兄の道1

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兄の道1

「もっと自分の為に生きてほしい」 「もっと人の為に生きてほしい」 兄弟は互いにそう願いを告げると、それを約束とし、生まれ育った町からそれぞれ旅立った。 人で賑わう市場では、様々な声が行き交っていた。新鮮な肉を売る声、新商品を入荷した声、新しい店に行こうと楽しむ声。その中に混ざるのは、小さな泣き声。女の子は真新しい鞄を抱きしめ、涙を零しながら辺りを見渡す。周りは女の子より大きな大人ばかりで、自分達の目線に広がる楽しい景色に夢中だ。 「大丈夫ですか?」 女の子が失望に落ちた視線を驚いて上げると、少年が一人、彼女に向けて手を差し出していた。女の子は声を掛けられた事にわっと泣き出し、差し出された手へ、見知らぬ少年に抱き付いてわんわんと声を上げる。少年は膝を折り女の子と目線を合わせると、茶色のコートのポケットからハンカチを、女の子へと手渡す。 「どうしました、迷子ですか?」 「うんっ……うんっ……」 女の子はハンカチを息が出来そうにないほど顔に押し付け、何度も頷く。また鼻をすすった。 「じゃあ、探しましょうか。誰と来ました?」 「おがあさん……」 「お母さんですね。どこのお店ではぐれたか分かりますか?」 「あのっ……あのね、この鞄買ってね、外出て……お母さんだと思ってついて行って、でも知らない人でね」 「鞄ですか……鞄屋はこの辺りで……まずここはどこでしょう」 少年はコートの、ハンカチを出した方とは逆のポケットからはみ出していた地図を広げ、近くの鞄屋か、鞄を売っていそうな店を探す。その間に少し落ち着いたのか、女の子は少年から離れると、改めて見知らぬその人を見上げる。浅黒い肌に白い髪をした、人だかりでも目を引く少年は、女の子に掛ける声と同じくらい優しい黒い目をしていて、ふっと二人の目が合う。 「近くにありますね。行ってみましょう」 少年がまた手を差し出すと、女の子はその手を握り返した。女の子は片方の手で鞄を握り、少年はよいしょと大きなリュックを背負い直す。 「荷物、たくさんあるのね」 「ええ。旅をしてるので」 「旅?」 はい、と返されると、女の子は素敵な響きの言葉にぱっと顔を明るくした。 「旅?この町まで来たの?どこから?一人で?」 女の子は繋いだ方の手をぶんぶんと振り、迷子も忘れたように少年の返事を待つ。少年は振られるがままに手を風に撫でさせながら、行き交う人の間、女の子がはぐれてしまわないよう気を付けて進んで行く。 「目的地はもっと遠くなんです。北の……アラード地の隅っこに、オーロラが見える場所があるでしょう?」 「あらー……おー……あっ、オーロラ?うん!前に本で見た!」 「そこで待ち合わせをしていまして」 「へえーいいなー。写真で見たの、すごい綺麗だったもん」 女の子が思い出すように顔を上げる。空より下、人込みの間に目を通した途端、繋がれた手がパッと離された。 「お母さん!」 女の子は大人の足の間を縫い、真っすぐに駆け出した。少年も後ろからついて行くと、目を赤くした女性が向かってくる女の子に両手を広げて、我が子を抱きしめて泣き出していた。 「もう!どこに行ってたの!」 「ごめんなさい、ごめんなさいい……」 迷子を思い出してぼろぼろと泣き出す女の子に、母親は同じ顔で泣きながら笑う。そして自分達を見ている少年に気が付くと、不思議そうに目を瞬かせた。 「……?あの……」 「あっ、あのね、一緒にお母さん探してくれたの!」 「えっ!そんな……ありがとうございます!」 「いえ、大したことはしていませんし」 「あのねあのね、北のオーロラ見に行くんだって!」 「もう、あなたもお礼を言って!」 涙の痕を付けて笑う女の子がお礼を言うと、見つかって良かったですね。と少年は頭を下げて二人の前から去り、人混みの中に埋もれて見えなくなる。女の子が構わず一生懸命あった事を話しだしたのを見て、母親はほっと息を吐いた。 「……あら?