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番外編その3―安芸の気持ち―
正直。これでも最初は、内心物凄く戸惑った。
まさか自分が同性に告白されるだなんて考えてもみなかったし、テレビ等で同性カップルやLGBTの話題が出ても、どこか他人事の様に眺めているだけだった。
いざ自分が直面すると、一瞬思考が停止してしまった。
でも、何故なのかは分からなかったが、花菱の事をもっと知りたいなと思ってしまったのだ。
今まで告白されて付き合ってを繰り返してきた中で、相手の事をもっと知りたいと思った事など無かったような気がする。
勿論、自分なりに相手を大切にしてきたつもりだし、その時その時できちんと向き合ってきたつもりだが、心の奥底では冷めきったような虚しいような感情ばかりが蔓延っていた。
なのに、彼の事は何故か知りたいと思ってしまったのだ。
「だから、とりあえずお試し期間ってことでどう?勿論、花菱が嫌じゃなければだけど」
お試し期間だなんて随分自分勝手だなと思いつつも、気が付いたらそんな言葉が口をついて出ていた。
あの時の花菱の嬉しそうな表情は、ずっと忘れられないだろう。
元より、彼の事は認識していた。同じクラスにはなった事がないけれど、入学時から美人な男子がいると随分と噂になっていたからだ。
学校で初めて彼を見かけた時は、正直とても驚いた。
上背は平均くらいはあるし華奢とはいえ、どこからどう見てもれっきとした男に間違いはないのだが、白く透き通るような白磁の肌に濡れたように美しい黒髪。そして、少し切れ長の綺麗な形の瞳。その瞳を縁取る睫毛はとても長く、目の下に影を落とすほどだった。
これは確かに噂になるのも頷けると感心したものだ。
改めて、隣にいる花菱に視線を寄せると、初めて見た時の印象はそのままに、意外性のある内面の可愛さが相俟ってとても胸がざわついた。
それから一緒に時間を過ごしていく内に、どんどん自分の気持ちが彼に傾いていくのを感じた。
1日、1日時間を重ねる度に、心が暖かく凪いていく。
気が付けば、視線は彼を追っていて、話しかけられれば嬉しくなり、2人きりで過ごす時は心臓が脈を打つ。
ああ、おれは花菱の事が気になって仕方がないのだなと認めざるおえなかった。
けれど、経験だけはあるくせに、自分から誰かを好きになったことが無い俺は恋心に対して未熟で無知で、これが恋愛感情だとすぐに結論づけることが出来ずに、結局お試し期間のまま1ヶ月近くが経ってしまった。
その結果、いつも朗らかに笑う彼をあんなに悲しい顔にさせてしまったのは後悔してもしきれない。
花菱と付き合い始めた事は、周りに言っていなかった。男同士だからというのもあるが、何よりお試し期間だと自分から言い出しておいて好き勝手に言い触らすのは違うと思ったからだ。
そのせいもあって、周囲は俺がフリーだと思っており、花菱と付き合い始めてからも何度か告白される機会があった。
だが、全て断っていたし、花菱を差し置いて誰かと付き合うなんて考えは毛頭なかった。
あの日も、きちんと断ったし、まさかその場面を聞かれていたとは微塵にも思わなかった。
「俺、最近屋上のドア前の踊り場で昼食べてて、今日も居たんだ。で、安芸の声が聞こえてきて……安芸、気になる人できたんだな。ごめん、俺全然気が付かなくて。だから、お試し期間終わりにしよう。1ヶ月本当に楽しかった!ありがとな」
そう、彼に言われた時は頭が真っ白になった。
絶望に似たようななんとも言えない喪失感。……ああ、俺は花菱の事が好きなのだ。とこの時、はっきりと自分の気持ちを自覚した。
自分は本当に馬鹿だな思う。こんな場面にならないと気付けないなんて、愚かにも程がある。
相手が離れていきそうになって初めて、相手の事が好きだと自覚するだなんて。
そこから家に帰るまでの記憶は、正直うろ覚えだ。
とにかく誤解を全て解いて、自分の気持ちを伝えて、何とか繋ぎ止めたい。ただただ必死で、そんな事ばかり考えていたように思う。
「安芸ー?どうした?なんか、ぼーっとしてたけど」
今日は休日で、花菱と共に俺の部屋で勉強をしつつのんびりと過ごしていた。
そんな中、いつの間にか勉強もそっちのけで物思いに耽ってしまっていたらしく、花菱が心配そうに顔を覗き込んでくる。
黒目がちの硝子玉のような瞳が綺麗で、心配そうに揺れる光彩が堪らない気持ちにさせる。
思わずキスをしてしまいたい衝動を、ぐっと堪えて笑みを浮かべた。
「ごめん、ちょっと考え事してた」
「考え事ー?なになに、俺の事とか?」
そう言って、ニヤニヤと楽しそうに笑う花菱。
「そう。花菱の事考えてた」
きっと彼は冗談のつもりだったのだろう。
俺の言葉を聞いて、動揺したように目を泳がせ、白い珠のような頬を薄っすら紅く染めた。
いつも自分から色々言ってきたり行動してきたりするくせに、彼は案外照れ屋だ。
そんなところも愛おしくて堪らなくなる。
うう〜と唸っている花菱を見て、クスッと微笑むと彼の顎を取って口付けをした。
こんなに可愛い恋人が他にいるだろうか?否、きっといないだろう。
相手の事を考えるだけで、胸がぎゅっと苦しくなったり、身体中が幸せで満たされたりする事なんて、きっともう彼以外にはない。
多分これが俺の初恋なのだ。
そして最初で最後の恋であるといいと願いながら、名残惜しく唇をそっと離した。
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