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ドアノブが音を立てた気がした。
そろそろ奏太が来る時間だった。
いつもなら、「ただいま」の声とともにドアが開くはずだが、誰も入ってくる気配がない。
その時、確実に、ドアの外で物音がした。
磨いていたグラスを置き、カウンターを出てドアへと向かう。
ほんの数歩。
明らかに、何か揉めているような声がする。
奏太だ。
瞬時に臨戦態勢に入る。
ドアを開ける、と、奏太の左手首を、細いフレームのメガネをかけた男が掴んでいた。
年の頃は、自分とそう変わらないぐらいか。
「うちの従業員に、何か御用ですか」
丁寧に、だが、威嚇がてら腹に力を込めてびしりと言うと、男は一瞬ひるんだ。
「なんだ、お前は…」
「ここの店の者です」
「勝手に出て行って、こんなバーテンと同棲しているのか、奏太」
「……僕はもう、あんたとは関係ない。手を放してよ」
奏太が言い返した。顔色は白く、唇がかすかに震えている。
「奏太から手を放しなさい」
「いやだと言ったら?」
「警察を呼びますよ」
「は?何言ってんだ、お前。恋人を迎えに来ただけで、警察が来るわけないだろう」
「あなたが奏太にDVをしていたことは、すでに警察へ届けてあります」
「は!?勝手に何やってんだよ!奏太!!」
怒号に、奏太が身をすくめた。
「あなたは、日常的に奏太に暴行をしていましたね」
「こいつがヘマした時のしつけだよ。ちょっと叩いたぐらいで、大げさな」
「全身に10か所以上の打撲傷と、肋骨に骨折の跡がありました。病院に証拠があります」
「俺じゃない。俺はそんな怪我なんてさせてない」
「これ以上奏太に関わると、警察に通報します。奏太から手を放しなさい」
毅然と言うと、男は苦虫を噛み潰したような表情で渋々奏太を解放した。
が、次の瞬間、こぶしを振り上げると、いきなり殴りかかってきた。
突進して来る男をかわしつつ、奏太の腕を掴むとドアの隙間から店内へと押し込み、背でドアを庇う。
「警察とオーナーに電話してくれ」
「はい」
それだけで、奏太に通じる。
「奏太!!!」
「お引き取り下さい。奏太はあなたに会いたくないと言っているんです」
「お前は黙ってろ!!」
男はがむしゃらに殴りかかって来た。
大振りのパンチを繰り出しては、よろめいている。明らかにケンカ慣れしてない。
弱い奴が、日ごろのうっぷんを、さらに立場の弱い奏太に晴らしていた――そんな構図が垣間見え、暗澹たる気持ちになった。
下手くそなパンチを右へ左へとかわしつつ、どうしようか、と考える。
一発で仕留めることは簡単そうだが、あまりがつんとやると正当防衛とならないかもしれない。傷害罪で捕まりたくない。
が。
すでに店前には、人だかりができ始めていた。
スマホをこちらへ向けている若者が見える。写真を撮られたら厄介だ。目立ちたくない。
男がへろへろの右ストレートを繰り出したところで、ぐっと距離をつめて腕を掴むと、足を払った。
一瞬宙に浮いた男を、そのまま地面に倒し、うつぶせで押さえつける。頭を打たないよう手加減してやったことを、感謝して欲しいくらいだ。
さらに動けないように腕を締め上げると、男は情けない悲鳴を上げた。
「やめろやめろ、痛い、痛い、痛い…!」
「……お前が奏太にやっていたのは、こんな生優しいもんじゃないだろう。今度奏太に近づいたら、容赦はしない。同じ目に合わせてやる」
野次馬には聞こえないくらいの声量で、ドスを利かせてとどめを刺すと、うつぶせた男が、
「……はい。すみません……」
と、弱々しくつぶやいた。
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