森の黄金、谷の薄暮(現代語訳付き)

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森の黄金、谷の薄暮(現代語訳付き)

 クリッペンヴァルトから離れて、樹人の森とベスシャッテテスタルの谷を間近に見据え、どの勢力にも属さない平らな草地が広がる。  折しも季節は春の終わり、いざや青い夏を迎えんとばかり、草は伸びはじめ、青々と緑が映える。  育ち盛りの草を分ける隙もないかと見えるほど、この低地をなお平らにするよう、白金の甲冑(かっちゅう)に身を包んだクリッペンヴァルトの国軍が、測ったような正しさで整列している。  全軍の四分の一ほどとはいえ、充分に、視界を埋め尽くさんばかりの大軍といえよう。  このクリッペンヴァルト軍の先頭から、真っ二つに裂くように兵士達が脇へ控えて作られる道を、一頭の馬に跨がったエルフが(おごそ)かに進み出る。  馬といえば確かに馬の姿か、たてがみのあるべき場所に、花をつけた蔓が茂って垂れ下がり、脚には緑の木の根が巻きついた、クリッペンヴァルトの森に棲む妖精馬だ。  ただ一人この背に乗ることを許された、現クリッペンヴァルト国王ラウレオルンといえば、鞍も用いず妖精馬の背にその長身を揺られ、進むたびに波打つ金の髪が、ひとりでに陽の光を集めては零すかのよう、遠目にも確かにきらきらと輝いてみえる。  妖精馬に跨がるクリッペンヴァルト王ラウレオルンの進む先には、(いち)大隊(だいたい)ほどの間を置いて、同じく測ったように、別の布陣を敷く大きな一群が待ち構える。  青金の甲冑を(まと)う、ベスシャッテテスタル軍である。  クリッペンヴァルトの軍から、一人進み出るラウレオルンがどのような速度で歩み、いつを頃合いに両軍のちょうど半ばに至るのか、まるで(あらかじ)め知っていたかのように、まったく同じ距離を詰めて、ベスシャッテテスタルからも軍勢を割って進む者があった。  枝分かれした威厳のある(つの)が苔むし、その足先は岩のようでありながら、歩みに重さを感じさせず、足音も穏やかだ。ベスシャッテテスタルの谷の妖精馬が背を許した者は、無論、ベスシャッテテスタル王ウイアルハナールしかいない。  (かげ)りを帯びた銀髪は背を覆い、けれどこちらは馬の背に揺られても(しと)やかで、エルフという生き物の永遠を思い出させる、青年のような背筋に物静かに伸びている。  相対するというにはまだ幾らも距離のある内に、馬を止めてその背から降りたのは、クリッペンヴァルト王ラウレオルンだった。  谷の王が身も下さぬ内から、胸に掌を当てて額を下げ、礼を示す。  だが、ベスシャッテテスタル王ウイアルハナールも愚かな王ではない。ラウレオルンの額が上がる頃には、その足は既に馬を下りて地についていた。  まさしく眉一つ動かさぬというべき、美しいが鋭い面に、永い時を生きたエルフに特有の深い憂いを桔梗色(ききょういろ)の瞳にたたえて、ラウレオルンの礼を受け、ウイアルハナールは頷く。 「お初にお目に掛かれること、光栄至極に存じまする。ベスシャッテテスタル王、薄暮公(はくぼこう)、ウイアルハナール陛下」  声を張る様子ではなくも、玲瓏たる声はよく伸び響き。国王の座を指すに次ぎ、その名の前に、ラウレオルンは谷の王の二つ名を掲げた。  谷の王ウイアルハナールが、まだ王ではなく王子であった頃のことだ。  その初陣で放たれた強大な魔術は、見渡す限りの空を(かげ)らせ、高くあった陽すら暮れさせたものかと、見る者を驚かせたと云われている。  これが、ウイアルハナールを讃える二つ名“薄暮公”の由来だ。 「クリッペンヴァルトが都ゆ、かかる草深(くさぶか)(かた)へと、よくぞおはしけり。なれど永久(とこしへ)に来ずべかりしを」 (「クリッペンヴァルトの都から、このような辺鄙(へんぴ)なところまで、よくぞおいでになった。永遠に来なくてもよかったのですが」)  返すウイアルハナールの声は厳かで、岩に落ちる雫のごとく涼やかで澄んでいながら、これも不思議に、誰の耳にも届くかによく通る。  