手取川の戦い 後編

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――― 元亀2年(1571年)3月、能登の七尾城が上杉派の遊佐氏の調略によって家老の長一族が皆殺しにされ、落城した。 同じ頃手取川で織田軍を待ち伏せしていた上杉軍の存在を何かしらの情報で知ったらしい信長は、途中まで川を渡っていた柴田軍を撤退させた。 これを聞いた謙信は、信長が土壇場になって戦を放棄した事を揶揄して、『信長軍は思いの外弱いらしい』と語ったという。 .
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