10日目『タイニイ・バブルス』/サザン 3rd Al

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10日目『タイニイ・バブルス』/サザン 3rd Al

⭐️収録曲:  1.ふたりだけのパーティ~Tiny Bubbles(Type-A)  2.タバコ・ロードにセクシーばあちゃん  3.Hey!Ryudo!  4.私はピアノ  5.涙のアベニュー  6.TO YOU  7.恋するマンスリーデイ  8.松田の子守唄  9.C調言葉に御用心  10.Tiny Bubbles(Type-B)  11.働けロック・バンド(Workin´for T.V.) ⭐️発売日:1980年3月21日 ⭐️最高位:1位 ⭐️売上枚数:39.8万枚 シングル『いとしのエリー』とアルバム『10ナンバーズ・からっと』の大ヒット、そして、アルバムからリカットされたシングル『思い過ごしも恋のうち』もヒットとなり、サザンの人気はデビューからわずか1年で名実ともに確固たるものとなりました。 “一発屋”と思われた『勝手にシンドバッド』から、底力を見せつけた魅惑の『いとしのエリー』 世間では、その作品性の豊かさから桑田さんのソングライティングのセンスにも注目が集まっていきます。 そんな期待を一身に集めた当事者は、この先の青写真を描く余裕すらないほどの怒涛のテレビ出演に始まるメディアワークをこなしながら、ひしひしとプレッシャーを感じていたそうです。 「もうこれ以上曲はできない」 シングル『思い過ごしも恋のうち』リリース後から、抱き始めた思いは、桑田さんを苦悩させます。 がむしゃらなデビュー時から、プロとして月日を重ねていく中で、様々な懸念が頭をよぎっていたのかもしれません。 そんな悩みの淵で、作り上げた曲が、5枚目のシングルとなる『C調言葉に御用心』だったのです。 “ようやくソングライターとしての自信を深めた”と、のちに述懐する“C調言葉”の大ヒットは、サザンにさらなる欲求を与えたのです。 バンドとしての次なるステップアップ―― メディア活動を中心としたスケジュールは、バンドの演奏力など技術の向上に充てる時間を削っていました。 バンドとしての評価が高まるほどに、それに見合う技術をメンバーも習得していきたかったのではないでしょうか。 かくして、1980年より、サザンは“メディア活動休止宣言”をします。 それは桑田さんが敬愛するビートルズの“コンサート活動休止”となる後期の活動に影響されたものでもありました。 レコーディングに十分に時間をかけて、自分達の納得できる作品を作り、バンドもプロに相応しい技術を得たいと―― 曲作りに没頭するサザンが、初めて世の中に対して提示した答えは、メディアに頼らないレコードリリース――“ファイブ・ロック・ショー”でした。 シングルを5ヶ月連続でリリースし、アルバムもリリースしよう、という前代未聞のアプローチです。 第1弾『涙のアベニュー』に始まり、その1ヶ月後に第2弾『恋するマンスリー・デイ』・・・ テレビという媒体が最大の広告効果を担っていた当時、またそれを最大限に利用してきたサザンオールスターズが、それに頼らず、純粋に曲で〝勝負〟に出たのです。 結果は、すでに明白だったのかもしれません。 『勝手にシンドバッド』の“面白ロック路線”からの『いとしのエリー』の〝勝負〟で、見事に〝勝利〟したサザンに、レコード会社は全権を委ねるしかなかったのではないでしょうか。 この〝勝負〟は、確かにセールスという結果では、〝敗北〟してしまったのかもしれません。 テレビに出るサザンオールスターズを期待していたミーハーなファンは去って行ったのかもしれません。 ただ、バンドとしての充実と成長を図る上で、非常に重要なターニングポイントとなったのではないでしょうか? 『恋するマンスリーデイ』のリリースから1ヶ月後、当初の予定のシングルではなく、サザンはアルバムをリリースします。 それが、初期のサザンのアルバムの中で大変重要な位置付けとなるアルバム『タイニイ・バブルス』です。 1stアルバム『熱い胸さわぎ』が、アマチュア時代の楽曲を集めたアルバムであり、2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』が、ドタバタな中で、アルバムとして満足に時間をかけられなかった事もあり・・・それらに続く3rdアルバム『タイニイ・バブルス』は、“アルバムとしてアルバムを作った”初めての作品だったのではないでしょうか? 