わざわざ足された辛辣(しんらつ)にラウレオルンが開こうとした口を遮るものか、ウイアルハナールは少し鼻を上げるようにして、ラウレオルンの背後を示した。 「あな(おびただ)しき軍兵(ぐんぴょう)なるかな。――さすが、貴国にとりては片端(かたはし)なるか。いかが事有るものか、戦など始めむと(おぼ)し召すにや」 (「大層な軍勢であることだ。――とはいえ、貴国にとっては全軍の一部なのでしょう。どうしましたか、戦でもなさるのですか」)  ウイアルハナールが回りくどい挨拶などする気もない、穿っていえば、自分にその価値もないと見なされているのだろうとみて、ラウレオルンはニコリと笑みを浮かべる。 「クリッペンヴァルトは戦を望んだことなぞありませぬ」  言葉を句切り、チラと肩越しに振り返ってから、再び谷の王へと目を戻した。 「先王から玉座を賜り、隣国であり、偉大な魔術王の治められるベスシャッテテスタルへもご挨拶などと愚拙ながら考えた次第。なれど、手前の顔などお望みでないのも承知。さすれば、懐かしの(よろい)(くら)べなぞ余興にせぬかと、こうして運んで参りました」 「(けふ)なし」 (「興味がありません」)  一蹴し、歯牙にもかけぬ様で逸れる谷の王の顔にも、ラウレオルンとて動じず、変わらぬ笑みばかり浮かべ。  短い間もおかぬ内に、ウイアルハナールが地を撫でるような仕草で右の掌をかざし、ふわりとばかり持ち上げた。  途端、岩同士がぶつかりながら転がるような音と共に、地が盛り上がり、岩が突き出して、みるみる内に玉座を築く。  まるで今切り出し、磨き上げられたような白い石の玉座に腰を下ろすと、ウイアルハナールはラウレオルンへ向け、浅く顎を浮かせる。お前も座れということだ。  着座の許しに恭しくも浅く、また額を下げてから、ラウレオルンが右手を持ち上げる。親しい者を呼ぶ時にでもそうするような仕草で、掌を上向け軽やかに手招けば、地の下に大蛇の這うごとくの音と共に、地面を割り開いて樹の枝と幹が顔を出す。  あたかも樹と親しむ庭師が時と手を掛け育て上げたかのよう、美しく編まれ絡み合う、葉と花が飾られた幹と枝の玉座が、谷の王と向き合う森の王を抱き留めた。 「かけず申せ」 (「手短に話してください」)  憂うる桔梗色の瞳を陰銀のまつげに伏せ、ウイアルハナールが億劫そうに言う。 「互いの民を失うばかりの越境を、いつまでお続けになるおつもりか」  ラウレオルンの伸びた背と逆様に、ウイアルハナールは肘掛けに肘を着き、身を傾いで瞬いた。 「――さても…。此方(このはう)(とが)あるやうのたまうかな。森に踏み入れしばかりのエルフをば(すず)ろに追ひ、(あや)めしはそなたらならむ」 (「――なんとまあ…。我が国に非があるかのようにおっしゃる。ただ森に足を踏み入れただけのエルフを、やたらに追い回し、殺しているのはあなたがたの方です」)  この始めのやりとりをすることが、まるで決まっており、知っていたかのように両王は顔色も変えない。気怠げに谷の王が答え、森の王は淡と相槌を打つ。 「武装した兵が許しも得ず国境を越え、都へ向け進むとあらば、その所以は当然問い、いらえなくば退去を請うは統治護国の内。ベスシャッテテスタルは、何故(なにゆえ)、こうも長くクリッペンヴァルトを試されなさる」  憂いがその瞼をひどく重くしているかのよう、谷の王はゆっくりと瞬き、熱のこもらぬ瞳で森の王を眺めた。 「…森のエルフ、(あら)たしきをあらまほしめり。三千年(みちとせ)四千年(よちとせ)に王すら()げ替え、王より王へと(まつりごと)も受け継がれたらずは(さら)なり」 (「…(あなたがた)森のエルフは、新しいものが好ましいようだ。三千年や四千年で王が交代し、その上、王から王へと政治の内容も受け継がれていない」)  薄く伏せる桔梗色の瞳に、ここで始めて、ラウレオルンの眉が僅かに陰る。 「クリッペンヴァルトもエルフの国、王ばかりか民とて、伝統を軽んじようなどという者はありませぬ。なれど、……恥を承知でお尋ねいたします。