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12
「あんた、名前は何ていうんだい?」女の人は、唯ちゃんの頭を撫でながら、私に聞いた。
唯ちゃんはまだ時折しゃくりあげていたけれど、だいぶ落ち着いて肩から力も抜け、呼吸も静かになっていた。女の人は、化粧が濃くて年齢もわかりずらく、少しきつい感じの雰囲気だけれど、私と唯ちゃんを見る時の眼差しには、温かい優しさが溢れているのが感じられた。
「あ、あの、美咲って言います」
「そうかい。で、この子は唯ちゃんだね。創木美咲と創木唯。そうだね?」そう言って女の人は、愛おしさを隠しきれないようなしぐさで抱き着く唯ちゃんの頭に頬で触れた。
「え、あの、どうして私たちの名前を……」前に会った時、私の苗字なんか教えたかな? と思いつつ聞いた。
「私も同じ名前を持つからさ」
「同じ、名前?」
「創木だよ。創木和代って言うんだ」
「創木、和代? 同じ苗字? どうして……?」
「さあね。遠い親戚なのさ、私たちはね。どれだけ昔に枝分かれしたのかわからないほど遠いね」
遠い親戚? この目の前にいる女の人が?
「最初に会った時、空気でわかったよ。あんたも力を持っているなってね」
「でも……」
「私たちのこの力はね、血と名前に引き継がれていくんだよ。だからこの力を持つ女はみんな創木って言う名さ。あんたもこの子も、父親がいないだろ」
「はい、いません……、でもどうしてそれが」
「父親は名前を変えちまうからね。この力は、なぜかそれを嫌うんだよ。そして男がこの力を持つことも許されない。理由は知らないよ。ただ、産み出すってことが大事なんだよ。その痛みに耐えられない男は、どちらにしろこの力を持つ資格がないってことさ。だから男の子供も生まれない」
唯ちゃんは女の人に抱き着いたまま膝の上で寝息を立てていた。禍々しい気配を放っていた靄のような人影も、だんだんと薄れてきて今はもうよく見えなくなってきている。
「この子はすぐに気づいたみたいだね、私が血の繋がりのある者だってことに」
「それでさっき」
「ああ。何の迷いもなく、私に助けを求めてきたのさ」
私はやっと落ち着いて、自分が床に座り込んだまま女の人の脚にしがみついていることに気付いた。
「もう大丈夫だろ。ほら、そこの椅子に座るがいい」女の人はそう言って脇にある椅子を示した。
私は力の抜けた脚でなんとか立ち上がり、その椅子を引き寄せて座った。
「ちょっと悪いがね、そこの棚にある、鼠色の袋を取ってくれないか」そう言って女の人は、水晶玉やいろんな色の磨かれた石が置いてある棚を指さした。
「これですか?」と言って私は、そこにあった鼠色の小さな袋を持ち上げて言った。
「ああ、それだそれだ。それをこっちにおくれ」
そう言われて私は袋を女の人に渡した。
女の人は、その袋の中から細い革ひもを通した黒い小さな石のペンダントを取り出した。
「黒曜石のかけらから作ったものだ。この子の余分な力を吸い込んで、心を乱すものを寄せ付けないようにしてくれる。お守りだと思って身につけておくといい」そう言うと、女の人はそっと唯ちゃんの首にそれを結んだ。同時に、微かに残っていた靄のような人影も、次第にまったく見えなくなっていった。
あ、そう言えば……。と思って私はタロットカードのことを思い出した。私が唯ちゃんのことをここに連れて来ようと思ったのも、唯ちゃんがタロットカードを使って遊んでいる時の奇妙なやり取りを思い出したからだ。
「運命の輪?」
私はその時の話を女の人にした。
「ああ、そう言うことだったのかい。『運命の輪』ね。この子はその時、運命の選択を迫られていたのさ」
「運命の選択?」
「ああ。この力を自分のものにするか、捨て去るかのね。もっとも、もうこれだけ一線を越えちまったら、後には戻れないけどね」
「それってどういうことですか?」
「もう捨て去るって選択はできないってことだよ」
「そんな。唯ちゃんはまだ……」
「ああ。その選択に、この子の意志はなかっただろうね。まだこんな小さい子だからね。けど、この力は、いちいちそんなことを気にしちゃくれないんだよ。あんたにだってあったはずさ、自分のものにするか、捨て去るかの選択の時がね」
私は必死に記憶の中を探した。そんなこと、あっただろうか……。
