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第4話 千葉の本棚
少し前まで、郊外の団地の一部屋に住んでいた。
いつからあるのか分からない、古いラジオをつけて、ダイヤルをずりずりと回す。
急に馴染みのない局につながると嬉しくてそこでダイヤルを止めておくのに、次に電源を入れると繋がらないのが、むしろ楽しかった。
少し遠くから聞こえる声。
それから衣装ケースの蓋を開く。
母はとにかく仕事か乱読しているかの二択のひとで、本に関しては、学業や仕事に関する本も多かったが、なぜと問いただしたくなるものもよく買ってきた。コンビニの本棚でも扱うような有名作家や大手の出版社の本も買うが、聞いたことのない出版社や作家の本の方が多かった。母校ではない大学でも、古書セールがあると聞けば立ち寄る。ちょっと出かければ古本屋に立ち寄る。
団地に本棚を置くスペースはなかった。紙魚が寄り付かないよう、読み終えた本はまず衣装ケースに詰められる。母がえっほと積む衣装ケースを降ろして気になる本を引き出してくるのが、ぼくの役割みたいなものだった。
その衣装ケースが押し入れにいっぱいになる頃、叔父が車に乗ってうちに来る。後部座席を衣装ケースで満載にして、都内にある母方の祖母の家に置きに行った。
「アンタはホントに本の虫だわね」
祖母はいつも呆れ顔で迎える。
四人で“けいくん”の話などをしながら、昼食とおやつを食べて帰るのが定番だった。
衣装ケースは、仏間の続き部屋にどかどかと積まれていった。
帰り際になると、いつも心配していると声をかけられる。
「おかしいことが起きたらまず母さんに相談しなさいな」
「男の子だからって何にも危なくないってことはないんだから」
そして、父親がいればねえ…とブツブツつぶやく。
祖母が亡くなり、家を片付けた後、衣装ケースは千葉に住む叔父の家に引き揚げられた。
「たびたび運んでたとはいえ、いやあ、こうして見ると大した量ですね…」
「そうだねえ」
「兄さんも読書家だったけど、麗さんには負けますね」
「そりゃまあね」と笑う。
「けいくんの代わりに読んでるようなものだから」
亡き父の実家でもあった屋敷の、蔵の一角に衣装ケースが積み上がった頃、ぼくたちは引っ越すことになった。
「あの量の本がしまえる家って…家賃高そう」
「そうだね。あー、図書館に住めたらいいのになー」
まあ、と声が続く。
「そのうち処分しようと思ってた。そろそろいいかな」
驚いて母の顔を見る。
受験が終わると、春の足音にヒヤヒヤしながら、引っ越し準備もそこそこに蔵に足しげく通い本を選定する日々を送った。
本を衣装ケースに詰めていた頃、読み返したい本があっても、すでに運搬していて読み返せないことも多かった。新居には本棚を置こうという話になっていて、当初大喜びしたけれど。すべて持っていくことができないのか。
ふいに、蔵の一番奥にある箱が目に止まった。祖母の字で何かが書いてある。
「あんな箱、持ってきたっけ…」
ひとりごつ、蓋を開ける。色の褪せた古い本達。
“空想上の悪魔とその実在”
“悪魔辞典”
“神学大全”
“社会に溶け込む悪魔”
その他、英語や別の言語で書かれている怪しいタイトル。
「……ええ…?」
これはいったい?
あのおばあちゃんが?
こういうのが好きだったの?
結構戸惑ったものの、興味の方が勝ってページをパラパラとめくる。
ある箇所に開き癖がついていて、そこから一通の封筒が滑り落ちた。
まだ湿り気を帯びている髪を、タオルでわしわしと拭く。
所在なく、本棚の前に立った。
木之内の家の本棚は、統一性のかけらもないことがすぐに分かる。
親と子の本がまとめてしまわれていることもあるのだろうが、それにしてもにぎやかだ。
木之内のことを意識して見たことは一度もなかったが、朝の蒼白の顔色からの、さっきの洗濯物をひったくった時の赤面、料理をほめた時のはにかみ顔。ただの害のないクラスメイトとしか思っていなかったが、少なくとも今日は、香月を楽しませていた。この本棚と同じように、くるくると落ち着かない。それに気づいて小さく笑う。
本棚の最上段は天井に近く、香月の身長でも手が届かない。そう使うことのないものがしまわれているのか、硬質の箱が並んで収められていた。その端に、古い蔵書が数冊立てかけられている。
他の本とは明らかに違う扱いを受けている。本自体が古く、タイトルも不穏だ。
そばにあった踏み台に足を乗せて、一冊を引き出した。
癖がついていて、あるページがぱっと開いた。挟まっていた封筒をよけて、その章のタイトルを見る。
“インキュバス・サキュバスの概要とその正体”
「だいぶ癖のある蔵書だな…」
冒頭、インキュバスは男性型、サキュバスは女性型という説明がなされる。
古代ローマ神話に出てくるほど、歴史の古い悪魔だという。
インキュバスとサキュバスを別物とすることもあるが、性転換をする一悪魔ととらえることも多い。その場合、サキュバスとして男性の精を奪い、インキュバスになり女性に精を注ぐという。
スマホで検索してみると、漫画や小説の挿絵、アプリなどのエロい画像がわんさか出てくる。
単語を聞いたことはあるが、足を踏み入れたことのないジャンルの話だ。
次のページにいこうと、封筒を指で倒すと、「麗へ」と書かれていた。
「れい?」
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