先の王か、先の先の王か、陛下との約を違えた者でもありまするか」 「――…否や。あらず」 (「――…いいえ。ありません」)  ひどくゆっくりとした声とはいえ、ためらう様子も思い返す素振りもない返答は、即答の内といえるだろう。陰ったばかりであった眉を、ラウレオルンは今度こそ詰めた。 「陛下…」  当惑したようなラウレオルンの声に、ウイアルハナールは瞳を伏せたまま、動かず。 「ウイアルハナール陛下。愚見ながら、このエルフの黄昏に、かようにして、魔術に優れるベスシャッテテスタルの民、剣と弓に長けるクリッペンヴァルトの民が互いに刃を交えて(いたずら)にエルフの数を減らすこと、到底捨て置けませぬ」  ウイアルハナールの目が上がり、ラウレオルンの深碧(しんぺき)の瞳がそれを受ける。 「滅ぶべし」 (「(クリッペンヴァルトなど)滅びればよい」)  意を強くするでもなく、煩わしげに放られた声に、形のよいラウレオルンの唇が薄く開いたまま、短い間絶句する。 「陛下、」 「たかで二千年生けるばかりの小倅(こせがれ)が、さかしらなる舌振(したぶ)りなるかな。黄昏の落日をば押して()異種(いしゅ)情誼(じょうぎ)の輩ぞかし」 (「たかが二千年生きたばかりの若輩者が、知ったような口を利くものだ。黄昏の落日を尚のこと引き下ろす、他種族と親しむ輩よ」)  深碧の瞳を一度強く谷の王に向け、けれど礼を取るよう少し瞼を伏し、ラウレオルンはかすかに頷いた。 「他の種族と深く和親するエルフのあることで、森の精霊の力そのものが弱まるという、エルフには長く伝わる“噂”を信じておいでか。エルフのどの国もがそれについて調べ、究理すれども、一度も証されたことはございませぬ」 「()()たれしためしも、またあらず」 (「否定されたことも、またありません」)  変わらぬ静けさながら、確然と、また間を置かず返された声にラウレオルンは息をついた。  まさしくこれが、クリッペンヴァルトとベスシャッテテスタルの相容れなさそのものであったのだ。 「…信じたるやととぶらひしや、(あらた)の王よ」 (「信じているかと尋ねましたか、新しい王よ」)  呼びかけられ、目を上げて桔梗色の瞳を見つめ。思いがけず真っ直ぐにと返される視線に、改めて目を据え。 「谷の精気ならむや、吾国(あがくに)、魔術師の多く生まるる。(はじめ)がエルフ、ベスシャッテテスタルへ守護を誓ひ、しかして(こふ)()れど、今なほうつろはず。精霊の力の乏しげになりゆくこと、吾が民がためは、我やなんぢには(こころ)も及ばぬ痛苦ならむ。信に足る証なぞ待つものかは」 (「谷の精気のせいでしょうか、我が国には魔術師が多く生まれる。はじめのエルフがベスシャッテテスタルの谷へ守護を誓い、それから長い時が経ちましたが、今もそれは変わりません。精霊の力が衰えてゆくことは、我が国の民にとっては、私やあなたには想像もつかないほどの苦しみです。信じられるだけの証拠が挙がることなど待てるでしょうか。(いいえ、待つことはできません)」)  ラウレオルンは目を瞠り、ウイアルハナールは再び目を伏せる。  緩みかけた眉宇に、けれど森の王は力を込め直した。 「自国の民のため、隣人を殺めても構わぬとお考えか」  上がるウイアルハナールの目が、すうっと細くなり。 「民ぞみな吾が子なる。そなたは如何に」 (「国の民はみな我が子です。あなたはどうですか」) 「同じ思いにございます」  これが、クリッペンヴァルトとベスシャッテテスタルなのだ。  そう、互いに噛んで含めるかのよう、深碧の瞳と桔梗色の瞳は、少し長く、言葉もなく眼差しを結んだまま。 「――…民はみな我が子…。まさしく、王の意にございます。ウイアルハナール陛下」  頷くよう額を下げ、先に口を開いたのはラウレオルンであった。  噛み締めるかに、そう言葉を含んでから、再びその額が上がる。 「我が子を苦しめるとあらば、手前とて隣人を殺めるやもしれませぬ。クリッペンヴァルトとベスシャッテテスタルの諍いは永きに渡るもの。