「気づいていないだけだよ。誰にでもある。創木の名を持つ女にはね。ただ、力には強い弱いがある。そして大抵の者の持つ力は、そんなに強くない。だから自分に力があるって気づかない者も多いのさ。そして成長していくにつれ、幼い子供の妄想癖みたいに自然と消えて行く。それがつまり、捨て去る選択をしたことになる。けれど、この子の力は強すぎるんだよ。抑えきれないほどにね。自然と消えてくれるほど甘いもんじゃない。そしてそれにはあんたも関係している」
「私も……」やはりおばあちゃんが言っていたことは本当なんだろうか。
「あんたがきっかけになって、この子の力をさらに引き出したんだ。あんた、この子に自分の力を見せただろ」
「はい……。探し物をする手伝いとか……」
「それをこの子が見て、そんなことができるのが当たり前だと思い込んだのさ。だから自分の力の違和感に気づかなかった。そしてこの力は呼応する。あんたのその力が、この子の力に呼び掛けたのさ。目を覚ませとね」
私は自分の力を軽い気持ちで唯ちゃんに見せていた。まさか唯ちゃんにも同じ力があるなんて思いもせずに。そして唯ちゃんをこんなに苦しませる結果になるなんて思いもせずに。
「まあ、そんなに気にすることはないよ。これだけ強い力だ。あんたが見せても見せなくても、そのうちこの子の力は目覚めただろうよ。それが少し早かっただけの話さ」
そうかも知れない。そうかも知れないけれど、まだこんなに幼い唯ちゃんにとって、それはとても大きな重荷だったはずだ。現に今、こんな目に会っている。やっぱり、少なからず私のせいだ……。
「ほらほら、落ち込むんじゃないよ。過去のことをくよくよしてどうすんだい。これから先のことを考えるんだよ。この子のためを思うんならね」
「でも、この先どうすればいいんですか? 私でさえ、これがいったいどういうものか、よくわかっていないのに」
「そうだね。この子が怯えなくてもいいように、支えになってやることだね。それがまず第一だ。あとはこの力が特別であることを意識させることだ。異質で、誰でも使えるものじゃないってね。そうすれば、自ら抑える術を学んでいくことになる。それでもどうしても苦しくなったら、また私のところにくればいい」
私は女の人の言葉を胸の中に留めた。
「ところでちょっと、まだどうしても立ち去らない者がいるようだね」そう言って女の人は、店の奥の片隅にできた暗闇に目をやった。
「あれはなんかちょっと違うね。なんだい、あれは?」
そう言われて私は女の人の視線の先に目をやった。けれど、私には何も見えなかった。
「なんかかぶっているね。ヘルメットってやつかい?」
そう言われて私は息を呑んだ。
「ずいぶんはっきり見えるよ。黒い服を着てね。ああ、そうかい。わかったよ。あいつはあんたが連れて来たね。身に覚えがあるだろ」そう言われて私は「はい」と答えた。
「まあいいさ。深くは聞かないよ。なんだか……、そうだね、この子が連れてきた奴らみたいに、乱暴な感じはしないね。あんたに深く関わろうとしている。個人的に繋がりでもあるのかい。なんだかよくわからないね。ちょっとあんた、そこのテーブルをここに」そう言われて私は、横にあった小さなテーブルを女の人の前に置いた。
「私は手が離せないからね、自分でやってみな。まずはそこの布を敷いて」そう言われて私は前に見たベルベットのような布をテーブルの上に敷いた。
「そうだ、それでいい。それと、その棚の上から、好きなタロットを持ってきな」そう言われて私は、棚の方に目をやった。
「好きな、ですか?」
「ああ、そうだとも。たくさん並んでいるだろう。その中からいちばん気が合いそうなのを見つけるんだ」
気が合いそうなのを……。そう言われて私は棚の上に並ぶタロットカードを眺めて行った。デザインはそれぞれ違ったが、どれも同じに見えた。けれど……、けれどその中の一つに、何やら視線を感じるものがあった。長い剣を持つ、黒髪の女の絵が描かれていた。
視線は、その女の絵からだった。
「これ……」私はそのタロットカードに触れた。
「そいつをこっちに持ってきな」
「え、でもまだ……」私はまだ棚に置かれたカードの三分の一ほどしか見ていない。
「いいんだ、それで。他のカード何て関係ないんだよ。それはあんたが選んだんじゃない。そのカードがあんたを持ち主に選んだんだ」そう言われて私はそのカードを持って椅子に戻った。
「さあ、やり方はこないだ見せてやっただろ。同じようにやってみな」
