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「佐藤さん、今度のプロジェクトチーフに抜擢されたって聞きましたよ?」
爽やかな人懐っこい笑顔。主張しすぎない香水の香り。
彼、今井優吾はその雰囲気でいつも周りを惹きつける。
「えぇ。私みたいなのがチーフなんて誰もついてきてくれないんじゃないかって不安だけれど」
勿論そんなこと思っていない。私にしか出来ない仕事。他の使えない、年上ってだけで先輩ヅラする奴らなんて最初から頼っていない。巧く手のひらで転がして、邪魔にならないように適当な仕事を振って動かして先輩を立てるフリをするくらい簡単だ。
「そんなこと! ……佐藤さんだから選ばれたんですから! 僕、応援してますよ」
「今井くーん、ちょっと!」
「あ! はーい!!」
係長に呼ばれた彼は、そして私の耳元で囁いた。
「……お忙しいとは思うんですが、今夜付き合ってもらえません?」
「ん、大丈夫よ。何時にする?」
「あ、じゃあ後でメール入れておきます!」
そして去ってゆく彼。残るのは柑橘系の香り。
「……はぁ」
給湯室に向かいながら、私は大きなため息を吐いた。
ウチの会社は高卒でも入れる。ココみたいな中小企業ではそういうところも珍しくないだろう。私も高校卒業後すぐにこの会社に入り、今年で五年目。大卒の社員からしたら面白くないのかもしれないが、私ももう中堅として戦力になっていて上からもある程度頼られる存在になっていた。
今井君は同じく高卒で、私より三年遅れて入社した若手社員。まだ新人気分が抜け切らない甘さもあるけれど、世渡りスキルが高くみんなから可愛がられているし、ルックスの良さから女性社員の人気も高い。少し童顔、可愛らしい笑顔。彼女はいないらしい。そりゃモテる。
「苦いなぁ」
朝淹れて煮詰まっていたのだろう、給湯室で淹れてきたコーヒーはかなり濃くて苦かった。
手元のマグカップを見て、先日の青バラでの会話を思い出す。
「ペア、ねぇ……」
聡一さんといったか。彼は綾乃さんよりも年上。私と今井君の年の差と同じくらいかな? 男女逆だけれど。
美味しくないコーヒーをグッと飲み干したタイミングでポケットの携帯が震えた。彼からのメールだ。
今夜八時、いつものお店。
別に付き合っているわけではないけれど、彼とこうやって食事するようになって半年くらいになる。彼の後輩が出来るか出来ないかの時期から仕事の相談に乗るようになっていた。
彼からすれば私は同じ高卒社員、しかも女なのに大きい仕事も任されている先輩。同期や後輩に慕われる私は、いいアドバイスをくれるとでも思われているのだろう。
洒落た店に行くわけでもなく、大衆居酒屋で枝豆をつまみながらカウンターで愚痴を聞く。誰に会ってもデートだとは思われない。
面倒見の良い先輩と、まだまだひよっ子の後輩。
いつまでそんな関係を続けるんだろう?
彼は私を女としては見ていないのだろうか?
私はこんなに……――――
早めに今日の分の仕事を終わらせて約束の店に行った。メイクをしっかり直してきたのは私のささやかなアピール。
「お疲れ様です! こっちです!」
更に早く店に着いていた彼に呼ばれ席に着く。彼は私の目元を見つめ顔を綻ばせた。
「仕事中の佐藤さんもカッコイイですけれど、オフの佐藤さんもステキですね!」
「え?」
「そのアイシャドウの色、似合ってます!」
「ありがとう……っ」
わかってる。彼はそういう人。人が喜ぶことをすぐに見つけて言える人。
わかってる。
……つもり。
「やっぱり佐藤さんに相談してよかったです!」
居酒屋を出て今井君は笑顔を見せ、それから少し躊躇いがちに続けた。
「いつも僕の選んだ店なので、もしよければ……この後佐藤さんが好きなお店に連れて行ってくれませんか? 前話してくれたバーとか……」
「あー、青バラ? ココからだと二駅離れてるけど大丈夫? 多分今井君の家とは反対方向だと思うけれど」
「全然問題ないです! 佐藤さんが大丈夫なら連れて行って下さい!」
「うん、まぁ。今井君がいいなら、おいで」
「よかった! 実はもっと佐藤さんと親しくなりたかったんで……断られたらどうしようってドキドキしてたんですよ!」
思いがけない“二次会”に、私は内心戸惑った。大丈夫。いつものようにイイ女を演じればいいんだ。
大丈夫……――今のは、期待してもいいところ?
青バラに着いて、マスターに今井君を紹介する。
「マスター、彼は今井君。会社の後輩よ。ほら、いつも話してる――」
「まぁ、この子が? いらっしゃい、歓迎するわ~」
「よろしくお願いします! 佐藤さん、いつも話してるって何を話してるんですか!?」
「可愛い後輩クンがいるって話よ。いつも泣き言聞いてるのよーって」
「うー、ヒドイです!」
彼はキョロキョロと周りを見渡している。
今日も今は他に客はいないが、あの夫婦は来るんだろうか?
