45人が本棚に入れています
本棚に追加
/62ページ
第2話 木曜日2
どこをどのように走ったのか。人気のない方、道が細い方を選び、気づけば睦月の自宅のマンションの通りに出ていた。
住宅街の道横に設けられたポケットパークで、ようやく足を止める。
パイプ2本で座面と背もたれを現した小さなベンチに、香月が腰掛けた。
それを横目で見る。
胸がドッ、ドッ、と大きく弾む。
酸素を求めて喉が開こうと、空を仰ぐ。
何がなんだかわからないが、とにかく春の柔らかな青色が、目に染みた。
「ハア、ハア…ハア…」
香月が大きく口を開けて、肩を上下させている。
水分を摂ろうとしたのだろうボトルは、しかし彼の両手に包まれたままだった。
「アア、ハア、ハア……ハア……」
「…だい、じょう、ぶ…?」
学校からずっと走り続けたし、睦月の息も上がっているが、香月はそれよりだいぶ辛そうに見えた。
上背もあり、同級生と比較して恵まれた体躯は、すでに体育の際に能力を余すところなく発揮されている。いつも余裕の表情を浮かべているのに。
いまは顔を真っ赤にして、喘ぐようにしている。
「…木之内こそ…ハア…大丈夫なのかよ…」
香月が上目遣いで問う。
ウッと息が詰まった。
同級生の紅潮した顔を思い出し、返事に窮する。
あれは何だったのか。どういう現象か。夢物語か…と思いこみたいところだったが、そう簡単に記憶を改ざんできるような出来事ではない。
頭の中は高速回転というよりは、暴れまわっていて秩序もへったくれもない。
「はあ……これ…」
はっと我に返り香月の方を向くと、こちらを見る顔が赤くて、思わず体が固まった。
ゆるりとボトルが差し出される。
え、と声を出すと、香月は声も出せないくらいにつらいのか、開けてくれとばかりにボトルを振った。
「あ………うん」
ボトルの蓋は、軽く力を入れるとすんなりと動いた。
「あり…がとう…」
それをゆったりとした仕草で受け取り、少しずつ飲み込む。
水音と共に、のどぼとけがくっくっと動く。
赤く染まった首筋を、汗がひとすじ流れていった。
ふう、と一息吐く。
香水でもつけているのか、植物のような爽やかな香りが、ふと漂う。
それにしてもずいぶんと辛そうなので、「うち、そこのマンションなんだ。休んでいって」と口にしていた。
冷凍庫を開けて、在庫を確認する。
1時間くらい経った? と、目覚めた香月が聞く。
「おはよう。3時間くらい経ってるよ。もうすぐ昼ごはんの時間だもん」
「えっ、そんなに? ずいぶん寝てた。悪いな」
「ううん、おれこそごめん。香月体調悪いんだろ? 大丈夫?」
次に冷蔵庫を開け、昼食に使えそうな材料を確認した。
「大丈夫。鼻が詰まってるだけ」
だから走った時に息が上がって…と言って、口がよどむ。
香月がソファから上体を起こす。
朝あれは何だったのか、という目が刺さる。
おれも知りません、と言いたい。思わず顔をそらした。
「…学校に連絡した。おれの具合が悪くなって、香月が送ってくれたって伝えたよ」
「…そう」
香月のあの状態の理由が分かってよかった。顔色ももとに戻っている。
「汗かいて気持ち悪くない? よかったらシャワー浴びて。おれのでよかったら服出しとくから」
「じゃあ、そうする。ありがとう」
風呂はあっちと指さすと、大股で歩いていく。
香月のあとに、先ほど気づいたあの香りが残る。
昼ごはんを食べるか聞くと、おう、サンキュと手を振って去っていった。
好き嫌いもないそうだし、卵あんかけうどんにでもするか。
鍋に水を張り、火をつけた。
最初のコメントを投稿しよう!