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タクミの心臓がとまりかけた。
すぐに顔を引っこめ、薬局の植え込みの影へ身を潜める。
「……! ……!」
──治まれ! 頼む! 治まってくれ……!
両手で口元を押さえ、叫びたくなる衝動を必死に抑制する。驚きと怒りはタクミを蝕むように体内をかき回し、彼に弱い痙攣まで引き起こさせた。……だが、ここで薬を飲むべきではない。今の状態では物音を立てかねない。
タクミは、口を押さえながらも鼻で深呼吸を続けた。徐々に怒りが治まっていくと同時、薬局内にいた男が包丁を持ったまま出てきて、薬局の敷地をあとにしていく。
数分ほどかかったが、タクミは落ち着きを取り戻した。
改めて薬局内を確認する。今度こそ、危険はないらしい。
「……あの人は、もうダメだろうな」
凶行に及んでいた男は、70代くらいに見えた。一方、刺されていた薬局関係者はすでに白骨化したうえ砕かれており、死臭すらない。いの一番に殺され、時間が経ちすぎたのだろう。肉を刺す音でなかったのは、これが原因だ。
あの男は、毎日のようにこうして薬局へ通っているのかもしれない。感染者の末期状態だ。
ウィルスそれ自体は怒りと暴力衝動のみを引き起こすが、何人も殺していると他の精神疾患を併発し、偏執的な妄想を抱くようになる。そうなると、安定剤があろうがなかろうが、もう戻ってはこれない。
だが、男の得物が猟銃などではなく、包丁なのは幸いだった。
消音器でもついていなければ、発砲音は人を緊張させ、感染者を極度の怒りへと駆り立てる。ゆえに、ERIV30の症状が現れたとき、銃社会を持つ国が真っ先に陥落していった。
以前、タクミがこの町の近辺で発砲音を耳にしたときも、すぐさま地獄が形成されたものだ。ゾンビ・アポカリプスなら猟銃はいい武器かもしれないが、ERIV30では災厄を招く。
「頼むぞ……」
乾いた血痕が散見されるカウンターを横切って、薬局の奥を調べ始める。望みは薄いが、ゼロではない。
薬の保管場所は何度も荒らされた形跡があった。薬などなく、棚の引き出しの多くが投げ捨てられ、壊されている。リノリウムの床には医療関係者と思しき白骨死体があり、頭部や胴の骨を砕かれていた。
タクミは、この惨状にむしろ希望を持った。丁寧に探索された形跡がないからだ。舐め取るようにすべてが調べられていないあたり、ここにバックパッカーが来たことはないのだろう。
彼は、怒りに囚われた思考では考えないであろう場所を探していく。
引き出しの奥と、その天板。棚の裏。事務用品が入ったキャビネットの中……。
見つかったのは、少量の解熱剤と痛み止め、および抗てんかん薬だった。
即効性のある抗不安薬が望ましかったが、仕方がない。抗てんかん薬の一部も、不安や怒りの長期的な治療に使用される。ERIV30に効くかどうかはわからないが、少なくとも安定剤の使用頻度を抑えることはできるはずだ。
「ないよりはマシか……」
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