココにいたんだな、綾乃」  その客は迷いもなくこちら――彼女の元へ足を進め、俺の手前で立ち止まった。  キチっとキメたスーツ姿のその男は“エリート”という言葉がピッタリ当てはまる。スーツも靴も鞄も上等のものだと一目見てわかるし、腕時計は嫌味にならない程度のハイブランド品。 「……へぇ」  男は俺の全身を品定めするかのように見て鼻で笑った。ずっと黙っていた彼女がピクリと眉を動かす。 「さっすが、デキる女は男作るのも早いんだな」 「……! ちょっとアナタ……」 「いいよ、マスター」  彼女はそう言い立ち上がると、胸の前で腕を組み男を睨み付けた。 「わざわざそんなこと言うためにココに来たの? 店の場所、教えたことなかったよね?」 「名前は綾乃が何度か言っていたから簡単に調べはついたよ」 「で? 何か用?」 「何度かけても電話には出ない、メールも返さない……そんなことされて黙っていられなくてね」 「何それ? 自分からフッた女に今更連絡する理由なんてあるの?」 「少し会わない間にキミは随分強気になったんだね。付き合う男はきちんと選ばないと、キミの品性まで疑われるよ?」 「……ッ」  言いたいことは沢山ある。それは多分、マスターも一緒だ。だけど俺達は黙ってその様子を見ているしかなかった。  これは彼女の問題。第三者、しかも男が口を出すと余計こじれてしまうだろう。 「考えたんだよ、キミと会わない間。結婚するならやはりキミのような完璧な女性でないと私には釣り合わないと思ってね。学歴も仕事も申し分ない。父もキミなら喜ぶだろう」 「お父さん……? あぁ、あなたの会社の社長さん、だっけ?」 「あぁ、そろそろ身を固めろと言われている。キミにだって悪い話じゃないだろう? 次期社長の妻になれるんだ。願ったり叶ったりだろう」 「……立ち話で済ませられる内容じゃないわ――場所を変えましょう」 「勿論だ。こんな小汚い店に長時間いるつもりはない」 「やめて。あなたが妻にしようと考えている女の行きつけの店にそんな言い方は」  口を出してはいけない。  わかってる。わかっているけれど……――――  店を出ようとする二人の背中に思わず言葉をぶつけていた。 「待てよ」  振り向いた彼女は一瞬瞳を揺らし、俯き呟いた。 「……誤解のないように。彼は大切な人…だけどただの友人。男女の仲じゃないわ」 「おっと、それは失礼した。まぁ……うん、だろうね」  明らかに見下した目線の男。横に並ぶのは、見知った顔立ちの――初めて見る女性。  そう、まるで別人のように態度を変えた彼女は、俺とマスターを何か言いたげな顔で見つめ男に促されるまま外へ出て行った。 「なんなの……」  震える声のマスターは悲しみと怒りが混ざった表情をしていた。多分、俺も今同じ顔をしていると思う。 「聡一クン……あの子、どうして……」 「……っ」  ただの友人。俺もそう思っていた。その言葉を彼女の口から聞くまでは。 「マスター、ちょっとだけ行ってきます」 「……頼んだわよ?」 「えぇ、すぐ戻ってきますよ……!!」
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