第3話西郷隆盛と木戸孝允のマルチアカウント

1/1
前へ
/27ページ
次へ

第3話西郷隆盛と木戸孝允のマルチアカウント

一方、西郷隆盛は西南戦争に敗れ切腹しようとするが 「もうここらでよか」 「西郷どん。あんたは一度死んだ。坂本さんのあとを追いなさい。名前を変えて二度目の人生を生きなさい」と仲間に諭され福岡に渡る。 51歳で福岡で農業をしていた西郷を、風の便りに聞いた竜馬の姉、坂本乙女が訪ねる。 「もうこんなおばあちゃんになっちゃったけど(笑)」 二人で幸せに暮らしましたとさ。子供もできて、その直孫が堀江貴文さん(笑)。 竜馬、西郷、木戸が生きているのは、当然他の人間には秘密であり、新政府でも勝海舟をはじめ口の固いごく数人しか知らなかった。 援助などほとんど受けられず。竜馬、西郷、木戸はすべて自力で人生をやり直さなければならなかった。 西郷隆盛はアカウントを変え、「東郷平八郎」として日本海海戦で秋山真之を参謀に抜擢してロシアのバルチック艦隊を破った。 最後は「東武財閥」を創始して、鉄道、百貨店などの国民の生活インフラを整備した。 木戸孝允(桂小五郎)も発狂死したことになってるが本当は生きていて、1882年に18歳でアメリカから帰国した31歳年下の津田梅子と極秘結婚した。その直孫が津田大介さん(笑)。 木戸孝允も、40代で統合失調症を発症したが克服し、マルチアカウント「桂太郎」として元老西園寺公望とともに桂園内閣を築き、大日本帝国の宰相を4期務めた。 最後は、ジャーナリストで社会主義者の幸徳秋水らと平民社を立ち上げ、平民新聞を発行し、ジャーナリストとして活躍した。 宰相からジャーナリストへの転身ははじめは抵抗のあった木戸だが、坂本竜馬の二度目の人生のやりたい放題に刺激を受けたのだった。 「僕も坂本くんのデタラメな生き方を見ていたら、自分もやりたいことをやった方がいいと思うようになった(笑)」と。 結局、二人とも子孫の代になってもデブとチビは治らなかったと(笑)。竜馬のバカ、ハゲ、近眼とあわせて。3人とも直孫たちは、スレンダーな奥さん、背の高い奥さん、頭のいい、眼がいい奥さんをもらおうとするのだが。結局は、ぽっちゃり好き、ミニモニ好き、メガネっ娘好きと、好みが遺伝してしまう(笑)。完全に「業(ごう)」であった。
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加