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静岡県内の北側に位置するこの町は、県内の山際にある多くの地域と同じく、見事な茶畑を有していた。瓦やスレートといった新旧の家々が入り混じり、昔ながらの閉塞感を残しつつも、小綺麗で住みやすい印象を与えたはずだ。
……本来ならば、だが。
「慎重に……慎重にだ……」
吐息のようなかすれ声で自身をなだめながら、タクミは町の外周に沿ってゆっくりと歩く。本来なら茶畑が恰好の隠れ場所となるはずだが、誰かに燃やされたらしく、大部分が消し炭になっていた。町には血と死体が転々とし、きれいに残っている建物が、逆に不気味さを演出している。
20分ほど歩いたが、タクミが目をつけた場所の近辺に人影は見つからなかった。
「やっぱり、少ないな……」
安定剤の残量を見て、タクミは顔をしかめた。節約しながら暮らして、あと一週間とすこしが限度だろう。今や安定剤の補給先は、廃墟となった保険機関か、タクミのような保有者から奪うしかない。
双眼鏡をかけ、改めて目標を見る。
タクミが隠れている茂みから100メートルと少し先に、薬局があった。隣接したクリニックの看板には『内科』とあるが、薬局には安定剤が残っているかもしれない。
タクミとミサキが田舎の町を転々としていた理由の一つも、これだった。抗不安薬の類は、20世紀のころから頻繁に処方され、高齢者の中には、昔から睡眠薬代わりに飲んでおり手放せない人もいる。2029年ごろでも、地方では心療内科や精神科に限らず抗不安薬等が処方され続けていたらしい。
細心の注意を払いながら、タクミは薬局へ近づいた。途中、いくらかの死体を見たが、もはやそれは日常の景色だ。あの小山のごとく異様な光景でなければ、驚くに値しない。
かつて自動ドアだったものは、完全に破壊されていた。
薬局の白壁に身を寄せ、中の様子を伺うと──
なにかを叩くような音とともに、つぶやき声が聞こえた。
「おいっ……薬を持ってるんだろう……どうして隠すんだ……」
老いた男が、血染めの白衣を着たなにかへ向けて、包丁を振り下ろしていた。
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