冷徹なる歌姫

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冷徹なる歌姫

 東大陸イルスの中央部。周囲を森に囲まれた街サレナ。釘を使わず木材を組み合わせる伝統建築の建物が並び、木綿で織られた衣服を纏う人々が行き交う街。そこに彼女はいる。  紺碧の海を思わせる美しい長い髪を靡かせ、柘榴石のように紅い瞳は蠱惑的で端正な顔つきと合わせてすれ違う者の目を奪う。  彼女が歩を進める度に履いている銀のグリーヴが鈍い金属音混じりの足音を鳴らし、彼女が来た事を街の人々に知らしめた。  麗しき彼女は自身に向けられる視線など全く意に介さずに街を歩く。人々の賑わいも、その表情も何も意識せず、道を進む。  覇道を進み行くような歩みを見せる彼女の手には、薄紫に金を施した鞘とそれに納まる白い翼を象る持ち手の剣が握られる。 「歌姫様おはようございます」 「ガーネット様おはようございます!」  人々の快活な挨拶に彼女は一切応えず歩き進める。マントをたなびかせ、その下に包む青のローブは袖と丈が短く一見すると魔法使いにも見えたが、黒い下地に青の手甲を両手につけ下半身もこの世界では珍しい短い丈の男着と、彼女の存在は端麗な容姿と共に異質と言えた。  真一文字に口を結び表情らしい表情もなく、冷徹に街を行く彼女の名前はルリエ・クレスティア・ガーネット。世界の平和を祈り歌う歌姫と呼ばれる存在に選ばれた巫女。  ルリエは晴天下の街をひたすら歩く。だが宛もなく歩いている、というわけではない。  街の外側に来ると通りを挟んで悲鳴が聴こえ、そちらへとルリエは方向転換。  やや早歩きで進みつつ左手に持つ剣を鞘から抜き、薄青色を帯びた白銀の剣を手に取って駆け出す。  刹那、甲高い奇声と共に目の前に落下し現れる茶色の毛むくじゃらの獣のような存在を躊躇いなく剣で一閃、首を跳ね飛ばすとそのまま通りに出て姿を見せた。  荒らされた市場、果物が散乱し屋根も壊され、何人かの人間が負傷し血を流しており、腰を抜かし逃げ切れてない人々や建物に隠れ怯え潜む者もいる。  その惨状を作り出したのは先程ルリエが切り捨てたものと同じ獣のような存在・トロールと呼ばれる猿にも似た魔物の一種の群れ。  それぞれが果実などを食い漁る中ルリエの存在に気づき甲高い声で鳴き、一斉にルリエへと飛びかかる。  ルリエは右手側のトロールを小さく韻を踏むように踏み込んで真っ向から両断、次いで足を踏み入れ込みつつ身体反転して真一文字に剣を振り抜きあるものは目を、あるものは腕を、あるものは身体を切られながら三体のトロールは叩き飛ばされ、建物や壁に打ち付けられてじたばたともがき苦悶するのみ。    鮮血を画く美しくも残酷なる剣技の前にトロール達は何処かへと敗走しようとするも、ルリエは駆け出すとまず一匹を背後から切り裂き、血肉を断ち切り頬に微かに血がつく。  次いで隣の一匹を刺し貫き、最後の一匹が破れかぶれに飛びかかるのに対しては剣を使わずに小さく呟く。 「氷結する祈りよ凍えて詠え、ティリス・ジス・バルド」  その言霊と共に飛びかかるトロールの周囲に逆巻く冷気が急発生したかと思うと、トロールの身体を薄青色の氷塊が閉ざす。  剣で貫いたトロールの骸を足で抑えて剣を引き抜き、縦一文字に振られた剣が氷塊もろともトロールを切り裂き、砕け散る氷塊と共にその身を四散させ消滅。  何もない場所であろうと、突然現れ命あるものに害をなす魔物。  そんな相手にルリエは一切恐れもなく、躊躇いもなく、ただ冷徹に剣を向け打ち倒す。麗しい姿とは異なる勇ましい姿、しかし、彼女にはそれ以上に恐ろしい側面が存在する。  剣を下へ振ってルリエは剣を鞘に納めようとすると、恐る恐る近づいて来た幼い少女と目が合い紅い眼で見下ろす。 「あのっ……! う……歌姫さま、ありが……」  少女がまだ抜けてない恐怖の中で必死に感謝の気持ちを口にしようとした刹那、ルリエは剣の切っ先を素早く少女に向け、それに驚いた少女は尻餅をつきルリエを見上げながら身体を震わせる。  「感謝を述べるくらいなら、殺されないよう強くなれ」  幼い少女に向けるべきではない冷徹なるその言葉は場の空気を凍てつかせた。だが、それ以上に少女はルリエの眼差しに恐怖する。  永久凍土の如き冷たい眼差し。先程まで感じていた以上の恐怖が身体を包み込み、流しかけた涙すら凍ってしまうような気がした。  それは直視していないその場にいた者達も感じるもの、少女は何も言えず動く事もできず、ただただ怯え恐怖する。    やがてルリエは剣を鞘に納めてその場を後にする。何事もなく冷淡に、氷のように美しくも残酷な空気を纏って。 ーー氷姫。冷徹なる歌姫、殺戮の乙女、街の住人からルリエは様々に呼ばれていた。  歌姫とは魔法の力を持つ者の中から特別な者が選ばれ、そして巡礼の旅にて祝詞を捧げて平和を祈る穏やかな存在。慈しみをもって人々に接するもの、そんな偶像が人々の認識としてあった。  しかしルリエは違った。優れた魔法の才だけでなく、女の身でありながら剣を手に戦う存在。強さこそ全てと覇道を進む姿はまさに戦姫。  彼女の言葉に感化された者は少なくはないが、それ以上に畏怖する者の方が多い事もまた事実。    だがルリエ本人は自分がどのように思われるかなどどうでも良かった。日々剣技を研鑽し、時折街に現れる魔物を相手に力を試し、歌姫として世界を巡礼する事すら強さを求める為の修行程度の認識。  弱いものは生き残れない、死にたくなければ強くなればいい。  二年前サレナの街に来た際に言い放ったその言葉に潜むものが何か知る者はいない。強さを追い求めるルリエの見ているものなど、わかる者はいない。
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