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5
木曜、金曜と、弘斗はちゃんと教室に来ていた。けれど弘斗はやはり無口で、日曜の砂浜であんなに言葉を交わした弘斗の姿は教室にはなかった。
家に帰ると私はいつもベッドに横になり、弘斗と言葉を交わしたLINEの画面をじっと見つめた。
何度もメッセージを送ろうかと考えたけれど、面倒がられたり嫌われたりするのが怖くて何も言えなかった。そんなことを考えるうち、すでにLINEの画面の中にある弘斗との会話さえ、なんだか夢だったのではないかと思えてくる。
ご飯を待っている間にスマホを握り締めたまま眠ってしまったようで、気が付くと窓の外は暗くなっていた。
もうすぐご飯だと言うおばあちゃんの声に部屋を出ると、居間に唯ちゃんの姿があった。今日は頭のてっぺんを黄色いヘアゴムで止めている。
「唯ちゃん、いらっしゃい」と声をかけながら、飾りは何かなと思って見てみると、どうやらたい焼きの飾りのようで思わず微笑んだ。
「おねえちゃん、トランプしよ?」
「トランプ?」と言って唯ちゃんの手にしているものを見た。
「ああ、それね。トランプじゃなくて、タロットカードって言うんだ」
唯ちゃんはどうやら、私が部屋に置いていたタロットカードをトランプと思って独りで遊んでいたらしい。
「タロットカード?」
「そうだよ。占いをするためのカードなの」
「ふーん」そう言いながら、唯ちゃんはタロットカードに描かれた不思議な絵を一枚いちまい眺めていた。
「この子がね、私のこと好きなの」そう言って唯ちゃんは、一枚のカードを私に見せた。
「この子?」
「WHEEL of FORTUNE」と書かれているが、私は読み方すらよくわからなかった。私は慌てて部屋に戻り、女の人がくれた冊子を片手にそのカードを見た。「運命の輪」と言うカードらしい。大きな変化を示唆すると書いてある。
「これが、どうしたの?」
「この子がね、私のこと好きなの」
「好き? 唯ちゃんのことを?」
「うん。見ててね」そう言って唯ちゃんは、すべてのタロットカードを裏向けて座布団の上で混ぜると、その中から一枚のカードを抜いて表返した。
「ほらね」
「ほら?」
唯ちゃんが見せてくれたカードは、「運命の輪」のカードだった。
「うん。もう一度やるよ?」そう言って唯ちゃんは、もう一度すべてのタロットカードを裏向けにして、座布団の上でかき回した。
「見ててね」そう言うと、唯ちゃんはまた一枚のカードをその中から引いた。
「ほら」
その手にはまた、「運命の輪」のカードが握られていた。
「え? どういうこと?」私はそれがどういうことなのか今一つ飲み込めず、座布団に裏返されたタロットカードをぜんぶ表向けにしてみた。どこをどう見ても、何の変わりもないタロットカードだ。
「何度やってもね、この子が私のところにくるの」そう言って唯ちゃんは、またそのカードを他のカードと一緒にして、裏返して座布団の上でしつこいほどにかき混ぜた。
そして一枚のカードを抜き取ると、それを表返して「ほら」と言った。
「そんな……」
唯ちゃんの手にはやはり、「運命の輪」のカードがあった。
「何かを言っているんだけど、うまく聞こえないの」唯ちゃんはまじまじと「運命の輪」のカードを見つめながら言った。
「何かを?」
「そう。何かを言ってるの」
結局日曜になるまで、弘斗とは何の会話もなかった。
ほんとに、会うんだろうか。
私はもう、半信半疑になっていた。
けれど約束をしている以上、行かないわけにもいかないだろう。
そう考えて、私はジーンズにジャケットを羽織り、スニーカーを履いて砂浜に向かった。
晴れた日曜だった。
私は砂浜までの道を時計を見ながらゆっくりと歩いた。
あまり期待はしないでおこう、そう自分に言い聞かせながら歩いた。
もしかしたらもう、あんな約束なんて忘れているかもしれない。
教室での無口な弘斗の背中を思い出し、そんな風に思った。
けれど、その考えとは裏腹に、胸の中では弘斗に会えるかもしれないと言う思いでいっぱいだった。
私は、弘斗に会いたいのかなあ。
自分にそう問いかけた。
ひどく緊張する。
緊張しすぎて苦しいくらいだ。
なんでこんな思いまでして会わなくちゃいけないんだろう。
けど、けど、もし会えなかったらすごく残念だろうなと思う。
ずっとうつむいてそんな考えに苛まれながら、気が付くと砂浜が見えてきた。
時間は五分前だったけど、そこに弘斗はいなかった。
