怒穢 -2030年「ERIV30」の一幕-

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 タクミは、耳を澄まして遠くの音に集中した。先ほど上がった奇声に呼応し、いくつかの怒号が飛んでいる。    ERIV30のパンデミック下では、よく見られる場面だ。誰かが怒って叫ぶと、その声に苛立って周囲の人も怒り狂い、連鎖的に数十名の人間が殺し合いを始める。これがため、人類は最初の一ヶ月間で半数以下まで減少した。  しかし、今の声は多く見積もっても10名以下。公道のおぞましい小山を見るに、殺戮のピークは越えているはずだ。大規模な殺し合いが続くと、人口は一気に減少する。そうして徐々に争いの規模が縮小されていくと、感染者同士が出くわす確率も減っていく。  今なら、町の周辺を見て回ることができるかもしれない。  タクミは、林に隠れながら後ろを振り返る。  やはり、隠れ家に彼女が帰ってくるのを待つべきだろうか。  ERIV30が猛威を振るう前から交際していたミサキと編み出した生存戦略は、小規模の町の周辺を転々とするジプシーのような生活だった。    このウィルスは、コミュニケーションそのものを人類の敵にしてしまう。人が多い地域での生活は厳しく、世界中のインフラが機能不全となっていることからも、都市部より自然に近い場所のほうがよいと判断したのだ。  キャンプ用品と、太陽光発電のポータブルUPS(無停電電源装置)があれば、資源以外はなんとかなる。UPSの劣化具合からして、あと数ヶ月も持てばいいほうだろうが、今のところはうまくいっていた。    ERIV30の分断能力は、2019年を境に起きたCOVID-19よりも凄まじい。タクミとミサキという恋人同士でさえ、コミュニケーションは互いが安定剤を使っているときのみに限られ、別行動を取らざるを得ないほどだ。    ミサキは今日、二人で決めた生存確認時刻に戻ってこなかった。彼女のいない世界など想像したくもないが……彼女が生きていると信じて孤独に生きるのも、また地獄である。  彼女は今朝、町へ行った。食料や安定剤を探すために。  タクミ自身の安定剤も多くはない。いずれは、未調査の医療機関に手をつけることになる。   「……今、助けにいくから」    タクミは、慎重に隠れながら、町の外周に沿って歩き始めた。
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