相転移 phase transition 1

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事件直後、教師なりたての青臭かった俺は、弟の玲也を問いただした。 生徒会役員だった玲也は、その頃、文化祭のために毎日遅くまで準備に奔走していた。自殺したいじめ被害者は同じクラスの文化祭実行委員だった。 玲也は、その子に対し、きつく当たったことを認めた。 『…あいつ、超うざかったんだ。立候補して実行委員になったのに、全然クラスの意見まとめらんなくって、うちのクラスだけ何やるかいつまでも決まらなくて、問題になってた。…なのに、生徒会のせいだと、いちいち文句言いに来て』 『クラス委員は手伝わなかったのか?』 『無理やりクラス委員押し付けられた奴だから、そいつもあんま使えなくて』 どちらも、学校にありがちなトラブルだ。 やりたいと立候補した者が力不足なのも、面倒な役回りを、いわゆるスクールカーストの下層の者に押し付けるのも。 『担任の先生には相談したのか?』 『したよ。そしたら、”じゃあ、お前が何とかしろ” って。マジで、ふざけんなって思った。生徒会だけでも大変なのに……でも結局、俺がやるしかなくて』 これも、ありがちなことだ。 力量のある生徒に、丸投げする担任――同業の先輩をあまり悪くは言いたくないが。 『いくらその子に問題があったからと言って、いじめていい理由なんてないんだぞ』 『そんなの知ってるよ!!……でも、あいつは自分がやれてないくせに、俺の決めたことにはケチつけて来るし…みんなの苦情は全部俺に来るし、毎日ブチ切れそうだった』 『だから、”死ね”って言ったのか?』 それが、自殺の引き金になった――と、被害者はネットに書いた。 『本当の意味で言ったんじゃない!そんなの軽く言うじゃん、”うわサイアク、死ね” とか。普通、冗談だって分かるだろ』 だが、被害者は真に受けた――のかもしれない。本人が亡くなった今、安易な推測は危険だ。 こういった言葉の受け取り方は、非常にデリケートな問題だ。友達なら冗談で済んでも、受け流せない人もいる。そんなつもりで言ったんじゃない…と誤解される、なんてことは、大人だってよくある。 まして、トラブル続きの玲也と被害者では、”死ね”という言葉に温度差があっても想像に難くない。…とはいえ。 『玲也が大変だったのはわかるけど、だからと言って、無視したり、見せしめにプロレス技かけて集団リンチなんて絶対にダメだ。何でそんなことをしたんだ』 『兄さんも、あいつの書き込みを信じるのかよ!!確かに忙しい時は無視したけど、後からちゃんと話聞いたし、大事な会議をすっぽかしたのを注意するのは、当然じゃん。…集団リンチとか、そんなこと絶対にしてない!…変に話を盛って、俺を超悪者にして、ほとんどあいつの妄想だよ、俺はリンチなんて、絶対にやってない!!』 その可能性は、考えていた。 被害者がネットに描いた玲也は、あまりにも普段の玲也とかけ離れており、創作めいていた。 だが、家庭で親兄弟に見せる姿と、学校で見せる姿が異なるのも、よくあることだ。 ……弟を信じていないわけではないが。 『お前にとっては軽い悪ふざけや注意でも、相手によってはものすごく大きく捉えたり、傷ついたかもしれない。お前がリンチじゃないと言っても、相手はそう感じたかもしれない。もっと相手の気持ちを考えてあげるべきだったんじゃないのか?』 玲也から一瞬表情が消えた。 次の瞬間、ぶわりと赤黒く色を変えた。 『俺は、何でもそつなくこなせる兄さんとは違うんだよ!!』 血走った目。今にも牙を剥いて噛みつこうとする手負いの獣のようだった。 『俺だってうまくいかないのに、精一杯やってたんだ!!