8日目『涙のアベニュー』/サザン 6th Sg

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8日目『涙のアベニュー』/サザン 6th Sg

⭐️収録曲:  1.涙のアベニュー  2.Hey,Ryudo! ⭐️発売日:1980年2月21日 ⭐️最高位:16位 ⭐️売上枚数:10万枚 メディアを使わずに、活動を続ける――。それが、80年代初頭のミュージックシーンにおいて、どれだけ無謀な事だったでしょうか。ましてや、メディアをフルに活かしてヒット曲を生み出してきた怪物バンド、サザンオールスターズ。 そんな“メディアの申し子”が、その当時、どれだけ、純粋に楽曲の素晴らしさのみで、世間において他のミュージシャンと対抗できたというのでしょうか――? サザンは80年代突入とともに、メディアへの露出を排し、曲作りに専念するためレコーディング活動に重点を置きました。サザンとしては、偉大なる先人、ビートルズにあやかってのことだったのかもしれませんが、あまりにも当時の日本の音楽業界においては、無謀なものでした。 充電期間、さらには、次なるステップアップと前向きにとらえるのもアリですが、世間の反応や商業的には、やはり失敗だったのかもしれません。 そんな時期にリリースされた最初のシングルが『涙のアベニュー』です。この曲については、言うことなしの名曲です。ブルージーでお洒落なAOR路線は『別れ話は最後に』を踏襲しながら、より洗練されて、サザンの目を見張る成長を感じさせます。そして、なんと言っても、桑田さんのボーカルが、これまでにも増して説得力を持って、味わい深いムードを盛り上げています。着実に名ボーカリストの頂きを登っていることを感じます。 あぁ、この曲をメディアを通じて、桑田さんの生声で発信していれば・・・、この名曲の位置づけもかなり変わっていたことでしょう。 悔やまれる事ですが、露出量の少なさが響き、セールス的にはガタ落ちという結果になってしまいました。 これによって、サザンをひとつの“ネタ”として興味本位で聴く人々は去って行ったのでしょう。大衆ロックと呼ばれるためには、やはりメディアの存在が当時は、とてつもなく大きかったんですね。 しかし、サザンは後戻りできません。この曲は、単なる序章に過ぎませんでした。そう“ファイブ・ロック・ショー”という、トンデモリリースラッシュの始まりだったのです。月1で、連続5枚のシングルをリリースするというかつてないプロジェクトであり、その第一弾がこのシングルでした。 このようなチャレンジャーは今まで、どこを探しても見当たらなかったのです。おかげで、多少の話題にはなったものの、逆に、買う側にとっては、辛いものがあったと思います。やはり、サザンは、メディアに出れない時間を持て余していたのです・・・とんでもないバンドです。 大衆の顔色をうかがうことを、いい意味で捨てたサザン。自然と、より楽曲に目を向けるようになっていったのかもしれません。その効果は顕著に現れていきます。さらにレベルを高めていきたいと願うほど、様々なモノが吸収され、バラエティに富んだ楽曲を次々と生み出していくのです。 そんな、サザンの重要な転換期となったこのシングルですが、ちょっと違った視点からも・・・ 『涙のアベニュー』では、よ~く歌詞を読んでいくと、桑田さんと原さんのプライベートな一面をのぞくことができます。 当時、大学で、桑田さんと原さんは知り合ってから、度々、桑田さんが、車で原さんを、彼女の実家まで送るようになっていました。 そんなある日、いつものように車で送っていた時、原さんは自分のお気に入りのボズ・スキャッグスの『SILK DEGREES』のカセットテープをカーステレオでかけていました。それを聴いた桑田さんは、たちまち、ボズ・スキャッグスにハマってしまいました。 曲中の「ふたりだけなら心にHarborlight」という歌詞は、車の中で二人で聴いたボズ・スキャッグスの『Harbor Lights』の事を指していて、しかも、その時の二人が、横浜をドライブしている情景がベースとなって、この曲の舞台設定が作られています。 桑田さんとしては、この先を見通すかのような曲となったのではないでしょうか。 ある程度、もう腹は決まってたんでしょうという・・・。当然、世間は知りません。ごく近しい方だけが、この曲に隠されたメッセージを読み解いていたのでは? 実体験が曲になっているケースは初期のサザンには、珍しくないのですが、ここまでのものは、なかなかお耳にかかれません。 迫りくる2年後のゴールインを予言するかのような曲だったのです。 サザンにしても、二人にしても、転換期とは色々と重なるモノですね。 『以上、現場からお伝えしました(笑)』
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