第2話竜馬、アメリカ合衆国に渡る

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第2話竜馬、アメリカ合衆国に渡る

竜馬はアメリカ大使に根回ししていた西郷隆盛や桂小五郎の助けでアメリカ合衆国に渡る。 1870年。完成したばかりの大陸横断鉄道に乗って竜馬はサンフランシスコから東海岸へ向かった。ユニオン=セントラル・パシフィック鉄道である。サクラメントを通って、ソルトレイクシティー、デンヴァー、シカゴ、フィラデルフィアと通過してニューヨークへたどり着いた。 1883年、アメリカ連邦最高裁は、公共の場での人種差別を禁止した「連邦市民法(1875年)」を無効とする判決を言い渡した。 ボクシングで賞金を稼いだり、始まったばかりのベースボールにも夢中になりベーブルースや沢村栄二とも親交を深めた。音楽にも熱心で、ガーシュインの「ラプソディー=イン=ブルー」などをカバーした。 マルクスの資本論にも被れ、のちのニューディール政策の原型となる社会民主主義的な発想にも行き着いていた。一方で、経済好き金儲け好きな性格から、ロックフェラーやカーネギーの用心棒も務め、ウォール街に出入りして株や先物相場の売買も覚えた。 せっかく稼いだお金を株や先物で全部スってしまったり、逆に1か月で100万ドル以上稼いでみたり。 浮き沈みの激しい生活で。高級ホテルを泊まり歩く時期もあれば、苦力(クーリー、アジア系肉体労働者)たちに混じって日雇い労働に従事することもあった。 ニューヨークで日雇いの肉体労働をしている竜馬を見つけたロックフェラーが車を横付けた。 「Hey!Ray!また株で負けて一文無しになったのかい?お前さんも懲りないねぇ」 「やぁ、ロックフェラー。相場で負けるのは経済の勉強だから良いんだ。それにこうやって頭を空っぽにして働いてると良い仕事のアイデアが浮かぶんだ」 「新しい金儲けかい?」 「いや、もっと大きな話さ。きっと、アメリカも日本も、世界中を幸せな方向に変えてみせる」 「また、大ボラ吹きが始まったか。Ray。せいぜい道路工事のバイトでも頑張りな。ほらよ!」 ロックフェラーはクシャクシャに丸めた10ドル札を竜馬に投げつけた。 アメリカ合衆国での竜馬はLevi'sのジーンズとHanesのTシャツと革ジャンと革靴とレイバンのメガネを愛用していた。裸眼で0.01しかなかった竜馬の視力はメガネで0.7程度まで矯正されている。 なぜか竜馬が好きになる女の子は目が悪いタイプが多かった。現代でいうメガネっ子である。同様に西郷隆盛は太った女の子が、木戸孝允は小柄な女の子がタイプであった。 ちなみに勝海舟は長身細身で頭のいい女の子がタイプであった。 おのおの、女性の好みまで直孫に遺伝していた(笑)。 革ジャン革靴にジーンズで薄毛で帽子をかぶってメガネをかけて立派なあごひげをたくわえて。しかも額に暗殺者に襲撃されたときの大きな傷痕がある竜馬を、「あの」坂本竜馬だと見破れる日本人はまずいなかった。アメリカ人はなおさらである。 40代以降の竜馬は薄毛だったため、カウボーイハットやベースボールキャップをよく愛用していた。 アメリカ合衆国での竜馬は「Ray」と名乗っていた。アメリカ人は誰も「Ryouma」とは発音できなかったのである。 アメリカに渡った当初の竜馬は主に、ボクシングなどの賞金試合、有力者の用心棒(ボディガード)、日本語と英語の通訳、株、三味線やギターの路上演奏&歌などで生計を立てていた。 金儲けは上手く、基本的にカネに困ることはなかった。カーネギーやロックフェラーのボディガードもした。日雇い労働やアルバイトもやった。 カネに困らないというよりは、ないときはないときなりに、やり過ごすことができるタイプであったのかもしれない。 