怒穢 -2030年「ERIV30」の一幕-

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 人々が自覚症状を持ち始めたとき、世界はすでに終わっていたのだろう。  Erinys Virus(エリニュス・ウィルス) 2030──通称ERIV30。  復讐の神を冠したこのウィルスは、推定1年という潜伏期間と空気感染を経て、全人類を怒りの暴徒に仕立て上げた。すこしでも苛立たしいことがあれば狂気的な怒りに見舞われ、見境のない破壊者と化す。    ERIV30というのは、ギリシャ神話に詳しい学者がつけた名前らしい。なぜ学者がウィルスの名づけ親になったかと言えば、そのころ、すでにWHOを始めとするすべての保健機関が機能不全に陥っていたからだ。    皆が狂い始めた初期のころから、精神安定剤が有効であるという噂が流れ、感染者たちは各病院を襲撃。製薬会社、大学と続き、各種の周辺保健機関が狙われ、世界はどんなライフラインよりも先にワクチン製造の道を失った。  今の人類は、安定剤のために殺し合うか、この世を諦めて自死するかの選択を常に迫られている。  特筆すべきは、経済という概念が完全に消滅したことだ。  人々は金を信じなくなったし、金の代わりとなるものも存在しないとわかっていた。安定剤や麻薬を大量に持っている人でさえ、それが延命よりも危険につながることを承知している。    もはや世界の人々に、金で動けるほどの理性はない。どれほど大量の薬物を金代わりに持っていても、いつかは枯渇し、雇っている部下が発狂して組織を瓦解させ、指導者は一人ぼっちになるだろう。時限爆弾と一緒だ。    ERIV30は人類の組織化を許さず、すなわち権力の形成も許さない。
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