「どのようなテーマを持って作品をまとめようか?」という作品性が意識されており、その中で、桑田さん以外のメンバーが初めてメインボーカルをとる曲も収録されています。 新しい“引き出し作り”は、その後のサザンの活動に重要なアクセントを与えていきます。 最も重要なアクセントは、初めてとなる原さんのメインボーカルへの起用でしょう。 昭和歌謡の黄金律を忠実に構築していった名曲『私はピアノ』は、発表されるやいなや、大変な高評価を受け、“シンガー原由子”を世に知らしめるキッカケとなりました。 これが、サザンのひとつの“強み”となっていくのです。 原さんは、その翌年から、メンバーでいち早くソロデビューを果たしますが、そんな原さんのプロデュースが出来たことを“自分の一番の功績”と語る桑田さんには、さらなるソングライターとしての自信が備わったのではないでしょうか? また、原さんにとっても、ボーカリストとしての大変重要な一歩となったことでしょう。 『松田の子守唄』でメインボーカルをとる弘さんにももちろんそれが当てはまりますし、このアルバムのリリースに続く、残りの“ファイブロックショー”では、大森さん、関口さん各々がメインボーカルとソングライティングを見せるなど、バンドの充実ぶりをうかがわせていきます。 大いなる可能性として、今後のサザンの進む航路を示す“羅針盤”が、この『タイニイ・バブルス』だったのです。 また改めて『タイニイ・バブルス』というアルバムを聴き直すと、その一貫したコンセプトが、胸に響きます。 伸び伸びとしたバンドグルーヴを青春時代の真っただ中に投入させた『ふたりだけのパーティー』に始まり、時にファンクで、時に正当な歌謡曲で、時に革新的なレゲエロックであったり、サザンらしい楽曲の振り幅の広さをやはり見せつけていきます。 テーマも、単純なラブソングばかりでなく、老年の恋であったり、女性の生理であったり、ヒトクセもフタクセもあるテーマが並び、これもまたサザンの“魅力”にもなっていく重要な部分でもあります。 先述した、原さんと弘さんのメインボーカル曲を経て、ヒット曲『C調言葉に御用心』で、青春時代とは、さらにスケールを広げた大人の余裕をこれでもかと聴かせます。 これまで聴いてきた曲があったからこそ、アルバムは説得力を持たすのです。 “『C調言葉に御用心』という名曲をなぜサザンは生み出せたのか――?” そんなドキュメンタリーを追う1枚のアルバムとすら感じるのです。 栄光の足跡とも思える曲を順に追って聴いていく中で、最後の最後で“独白”ともとれる問題作『働けロックバンド』が、意外な着地点に至ります。まさに、ビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』や『ヘルプ!』に通じるテーマですが、ビートルズはそれらの曲をアルバムの1曲目に軽やかにロックアレンジでサラッと聴かせて爽快感を感じさせますが、サザンは、対照的にアルバムのラストナンバーとして、ロッカバラードにアレンジし、重厚に聴かせます。 やはり、そちらのほうがより強く胸に響きます。 迷いなき青春の淡いグルーヴを効かせた『ふたりだけのパーティ』に始まり、充実した数々の名曲を生み出していく先に、最後は、ソングライターの葛藤と孤独と悲哀を込めた『働けロックバンド』の熱唱で締め括る。未だかつてない、本当にとんでもない作品です。 成長と苦悩・・・ちっぽけな泡(タイニイバブルス)が生まれては消えていくように、それを繰り返しながら、真の大人へとなっていく―― その後、サザンは“逆風”を受けるたびに、その音楽性を増していくのです。 「苦悩の数だけ、力強く愛を歌うことができる」 それを40年以上に渡り、証明し続けている 真のロックバンド、サザンオールスターズ―― まさにその起点が、『タイニイ・バブルス』であり、この作品から今日に至るまで、サザンのアルバムの全てが週間売上げ第1位の記録を更新し続けています。 “バンド・オン・ザ・ラン”であり、“ハード・デイズ・ナイト”、“ヘルプ”でもある、バンドの心をまとめあげた名盤『タイニイ・バブルス』は、今日も燦然と“ニッポンのロックバンド”の生き様を歌っているのです。
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