ちょっと複雑な思いをしながら砂浜の見える石段に腰を下ろし、三十分待ってこなかったら帰ろうなんて思っていると、「おーい美咲、どこ見てんだよ」と後ろから弘斗の声がした。
「え、ああ」と私はその時の複雑な気持ちをそのまま表情に出してしまいながら返事をした。
「気づかなかったのか?」そう言いながら弘斗が近づいてきた。
緊張を通り越して、まるで石になったように何も考えることができなかった。
「緊張してる?」そう言って弘斗は覗き込むように私の顔を見た。弘斗の顔が近い。私はまともに目を合わせることができず、俯いてしまった。
「う、うん。少し……、ごめんなさい」私は必死に笑顔を作ったけれど、ちゃんと笑顔になっているかどうか自信がなかった。
「あはは、リラックスしろよ」弘斗の見せた笑顔は、教室では決して見ることのできない表情だった。
さっきまで石のようになっていた私の心は、そのままでいいのに今度は何を思ったかドキドキと顔を赤らめるくらいに激しく心臓を動かし始めた。
「さ、行くぞ。バイクに乗るの、初めてか?」
「ば、バイク?」
「ああ、そうだ。ズボン履いて来いって言ったろ? 何のためだと思ったんだ?」
「え、ああ、それでだったんだ」
なんだろう、なんだろう、前にこの砂浜で会った時には、もっとちゃんと話せていたのに、今はぜんぜん言葉が出てこない。弘斗の後ろを歩きながら、足がふわふわとした。
砂浜沿いの道路に出ると、そこに一台の赤いバイクが止められていた。
タンクの部分に「kawasaki」と書かれている。
「これに、乗るの?」
「ああ、そうだ。俺のバイク。もともとは、兄貴のだけどな」
バイクなんて、自分は一生乗るようなことはないだろうと考えていたせいで、それがどんなものかなんてちゃんと見たことすらなかったけれど、今こうやって「乗る」と言われて近づいてみると、それは鉄でできた凶暴な猛獣であるかのように見えた。
「さ、これかぶれよ」そう言って弘斗は黒いヘルメットを渡してきた。
「えっと……」どうすればいいの?
「ほら、見てな。こうやってヘルメットの両側のストラップを持って広げて……」そう言って弘斗は私に見せながら、自分のヘルメットをかぶった。
「少しきついけど気にするな。そう言うもんだから」そう言って弘斗は私が不器用にヘルメットを頭に乗せるのを見守った。
けれどどうにも入りそうにない。
「そうそう、そのまま下に力いっぱい引っ張るんだ」
私は言われるままに頭を押し込んだ。
「そう、それでいい。ちょっといいか?」そう言って弘斗は、私の顔にかかった前髪を、ヘルメットの内側に押し込んでくれた。
「これでいいだろ。さ、乗るぞ」そう言って弘斗は私の返事も待たず、先にバイクにまたがってスタンドを上げた。
「ほら、またがれよ」
そう言われても、後ろのシートは腰より上で、私は必死で足を持ち上げなければならなかった。
「ほら、ここに足を乗せるんだ」そう言われて私は、バイクの後ろのタイヤの辺に、小さなステップがあるのを見つけてそこに足をかけた。
「いいか? しっかりつかまれよ?」
「つかまる? え、待って! どこに?」
「俺にだよ。俺につかまれって」
「え、弘斗に? 触っていいの?」
「やっぱ美咲、変わってるな」そう言う弘斗の笑い声が聞こえてきた。
私は恥ずかしくなって、そっと弘斗の腰に手をやった。
「そんなんじゃ、振り落とされるぞ? もっとしっかり手を回してつかまれって」そう言って弘斗は、私の手を取って自分の腰に強く押し付けた。
もう私は恥ずかしさとバイクに初めて乗る緊張とで何も言えなかった。
ただ、弘斗の体は、思っていたよりたくましかった。
「さ、行くぞ」弘斗はそう言ってバイクのエンジンをかけ、慣れた手つきでクラッチを切り、シフトを入れるとアクセルを回した。
シートを響かせて聞こえてくる排気音は、体全体を震わせた。
ゆっくりと走り出したバイクは、瞬く間にスピードを上げ、流れて行く景色の速さに私は息をのんだ。
「寒くないか!?」弘斗が風の音にかき消されまいと大きな声で聞いた。
「うん、大丈夫!」私はさっきまで石のように緊張していたことなど忘れて、必死に弘斗にしがみつきながらそう答えた。
目に映るものがどんどんと後ろに過ぎ去って行く。
ただ、海に映る太陽のきらめきだけは、どれだけ走っても同じ場所から私たちを見ていた。
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