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「貴方って、小説を書く時はいつもそんなに悲しいお顔をなさるのねえ―――」
六畳間の縁側から身を乗り出しながら、さち子は文机に向かう僕の横顔を覗き込んでこう口にする。
そのお侠な振る舞いも、裏の無い素直な物言いも、天真爛漫な少女のみが無意識に為し得るものだった。
さち子が勝手知ったる足取りで僕の部屋に上がると、共に入り込んだ清々しい風が、乱雑に山積みになった本や原稿の上に溜まった埃を蹴散らしていく。
彼女の身に付けた一点の汚れも無い純白のワンピースが、重たるい日差しを遮る。
うだるような夏の暑さも、さち子がやって来るとどこへ逃げたものか、すっかりなりを潜めてしまうのだった。
「そんなに悲しく見えるかね、僕の顔は」
汗ばんだ手に吸い付きそうなくらい握り締めていたペンを置き、僕は彼女を見上げる。
「自分の好きな事が出来るのだから、もっと楽しそうなお顔をなさっても良いんじゃないかしら」
「さち子は、僕が楽しさから物語を書いていると思うのかい」
「あら、違うの?」
幸福な人間は創作には向かない、と誰かが言っていた気がする。
人を書く事へ走らせる原動力とは、未来への希望でも、溢れんばかりの熱意でもない。
胸を千々に引き裂かんばかりの悲しみ―――身も心までもを容赦無く蝕むそれから逃れんと筆を走らせる時こそ、偉大な物語は生まれるのだと。
「僕も物を書いてきて長いこと経つが、大概筆が進むのは何か失敗を仕出かして自己嫌悪に陥ったり、将来への途方も無い不安からセンチメンタルな気分に浸っている時なんだよ。幸せでいる時には、何も書けやしない」
僕が常日頃からそんな憂鬱さに慣れ親しんでいる事は、言うまでもあるまい。
「まあ、それで貴方、あたしが来るとまるっきりペンを置いておしまいになるのだわ」
そうやってさち子が無邪気に笑うと、畳の汚らしく赤茶けたごみ溜めの様な僕の部屋も、彼女がいる場所だけは空気が澄んで見えるのだ。
悲観主義者と渾名されるくらい、おおよそ楽観的な考えとは無縁な僕の恋人であるのが不思議な程、さち子はどこまでも伸びやかに、幸福に生きる娘だった。
そして、その幸福を自分のみならず、周囲の人々にも振り撒いていく気立ての良さをも持ち合わせていた。
さち子という名前も、長かりし人生において幸多かれとの期待を込めて彼女の両親が付けたものだという。
彼らの願い通りにさち子は生ける幸そのものの少女へと成長し、今年十八の年を迎える彼女は、今しも幸福な女性への階段を登りゆくのである。
―――身に余るこの与えられた幸福を、自らの手で跡形もなく葬り去ってしまいたいと思い初めたのは、いつの事だろうか。
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