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恩人との出会い
畳の上に突然現れた魚二匹は結局冷凍庫にしまったままである。碧はあの出来事を思い出すため、あれから冷凍庫を開けていない。正直外に出るのも碧は少し憂鬱だった。またあのお化けに遭遇するのではないかと思ったからだ。そんなとき碧は美奈子に買い物を頼まれた。碧も祖母の頼みとなると断れなかったようである。祖母に頼まれたものだけをスーパーで買ったらまっすぐ家に帰るつもりでいた。そのときだった。
「ねぇ、その荷物重そうだね。何買ったの?」
突然後ろから少年の声が聞こえ、碧は驚いて振り返った。半袖の白いシャツに灰色のベスト、黒いズボンをはいた13か14歳ぐらいの少年が立っていた。このあたりで年の近い子を見るのは碧にとって初めてであった。
「あ、あの。どちら様でしょうか?誰かと間違えていませんか?」
しかし、いくら年の近い子とはいえまったく見ず知らずの人間に親しげに話しかけられたら警戒するものである。まさかナンパというやつだろうか。そう思った碧は隙をついて逃げ出そうとしていた。
「僕のこと忘れちゃった?この間川で倒れてた君を家まで運んだんだよ」
少年は警戒する碧とは対照的に人懐っこい笑顔を浮かべてそう答えた。碧はそれを聞いて祖母が話していたことを思い出した。川で倒れていた自分を家まで運んできてくれた少年の話を。そして、祖母の口から聞いた少年の名前を。
「もしかして、君が河井蒼太くん!?」
「せーいかーい」
碧は自分を助けてくれた恩人にお礼をしたい気持ちはあった。しかし、その恩人はどこにいるかわからなかったため、探しようがなかった。まさか、その恩人に今会えるなんて思ってもみなかった。
「ねぇねぇ、あれから大丈夫だった?」
「うん、平気だよ。ありがとう。助けてくれて」
蒼太は心配そうな表情で碧を見つめていたが、碧の答えを聞いてまた人懐っこい笑顔に戻った。
「あっ、そういえばあのお魚食べてくれた?」
蒼太は目を輝かせながら再び碧に質問をしてきた。あの魚とは何のことだろう。碧はよくわからず、曖昧な表情をした。
「あれ?おかしいなあ。君の枕元に置いといたんだけど」
蒼太も不思議そうな顔をして首を傾げた。枕元という言葉を聞いた碧は自分が起きたときに二匹の魚が自分の枕元にいたあの夜の出来事を思い出した。
「あー!あれ、君の仕業だったの?」
碧は思わず大声を出してしまった。道行く人々の不思議そうな視線に気づいた碧は途端に気まずい気持ちになった。
「そうだよ? お魚食べたら元気になると思って」
「そういう問題じゃなくてどうやって私の部屋に魚を置いたの?」
蒼太は碧に問い詰められても人懐っこい笑顔を崩さずに経緯を説明した。彼の話によると本当は直接碧に魚を渡したかったようだ。しかし、インターホンを押しても誰も出なかったため、こっそり庭に入って窓から魚を置いたらしい。おそらく窓が開いていたのは祖母が暑くないように気を利かして開けていたのだろう。碧はそう解釈した。
「魚をくれるのは嬉しいんだけど、人の家の庭に勝手に入ったらだめだよ」
「そうなの?」
「当たり前でしょ! 私もおばあちゃんもびっくりしたんだからね!」
特に罪悪感がない様子の蒼太に碧はつい強い口調を使ってしまった。
「ごめんなさい。おいしいお魚食べて元気になって欲しくて」
蒼太の表情は次第に暗くなり、今にも泣きだしそうな表情へ変わっていった。碧もそこまで追い詰める気はなかったため、少し戸惑った。
「な、泣かないで! その、気持ちは嬉しかったから。ありがとう」
「えへへ。喜んでもらえてよかった」
碧は蒼太に慌てて声をかけると、蒼太は晴れやかな笑顔を碧に見せる。不思議な少年ではあるが、決して根は悪い子ではないかもしれない。蒼太の明るく、純朴な人柄が碧をそう思わせた。
「あっ、そうそう。荷物持つよ。ずっと持ってて重くない?」
「えっ、悪いよ!」
「大丈夫だよ! 僕、こう見えて力持ちだからさ!」
結局、根負けした碧は蒼太に荷物を持ってもらうことになった。華奢な体に反して、スーパーの買い物袋を蒼太は軽々と持ち歩いている。こうして蒼太とそのまま祖母の待つ家まで一緒に帰る形となった。
「おばあちゃん。ただいまー」
「おかえり、碧。あら、あなたは」
孫を出迎えた美奈子は隣にいる蒼太を見て目を丸くする。碧は買い物の帰りに蒼太に合い、荷物を運んでくれたことを話した。
「ありがとう。孫がお世話になりました。よかったら上がっていって」
「えっ、でも」
「ちょうどスイカを冷やしていたの」
最初は遠慮がちだった蒼太であったが、スイカという言葉を聞いて表情が明るくなる。碧の目から見てもスイカが食べたいと蒼太の顔に明らかに出ていた。
「せっかくだし食べない?」
「いいの?」
「もちろん!」
顔色を伺いながら尋ねてきた蒼太に対して碧は快活に返事をする。美奈子も優しい笑みを浮かべて頷いた。
「やったー! ありがとう……じゃないや、ありがとうございます!」
蒼太は無邪気に笑いながらお辞儀した。そんな蒼太の笑顔を見て碧は不思議と明るい気持ちになる。それは祖母も同じようで、台所へ向かう背中はどこか楽しげであった。
風鈴が涼しげな音を鳴らす中、美奈子が切ってくれたスイカを縁側に座って碧と蒼太は二人で並んで食べていた。
「スイカおいしいね! えっと」
口ごもる蒼太を見て碧は自己紹介していないことを思い出す。
「山谷碧。碧でいいよ。よろしくね」
「よろしく! 碧ちゃんはおばあちゃんと二人で住んでるの?」
「ううん。今は夏休みだからおばあちゃんの家に遊びに行ってるんだ」
「そっか。じゃあ、夏休みが終わったら帰っちゃうんだね」
碧は夏休み中には帰るつもりだと蒼太に伝えようとしたが、蒼太の寂しそうな横顔を見て言い出せなくなった。蒼太に出会って初めて碧が見た表情だ。何か言葉をかけたいが、蒼太の名前を呼ぶのが精一杯だった。
「じゃあ、碧ちゃんがここにいる間にいっぱい遊びたいな! だめかな?」
蒼太は寂しさを吹き飛ばすような明るい笑顔で碧に聞いてきた。碧に断る理由はない。それどころか自分と年が変わらない友人ができて碧は嬉しかった。
「いいよ! 私でよければ!」
碧は蒼太に負けないぐらいの笑顔で答えると、蒼太は弾けるように喜ぶ。蒼太が笑ってくれて碧が心底安心していたときだった。
「そういえば、碧。今日の夜、夏祭りをやるわよ。せっかくだし蒼太くんと行ってきたら?」
碧は美奈子から一枚の紙を受け取る。そこには多くの屋台や盆踊りのやぐら、その周りで浴衣姿の人々が賑わう姿が写っている。碧にとっては見るだけで心が踊る光景だった。それは碧だけではないようで、隣で蒼太も興味津々な様子で見ている。
「碧ちゃん、一緒に行こうよ!」
「うん。いいよ」
碧は美奈子に行っていいか目で合図すると、美奈子は大きく頷く。友達になったばかりの友達と行く初めての夏祭り。碧は楽しみで胸を膨らませていた。
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