北のオーロラって……確かもう見えなくて、立ち入り禁止になってたんじゃ……」 少年はまた町の地図を見ながら、ご飯が食べれる場所を探す。しばらくは持ちそうな携帯食料や水、包帯や綺麗な布はもうリュックに詰まっており、今度はお腹を見たそうと、少年は美味しそうなパスタの写真が貼られた看板に釣られ、店のドアを鳴らす。 「はあい。お好きな席に座ってお待ちくださいー」 少年は入ってすぐのカウンターに座ると、足元にリュックを置き、ミートスパゲッティを注文してからまた地図を開いた。地図は二枚重なっており、下の大きな地図は生まれ故郷から目的地までも一望できる大きなもので、赤い丸が濃く示されている。その上のもう一枚はこの町の地図で、少年は今いる所を探し、大きな地図と見比べる。と、店のドアが鳴り、髭を生やした男性が二人、一人は憤慨した様子で少年の横に座る。 「店員さん、カルボナーラ二つ!……っはあ、どうすんだよ、もう日付が変わったら届くって言っちまったぞ!」 「本当にすまない……手が滑って……。今から走ってくれそうな馬車は探してるんだが……」 「あんな田舎の方に行ってくれるやつそうそう無いから、今困ってんだろ!」 「あの」 「あ?!」 男が憤慨したままに振り返り少年と目が合うと、意味が分からず目をぱちくりとさせる。間違えたのかと焦った顔は一瞬で、少年が口を開くと、眉間に皺を寄せた顔のまま止める事はしなかった。 「何かお困りごとですか」 「あ?……あー悪いな、横で怒鳴っててよ。いや、娘の誕生日プレゼントをコイツが落として壊しやがったんだ。うるさくして悪かったな」 「本当にすまない……」 「プレゼント?」 「硝子のクマだよ。知らねえか?俺も知らなかったんだが、今はやってるとかで、ようやく買ったんだが……いや、物はどうにかもう一回買えたんだ。問題は馬車が無くてな」 今晩の日付が変わると同時にって注文だからえらく高いやつ頼んだのに、もう一回探してるうちに次が入ったからって断られたんだ。男がそう言うと、隣の男はまた萎縮し、少年に届いたパスタを見て話を終えようと顔を逸らした。 「どこに届けるんですか?」 「え?一つ北の……ドガの町の隅だよ。そっちに行く馬車が中々無くてな。貸し馬車も今残ってねえし……俺とコイツはこれ食べたら南に出掛けなくちゃならねえしよ」 机に二つ置かれたカルボナーラを見て、男は一気に水を飲み干す。フォークを持ち未だパスタに口を付けず地図を見る少年を訝し気に見て、大きくカルボナーラを一口、ああ、と呟いた少年に、また目を持っていくと、黒い目を半分に笑う少年が地図を見せながら笑う。 「僕、ちょうどドガの方に行くんです。今から歩けば二十四時には間に合いますよ」 「本当にいいのか?」 「ええ。北に行くついでです。大丈夫ですよ」 少年は厳重に包まれた箱をリュックの上に縛り付けると、小さな地図を開く。 「アラード地のオーロラだったか。あそこは確か、気候変動で見えなくなってたはずだが……」 「ええ。でもそこで合流する予定ですので」 「合流?」 「弟とです。二人で別々に旅をして、そこで会う事になっているんです」 「へえ。中々ロマンチックに大変な事してるな」 笑う男に、少年も笑い返す。それから地図の一点を指差して、男に見せた。 「ここの……この細い川の端、赤い屋根の家でいいんですよね」 「ああ。その辺で赤い屋根はうちだけだからな。……悪いな、見ず知らずの子供に頼んで。何か、」 男が財布か何かでも出そうとすると、少年は首を振って止める。重たくなったリュックを背負い直し、肩紐を強く握った。 「僕が好きでしていますから。じゃあ、間に合うようにもう出ますね。南のお仕事頑張ってください」 少年は頭を下げる男に自分も一礼すると、背の低いアパートの階段を降りてまた北を、少しずれた目的地を目指して歩き出す。男の住むアパートの辺りは静かで、遠くから先ほどまでいた中心の道の賑わいが聞こえてくるほどだ。折りたたんだ地図を片手に、少年はアパート通りを北に抜けていく。