数千年もこれを食い止めずにあって、貴国を(なじ)る指は我が国にもありませぬ」  なれど、と、区切られる声に、ほんの微かにウイアルハナールの瞼が動く。 「他国へと攻め入る魔物の群れを、お見過ごしになられたか。此方(こなた)の思い違いでないのなら、これだけは、エルフの国としてあるまじきこと」  わずかの間を置き、ラウレオルンを見つめた桔梗色の瞳を、ウイアルハナールは再び伏せる。 「()ることはせず。――そは、エルフにあるまじきことぞ…」 (「そのようなことはしません。――それは、決してエルフがしてはならないことです…」)  ラウレオルンの言った通りを繰り返した、深く息を抜くような声。伏せたまま上がらぬ瞼をしばし見つめ。  不意に。落ちた沈黙に息でもつぐかのよう、クリッペンヴァルトの陣営から、近衛の甲冑を纏った一人のエルフが枝と葉の玉座へと駆けてくる。  許しを待って脇に控える近衛を振り返り、それから、谷の王へと尋ねるようにラウレオルンが穏やかに首を傾ぐ。これを受け、ウイアルハナールは森の王へと浅く肩を竦めてみせた。 「何事か」 「――ハッ。ご会談中、失礼いたします。ウイアルハナール陛下、ラウレオルン陛下」  億劫そうに浅く頷くウイアルハナールに額を下げ、跪いて耳打ちを願い出る近衛へと、ラウレオルンは身を傾ぎ。  告げられる報告にいくつか頷くと、目で示して近衛へ退下を促した。  近衛を下がらせれば、ラウレオルンは再びウイアルハナールへと振り返り、玉座から立ち上がると、胸に掌を置き、恭しく礼を捧げる。 「ベスシャッテテスタル王、ウイアルハナール陛下。此度(こたび)、この若輩の意を汲み、ベスシャッテテスタルよりお出ましいただいたこと、深く感謝いたしまする」  告げても、ラウレオルンの頭は上がらない。 「陛下のご胸中、よくよく承知つかまつりました。なれど、仰せの通り蒙昧(もうまい)の王ながら、このラウレオルンにとりても、クリッペンヴァルトの民は我が子。生まれ来る子らを順に傷付け合わせるかの国境の諍い、是が非なるとも承服いたせませぬ」  まだ上がらぬ黄金の髪を、ウイアルハナールが見つめる。 「滅びるがよいとまで仰せになった陛下のご心痛、さようでございますかと知らぬ顔はいたしませぬ」  ようやく上がる面に、深碧の瞳は怒りすら窺えるほど熱く、強い。  だが、このラウレオルンの眼差しを受けても尚、ウイアルハナールの桔梗色の瞳は熱もなく、憂いばかりが深く沈んでいる。 「これを止めるためならば、我が子すら戦火(いくさび)へと投げ込んでご覧にいれましょう。――その次の子らのため」  身を傾いだまま目を伏せ、ウイアルハナールはただ肩を竦めた。 「ベスシャッテテスタル王、薄暮公、ウイアルハナール陛下。このラウレオルン、逃げも隠れもいたさぬ。いつなりと参られるがよい」  桔梗色の瞳が再び上がり、それから、すうっと細められる。 「――…相分かった」 (「――…よく分かりました」)  返る声に再び辞意の礼を取ると、それきり、踵を返したラウレオルンは振り返らなかった。  そうして、金色(こんじき)の王を飲み込んだ一軍は、青野に潮が引くように退き去り。エルフの清淑(せいしゅく)たる歩みとはいえ、立てる砂埃すら、暫しの時を経ればまた静かに凪いで。 「……あたかも、(わらべ)のむづかる如く哉……」 (「……まるで、駄々を捏ねる子供のようだなあ……」)  残された枝と葉の玉座を前に、白い石の玉座に身を傾いだ谷の王が、ぽつりと呟く。  白皙(はくせき)の瞼を伏せ、その日、ウイアルハナールはいつまでもいつまでも、そこに座ったままでいたという。 ―――――――――――――――――――― ※古い言い回しの作文に際し、辞書辞典、既存の文学等にあたって調査していますが、語呂や語感を優先し、時代感等の統一がされていない部分があります。また、文法の誤り等があるかもしれませんが、拙いものとご笑覧いただければ幸いです。
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