第1話坂本竜馬は生きていた

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第1話坂本竜馬は生きていた

1867年、京都河原町で暗殺されかかった坂本竜馬は奇跡的に一命を取り留める。 西郷隆盛らの勧めで 「坂本さん、あんたはもう名前が大きくなり過ぎた。一度、生まれ変わった方がいい」 竜馬はアカウントを変えて二度目の人生を生きる決意をした。 江戸に戻った竜馬は、ある日の早朝、江戸城の前で三味線を弾き唄を歌った。 「そこで歌っているのは誰ですか?」 21歳の尼になったばかりの和宮が現れる。 そのまま、和宮は竜馬に恋をするが、竜馬は実はホモで生涯子供はいなかった。だが、自分がホモだなどと竜馬が知る由もない。 竜馬と和宮、二人のロマンスが始まる。 31歳で和宮が病没するまで二人の恋仲は続いた。 和宮は生涯処女だった。徳川家茂もホモだったのだ。 竜馬は勝海舟にだけはひそかに別れの挨拶をしに行った。 「勝先生。おいはアメリカに行こうと思います」 「竜馬。アメリカでは英語を使えないと通用しないよ」 「ジョン万次郎さんや福沢諭吉さんに教わったりして。少しはしゃべれます。あとは向こうに行って勉強します」 「Goodbye!竜馬。I hope that you would succeed in your second life ! (お前さんの二度目の人生の成功を祈っているよ!)」 「Thank you very much ! My Master ! (ありがとうございます!おいの先生!)」 10代で土佐を脱藩したとき175cmだった竜馬の身長は、江戸で肉と牛乳を摂取して、188cmになっていた。 ちなみに勝海舟の直孫(じきそん)が、現東京大学教授で世界的クラシック音楽家、伊東乾である。 中岡慎太郎とともに襲われた坂本竜馬は名前を変え、日本では「林間」(リンカーン)と名乗り、フリーメイソン(free 名 son、自由な名の息子)となる。 大相撲に出たり、野球を始めたり、芸者と付き合ったり(現代の芸能界)、事業を始めたり(海援隊)、つまり貿易会社とか企画イベント会社を経営する。 東京帝国大学に入って経済学者になったり、哲学書を書いたり。物語や小説を書いて、ドラマ、映画、芝居に進出したり。美食が高じてレストランを経営したり、幸徳秋水などとジャーナリズムに携わったり、とにかく明治から昭和初期にかけて日米をまたにかけて国際的に活躍する。 教育、医療、福祉、芸術、食、法律、経済、物理、情報学と、あらゆる分野に積極的に関わっていった。
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