「落ち着いたいいお店ですね!」
「流行ってないだけよ」
「まぁ~! 凛ちゃんったらヒドイ!」
「冗談よ」
「もぅ! じゃあ、今日は何にする?」
「そうね……じゃあ、ホワイトレディを」
「OK。今井クンは?」
「あ、えーと……実は、カクテルってよくわからなくて……すみません」
恥ずかしそうに俯く彼。フォローしてあげないと。
「私の頼んだのはちょっとキツめであまり甘くないものだけど……今井君はあんまり強くないからロングのリキュールベースがいいかもね。ファジーネーブル辺りは居酒屋でもよく見る名前でしょ?」
「……はい。じゃあ、あの、マスターさん、テキトーにお願いします……」
マスターは複雑そうな顔をした。
そうよね。今井君、こんな注文の仕方しちゃって素人丸出し。
「そうねぇ。今井クンは普段どういうお酒飲むの?」
「あ、そうですね……ビールとか、酎ハイとかが多いかな」
「ウチはビールそのままでも出してるけれど、カクテルにする?」
「はい! 折角なので」
「ふふ、ジンジャーエールはお好き?」
「はい、好きです!」
「うん、任せて」
そして目の前に作り出された私の分のホワイトレディと――
「シャンディ・ガフっていうのよ♪ 聞いたことあるかしらね。ビールもジンジャーエールも好きみたいだし今井クンにはシャンディがオススメ。飲みやすいと思うわ」
「ありがとうございます、いただきます!」
一口飲み、笑顔になる彼。また一口とグラスを口元へ運ぶ。
「本当だ、飲みやすいです」
「ん、よかったわ♪ カクテルも色々あって、こういう馴染みの味のモノも沢山あるの。ワタシは一応これでもプロなんだから、お客様の好みと要望さえ伝えてくれれば何でも出してあげるわよ」
「魔法使いみたいですね!」
「そうよぉー。ワタシは魔法でみんなを笑顔にするの」
楽しそうに話す二人を横目に、私は自分のグラスを一人空けた。
横で私を見る彼は、きっとカクテルをスマートに飲む私を魅力的だと思ったことだろう。
私は青バラからなら歩いて帰れる距離に住んでいるからもう少し飲んで行くことにして、電車がなくなる前に彼を帰した。
既に彼に誘われた“今日”は“昨日”になっていて、“明日”が始まっている。
「凛ちゃん全然ダメ。20点」
心地良いBGMを肴に飲んでいると、マスターがいきなりダメ出ししてきた。
「はぁ? 何よ、いきなり……」
「さっきの! 今井クンよ、可哀想に……凛ちゃんは彼のこと好きなんじゃないの?」
「な……ッ!!」
図星だけれど。
「最初お店に入ってきた時は、この二人いずれ付き合うかもって思ったわ。だけどダメね。このままだったら凛ちゃんの片想い」
「ど! ……うしてそんなこと……」
思わず立ち上がってしまいマスターがクスクスと笑う。
「ごめんなさい、大きな声出して」
「フフ、いいのよ」
マスターは一度店の外に出てすぐに戻ってきた。看板の灯りを消してきたようだ。同じカクテルを二つ作って私の横に座る。
「今日はもう他に来ないと思うし、たまには二人で飲みましょ。はい、どーぞ」
私の空いたグラスと新たに作ったグラスを交換するマスター。
目の前に出されたのは、さっき彼が飲んで気に入ったシャンディ・ガフ。
「私、こういうのは……」
「凛ちゃんだってビール好きなくせに」
「……」
「ワタシはね、カクテルだけが好きなわけじゃないのよ? ビールも、日本酒も、焼酎も、ワインも好き」
「……うん」
「確かにこだわりがあって専門店を出している人も大勢いるけれど……ワタシのお店は“お酒屋さん”って意味合いで“バー”を名乗ってるわ」
出されたグラスに口をつける。本当に飲みやすい。
「凛ちゃんはカクテルが好きなの? それとも、カクテルを飲む自分が好きなの?」
相変わらず鋭いことを言う。どう答えるべきだろうか?
「ワタシはどっちでもいいと思う。お酒を飲む理由なんて人それぞれよね。だけど、ちょっとでも背伸び……そうね、踵が浮いてるなら、それは不安定だからオススメしない」
「マスターは……どうして20点しかくれなかったの?」
「今井クン、凛ちゃんについていけないって顔してたわ。凛ちゃんがどうこうっていうよりは自分に呆れてた」
「でもね、ココに来る前に脈アリなコト言われたのよ? これからもっと私に近付きたいみたいな。少しずつ近付けると思うの」
「男はねぇ、少しでも異性として意識している女の子の前ではカッコつけたいのよ。自分が年下だろうとね」
「そうね、確かに今日はココでカッコ良くなかったかも」
「そう? 今井クンはカッコ良かったわよ? 私には、凛ちゃんが可愛くない女に見えたわ」
カチンときた。どうしてここまで言われないといけないのか。私は一万円札をマスターに突きつけ席を立った。
「ごちそうさま!」
「あ、凛ちゃんっ!!」
可愛くない女?
何処が悪かったっていうのよ?
今井君がお酒どれくらい飲めるかも覚えていてあげた!
彼にわかりやすいように居酒屋メニューを例に出して教えてあげた!
頼れるカッコイイ先輩じゃない!
マナーモードのままだった携帯が震える。家に着いた彼からのメールを受信する報せ。
『今日はありがとうございました。やっぱり佐藤さんはカッコイイ先輩です。僕はまだまだですね』
ほら、褒めてくれてる。
年下の男の子だもん、やっぱり頼れる女性が好きなのよ。
その時の私は、そのメールの本当の意味なんて全然気付いていなかった。
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