町の中心に近づくとアパートは徐々に背が高くなり、豪華な街灯に囲まれたホテルも、艶光するコートを纏う華やかな人達も目につき始めた。それも超えてくると、今度は古そうなホテルと民家が並びだす。昼を過ぎた遊び盛りの時間、小さな子供達が楽しそうに走りまわり、どこからか甘い香りもしてきた。 ううん……と悩み、少年は一度足を止めてリュックから小さな紙の包みを、キャンディを取り出すと、大きめのものを口に放ってまた歩みを進める。民家もまばらになれば、その内視界が開け始めて瞬く間に広大な農地が顔を出した。少年はまた地図を見てコンパスを見て、現在地を確認する。今いる場所を指差し、目的地、ドガの町の隅へと道を撫でる。それからその北東の先の赤い記を撫でた。 「まだ少し掛かりますね」 陽は段々と落ち始め、影が少年の横へと伸びていく。長い影は麦畑に入り込み、風を受けているように揺れる。そんな影すら少し鳴りを潜め始めると、街灯が増え始め、ぽつりぽつりと火を灯した。陽が完全に落ちる頃には畑に囲まれた民家は減り、並ぶ民家とアパートの壁のチラシやポスターにはドガの文字が見えた。もうドガに入ったのだ。少年は小さい方の地図を見て、ギリギリすみっこに載る目的地を探して歩き続ける。遅くの客を招き入れるカフェや商品を仕舞う店、これから始まるパブが賑わい出す中、少年は街灯に作られた影と踊り歩き、とうとう細く流れる川を見つけた。川に沿って北上すれば民家も店の明かりもどんどん遠ざかり、ぽつりと立つ看板の目印が立つ橋を渡れば、すぐ横に赤い屋根の家が明かりを放っている。辺りに赤い屋根は見当たらず、少年はほっと、コートの内ポケットから懐中時計を取り出す。針はまだ二十四時を回っていない。 「間に合いました……。でも、まだですね」 少年は家から見えない場所、街灯脇の針葉樹にもたれかかり、針の音を聞いて寒い夜を過ごす。月が煌々と燃え始めると、針はあと少しだと少年に告げて見せた。少年はリュックを下ろして箱を抱えると、家の玄関に立ち、鐘に手を添える。 カチ。からんこらんからん。日付が超えたと同時に少年が鐘を鳴らせば、家の中から慌ただしい音が近付いて、勢いよく扉を開ける。小さな少女と少年の目が合った。 「はい!……あれっ?」 「こんばんは。お父様から荷物を預かっています」 言って、少年が箱に書かれた届け先を、父の字を見ると、少女は目を輝かせて箱を受け取り、送れてやって来た母親に箱を見せびらかす。 「見てみて!お父さんから!」 「こら、お礼を言ったの?……あら?随分若い配達員さんね」 「色々ありまして。手紙も入っていると思いますので、そちらを呼んでいただければ。では私はこれで」 「配達員さん、ありがとう!」 少年は頭を下げ、笑顔で扉を閉める少女を見送る、その途中。廊下の向こうで、少女の弟だろう小さな子が少女へと駆け寄ってきていた。扉が完全に閉まればその向こうから、いいなあ、僕にも見せて。と聞こえてくる。 「……」 少年は家を離れ橋を渡ると、少し離れた街灯に向けて歩き出す。大きな地図を出して赤い記を、アラード地の隅を見て、笑って目を伏せた。 「ディスタはどこまで行っているでしょうか」 地図を閉じ、ポケットに仕舞う。 「ちゃんと約束を守ってくれているといいんですが」 少年の地図がポケットに仕舞われた頃。そこから西に遠く離れた町の隅。 古いアパートが立ち並ぶ間には街灯一つもなく、真上に輝く月明りがディスタの足元を照らす。彼の靴にこびり付いているのは月明りでは黒く見える血。それはディスタの持つ短剣から滴り落ち、未だ彼の靴を汚していた。 「はー銀貨十枚。まあこの辺のやつにしてはいい方か」 少年は片手で汚い布に包まれた銀貨を数えると、茶色いコートのポケットに突っ込む。ディスタの目の前には誰もいなかったが、アパートの外壁には明らかに誰かが血を流した跡が、真新しく壁を這っている。 水音に目を落とし、靴の汚れに気が付いたディスタは口元を歪めた。 「あー……クソッ。新しい靴探さねえと」
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