1880年代から1910年/1920年代、WASP系(White Angle Saxon Protestant、白人でアングロサクソン系のプロテスタント)ではない移民が増加。ロシア(ポグロムによる亡命者など)、オーストリア=ハンガリー帝国、南欧(バルカン、イタリア、ギリシアなど) 1886年、アパッチ族のジェロニモ降服。 1892年、エリス島に合衆国移民局入国審査施設設置。 1917年識字テスト法成立。 1919年、禁酒法制定。 1924年、排日移民法•••日本からの移民を全面的に禁止。東、南欧系の移民を制限。 カーネギー(1835~1919)13歳のときに家族とともにスコットランドより移民した(1848年)。一代でアメリカ鉄鋼業界を制し、鉄鋼王と呼ばれた。大学や図書館などの建設に多額の寄付を行った。 ロックフェラー(1839~1937)。アメリカの石油王。スタンダード石油会社を設立し、トラストにより全米の製油能力の90%以上を支配した。巨万の富を築き、その経営手法は社会的批判を受けたが慈善事業にも力を入れ、医療、教育、科学研究の分野に多額の資産を投じた。 1882年、ロックフェラーのスタンダード石油会社→石油トラスト形成。 1886年、アメリカ労働総同盟(AFL) 1890年、ジャーマン反トラスト法、フロンティアの消滅宣言。 1897年、マッキンリー大統領就任(~1901) 1901年、セオドア・ルーズベルト大統領就任(~1909)、革新主義→トラスト規制。モルガンのUSスティール→鉄鋼トラスト形成。 1905年世界産業労働者同盟(IWW) 1909~1913年、タフト大統領。 1911年、スタンダード石油会社に解散命令。 1913~1921年、ウィルソン大統領、「新しい自由」(民主党) 1914年、反トラスト法。 1920年、3月、上院、ヴェルサイユ条約批准拒否。 5月、サッコ・ヴァンゼッティ事件。 8月、女性参政権付与。 11月、ラジオ商業放送開始。 KKK(1915年復活)の活動が盛んになる。 アメリカ的生産様式確立。 1921~1923年、ハーディング大統領。 1923~1929年、クーリッジ大統領。 1923年12月、大統領演説、初のラジオ放送。 1924年、2月、「ラプソディーインブルー」初演。 3月、農産物価格安定法否決。 8月、ドーズ案。 5月、排日移民法。 1925年1月、ワイオミング州で初の女性知事。 5月、スコープス事件(進化論教育排斥) 1926年、フォード工場、週5日8時間労働制導入。 1927年、5月、リンドバーグ、大西洋横断単独無着陸飛行。 8月、サッコとヴァンゼッティの処刑。 10月、最初のトーキー映画。 1928年、8月、不戦条約(ブリアン・ケロッグ条約)。 11月、「蒸気船ウィリー」でミッキーマウス登場。 1929~1933年、フーヴァー大統領、共和党。 1929年ニューヨーク株式市場で株価大暴落(暗黒の木曜日)→世界恐慌。 1931年、フーヴァーモラトリアム 竜馬は渡米後も度々日本に帰国し東久邇宮稔彦などと組んで太平洋戦争勃発を回避しようとした。 ニューオーリンズというのは日本のリンゴの「王林」から来ている。竜馬が名付けた。 現代でもそうだが、貧しい黒人やアジア人、ヒスパニックが多く集住する、それがニューオーリンズ。竜馬は敢えてその土地に居を構えた。 竜馬はニューオーリンズで、「火の用心」、「夜回り」の習慣を始め、広めて行った。 同時に、「寺子屋」の習慣も持ち込み、貧しい有色人種の家庭に教育を施して行った。 おかげで、竜馬がニューオーリンズに滞在している間は、殺人、強盗、レイプなどの凶悪犯罪が劇的に減少したという。 現在でもニューオーリンズには竜馬の功績をたたえる石碑があるという。
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