2週目~美術館の休日

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思いつきで連れて来た美術館を、奏太はそれなりに楽しんでくれたようだ。 カフェの遅いランチでは、盛りつけの工夫を熱心に見ていた。外食で覚えたことは、すぐに取り入れて試そうとする。 まるで、与えた水を吸って、ぐんぐん伸びる若木のようで、こちらも楽しくなって来る。 家族で出かける時は、いつも置いてかれた――最初の頃、ぽつぽつと生い立ちを語る中でそうつぶやいた暗い瞳を、何とかしたいと思った。 家族でもない俺が、思い出の上書きをできるわけがないとわかっているが。 『僕はきょうだいよりも成績悪かったし、何の取柄もない』 彼は、謙遜というよりは、ばっさりと切り捨てるように、自分を卑下する。 そんなことはない。君は聡明で思いやりも深く、良いところがたくさんあるよ―― 直接言っても、奏太は「そんなことない」と、全てを否定してしまう。 薄っぺらいその場限りの褒め言葉は、通じない。 日々の生活の中で、彼が普通と思っていることが、実は普通にできるのはとてもすごいことなんだよ、もっと自信を持っていいんだよ、と少しずつ伝えていくしかない。 奏太は、手際よく家事ができる――手慣れた様子の裏には、彼の家族が奏太の時間を搾取してきた事実が見え隠れしていた。 一緒に暮らしていると、奏太は決して物覚えが悪い方ではない。 勉強ができなかったわけではなく、恐らく勉強に費やす時間がなかったのだろう。一度わからなくなったり、課題を溜め出すと、あとは雪だるま式に負債が増えて行く。 もしかしたら、奏太のやる気の問題にされてしまったのかもしれない。 『もっとちゃんとしろ』『課題はきちんと出してね』 そんな意味のない声がけは、学校では日常茶飯事だ。 奏太が虐待されてきたのは間違いない。最初は父親の暴力、母親のネグレクト、後には、家族皆の鬱憤の捌け口として。全てを彼に負わせてしまえば、他へ害は広がらない。 元々穏やかで優しい性質が、仇になったのだろう。そうして出来上がった自信のない、自尊感情の低い彼は、強く出る相手にとって、とても御しやすい。 完全にスケープゴートだ。彼に逃げ場はない。 そして、家族を離れてからは、男たちが彼に部屋を提供する代わりに、その性と家事能力、恐らく金も巻き上げていたに違いない。 そんな奴らと共依存することでしか、生きて来れなかった奏太。 彼に話を聞いた時、静かで激しい怒りが湧いた。 最初は、たった一夜、たまたま拾った子に、ここまで深入りするつもりはなかった。 すぐにNPO支援団体へ引き継ぐこともできた。もしかしたら、そちらの方が奏太にとって良かったかもしれないのに、なぜか、手放せなかった。 泥沼に半身を埋めたような人生から抜け出させてあげたい。 彼には、もっと別の生き方があるはずだ。 彼の良さを、もっと生かせないだろうか―― 最近思うのは、奏太のことばかりだ。 こうなると予想できたから、自分は1か月の期限を切ったのだろう。 無意識の、恐怖。 あの事件から、6年。 弟を亡くした、嵐のようなあの時から。 もう大丈夫だろう、という思いと、いや、まだ突然現実が覆される可能性はあるかもしれないという、底知れぬ闇へと引きずり込まれるような感覚。 奏太を、巻き込みたくない。 1か月ならば、まだ自分の人生から、すぱりと彼を切り離すことはできるはずだ。 自分の心を覆っていた分厚い氷の一部が、少しずつ溶け出しているのに気づかないふりをして。
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