私はそう言われてタロットカードをケースから取り出し、裏返してテーブルの上に広げた。前に言われたことを思い出し、全部のカードに思いを込めるように触れて行った。やがてそれを一つにまとめると、適当なところで三つの山に分け、順番を変えてまた一つにまとめた。
「いいだろう。じゃあ、そこから五枚のカードを引いて、十字に並べてごらん」
私は言われるままに、目の前に十字の形にタロットカードを表返して並べた。
「いいかい。タロットカードはあくまで手段だ。あんたの力を見える形にする方法でしかない。わかるかい? それぞれのカードにはそれぞれの意味がある。けれどそれに囚われちゃいけない。人との会話と一緒さ。相手の性格を知って、言おうとしていることをうまく引き出してやるんだ。いいね。さ、左にあるカードに触れてみな」
そう言われて私は一番左のカードの上にそっと手を添えた。
「さあ、何を感じる?」
私は触れたカードを見つめ、意識を集中した。
「ⅴ」と書かれ、五つのカップに目を落とす男の絵が描かれている。
「絵から何かを読み取ろうとするんじゃない。触れた手からそのカードの思いを読み取るんだ」
私は目を閉じ、普段唯ちゃんの探し物をする時のように、カードの思いを探った。
ふと手のひらが温かくなったように感じた。
そして同時に、匂いが変わった。
力だ……、と私は思った。
さっき女の人が「立ち去らない者がいる」と言っていた場所に気配を感じた。
匂いはそちらからしてくる。
海の匂いがする。
海の表面を通り過ぎてきた風が、潮の香りを運んでくる。
私はその匂いに、意識が遠のいて行くのを感じた。
視界が暗くなる。
と同時に、気配の主の想いが流れ込んでくるのを感じる。
何かを……、何かを探して欲しいと言っている。
そしてそれを使って、助けて欲しいと……。
何を……、何を?
何を探せばいいの?
誰を助ければいいの?
「次のカードに触れてみな。次は一番右だよ」遠くから聞こえる女の人の声に促され、私は右のタロットカードに触れた。その瞬間、ガツンッと言う衝撃を全身に受け、私は底のしれない痛みと恐怖に襲われ思わず悲鳴を上げた。
私はわけもわからずタロットカードから手を引っ込めた。
意識が一瞬で現実に引き戻される。
「い、いまのいったい……」
鼓動がドクドクと巨大な音を立てて私の胸を締め付けた。
「どうだったい?」
「助けて欲しいと……、言ってます」
「まあそりゃだいたいそうだろうね」
「けど……、けど違う。この人が助けて欲しいのは……、誰か別の人……」
「ほう?」
「何かを探して、それでその人を助けて欲しいと」
「それで、それが何なのかわかったのかい」
「いえ……、それが……、それを知る前に、何か大きな衝撃があって……、それですべてを失って……」
私は今まで触れていた一番右のカードを見つめた。
「ⅴ」と書かれていて、五本の剣を拾おうとする男の絵が描かれていた。
「そうかい。うん。まあ、上出来だよ。初めてでそこまで感じることができたならね。今日はそのくらいにしておきな」
「でもまだ……」
「初めから飛ばし過ぎるのはよくないよ。それにどちらにしろ、あいつはもういないみたいだ」
そう言われて私は店の片隅の暗闇に目をやった。元から何も見えはしなかったのだけれど、それでもさっきよりは暗闇の深さが無くなっているのがわかった。
「おねえちゃん……」
私はその声に思わず顔を上げた。
「唯ちゃん!」
「気が付いたみたいだね」そう言われて唯ちゃんはまた女の人に抱き着いて顔を埋めた。
「おやおや、もう大丈夫だろ。甘えたさんだね」
そう言われて唯ちゃんは抱き着いたまま首を横に振り、くすくすと笑った。
「いい匂いがするの」
「いい匂い?」私がそう尋ねると、唯ちゃんは頷いた。
「わからないけど、大好きな匂い」
「そうかいそうかい」と言って女の人は嬉しそうな顔をしてまた唯ちゃんの頭を撫でた。唯ちゃんにはもう、ここに来た時のような怯えはいっさいなかった。元の唯ちゃんに戻っている。そう考えただけで、私は喜びで胸がいっぱいになった。
「さ、もうお家に帰る時間だよ」そう言って女の人は、唯ちゃんを床に立たせた。
「やっと可愛いお顔を見せてくれたね。ああ、ああ、なんて可愛いんだろうね」そう言う女の人に、唯ちゃんは恥ずかしそうににっこり笑った。
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