第2話 木曜日2

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第2話 木曜日2

 どこをどのように走ったのか。人気のない方、道が細い方を選び、気づけば睦月の自宅のマンションの通りに出ていた。  住宅街の道横に設けられたポケットパークで、ようやく足を止める。  パイプ2本で座面と背もたれを現した小さなベンチに、香月が腰掛けた。  それを横目で見る。  胸がドッ、ドッ、と大きく弾む。  酸素を求めて喉が開こうと、空を仰ぐ。  何がなんだかわからないが、とにかく春の柔らかな青色が、目に染みた。 「ハア、ハア…ハア…」  香月が大きく口を開けて、肩を上下させている。  水分を摂ろうとしたのだろうボトルは、しかし彼の両手に包まれたままだった。 「アア、ハア、ハア……ハア……」 「…だい、じょう、ぶ…?」  学校からずっと走り続けたし、睦月の息も上がっているが、香月はそれよりだいぶ辛そうに見えた。  上背もあり、同級生と比較して恵まれた体躯は、すでに体育の際に能力を余すところなく発揮されている。いつも余裕の表情を浮かべているのに。  いまは顔を真っ赤にして、喘ぐようにしている。 「…木之内こそ…ハア…大丈夫なのかよ…」  香月が上目遣いで問う。  ウッと息が詰まった。  同級生の紅潮した顔を思い出し、返事に窮する。  あれは何だったのか。どういう現象か。夢物語か…と思いこみたいところだったが、そう簡単に記憶を改ざんできるような出来事ではない。  頭の中は高速回転というよりは、暴れまわっていて秩序もへったくれもない。 「はあ……これ…」  はっと我に返り香月の方を向くと、こちらを見る顔が赤くて、思わず体が固まった。  ゆるりとボトルが差し出される。  え、と声を出すと、香月は声も出せないくらいにつらいのか、開けてくれとばかりにボトルを振った。 「あ………うん」  ボトルの蓋は、軽く力を入れるとすんなりと動いた。 「あり…がとう…」  それをゆったりとした仕草で受け取り、少しずつ飲み込む。  水音と共に、のどぼとけがくっくっと動く。  赤く染まった首筋を、汗がひとすじ流れていった。  ふう、と一息吐く。  香水でもつけているのか、植物のような爽やかな香りが、ふと漂う。  それにしてもずいぶんと辛そうなので、「うち、そこのマンションなんだ。休んでいって」と口にしていた。  冷凍庫を開けて、在庫を確認する。  1時間くらい経った? と、目覚めた香月が聞く。 「おはよう。3時間くらい経ってるよ。もうすぐ昼ごはんの時間だもん」 「えっ、そんなに? ずいぶん寝てた。悪いな」 「ううん、おれこそごめん。香月体調悪いんだろ? 大丈夫?」  次に冷蔵庫を開け、昼食に使えそうな材料を確認した。 「大丈夫。鼻が詰まってるだけ」  だから走った時に息が上がって…と言って、口がよどむ。  香月がソファから上体を起こす。  朝あれは何だったのか、という目が刺さる。  おれも知りません、と言いたい。思わず顔をそらした。 「…学校に連絡した。おれの具合が悪くなって、香月が送ってくれたって伝えたよ」 「…そう」  香月のあの状態の理由が分かってよかった。顔色ももとに戻っている。 「汗かいて気持ち悪くない? よかったらシャワー浴びて。おれのでよかったら服出しとくから」 「じゃあ、そうする。ありがとう」  風呂はあっちと指さすと、大股で歩いていく。  香月のあとに、先ほど気づいたあの香りが残る。  昼ごはんを食べるか聞くと、おう、サンキュと手を振って去っていった。  好き嫌いもないそうだし、卵あんかけうどんにでもするか。  鍋に水を張り、火をつけた。
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