あいつの尻拭いをさせられて、俺の方があいつの何倍も苦労して仕事して……なのに、兄さんは、俺よりもあいつを信じるのかよ!!』 兄さん、兄さん、と慕う年の離れたかわいい弟の、見たことのない顔に、ひるんだ。 兄として、大人として、駆け出しの一教師として、相手の視点に立った考えに気づかせるのは、重要なことだと思った。 ――今思えば、浅はかすぎる、思い上がった考えだ。 俺は、玲也の心情など、微塵も考えていなかった。俺こそが、玲也の立場や気持ちを思いやっていなかった。 そんな人間の説教など、毒でしかない。 それから玲也は、一人、部屋にこもった。 俺とは一切話さなくなった。ドアの外に母が置くおにぎりにも、ろくに手をつけなくなった。 警察官が事情を聞きに来ても、黙りこくっていた。 ネットには、玲也の実名がさらされており、あることないことが書き込まれていた。ネット社会は、分かりやすいストーリーと、叩くべきサンドバッグがあれば、いくらでも炎上する。 時刻に関係なく自宅のドアが叩かれ、窓が割られ、ひっきりなしに電話が鳴り、頼んでもいない物が大量に届き、ゴミが投げ込まれた。 弟の精神は、持たなかった―― 俺が追い打ちをかけた。上から目線で、したり顔で説教をした。 数年間に父を病気で亡くし、自分が父親の代わりをしなければ――そんな馬鹿な気負いが、玲也を追い詰めた。 通夜の席で、弟と仲の良かった友達から、聞いた。 生前玲也が言っていたように、確かに被害者との間にトラブルはあったが、それでも何とかしようと玲也はがんばっていたらしい――。 物事は、見る人の視点で無数の事実がある。玲也の視点と、被害者側の視点では、見える景色が全く異なる。 真実を客観的に解き明かすのは、警察や司法の仕事だ。 あの時、兄としての俺は、玲也の話にじっくり耳を傾け、静かに寄り添ってやるべきだったのかもしれない――今なら、そう思える。 父が病に倒れた時から、母は仕事と看病と子育てを一人で背負った。 弟のいじめが発覚した時も、すぐに被害者宅へ謝罪に行き、水と塩を撒かれ、びしょぬれの姿で帰って来た。 それでも、玲也がしたことは自分の責任だと、気丈に弁護士や学校とやり取りをしていた。 が。玲也が自殺し、母の中で、何かがぷつりと切れたのだろう。 母も、弟の後を追った。 生命保険金を被害者宅へお詫びに渡してくれ、と書き置きを残して。 五百蔵(いおろい)という、珍しい苗字が、あだとなった。 俺も、当初から標的となった。職場の高校には抗議の電話が殺到した。 教師の家族がいじめ加害者では、生徒指導もできない――上司から暗に自主退職を迫られ、実際に仕事を続けられる状況ではなく、辞めた。 死ぬことも考えたが、死に切れなかった。首を吊ろうとしても、あと一歩が踏み出せない。自分の中のもう一人の自分が、必死で止めるのだ。 人間の生存本能の強さに慄き、そこを踏み越えた母と玲也の絶望を思って慟哭した。 それでも生き長らえたのは、山崎たち親しい友人の支えがあったからだ。食事を差し入れ、淡々と接してくれたのが救いだった。 嵐のような日々を何とか(しの)ぐと、田舎の全てを引き払い、五百蔵から伊藤へ改姓し、東京へ出た。 一人ぼっちになると、自分の人生など、正直もうどうでもよくなった。家族だった3人の位牌を抱えて、呆然とうずくまっていた。 生と死の狭間のような日々。 あの店にふと立ち寄り、オーナーと縁ができた。 元幹部警察官のオーナーは、弟の事件のこともよく知っていた。加害者家族についても造詣の深い人だった。 オーナーを始めとする様々な人に助けてもらい、”伊藤数真”としての人生を、少しずつ、少しずつ、一歩一歩、歩んできた。 だが。 そんな仮の人生など、呆気なく崩れていく――
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