弟の道1

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弟の道1

「聞いた?南の町で事件があったって」 「朝から警察がうろうろしてるものね。危ないからうちの子も今日は家に居るよう言ってあるわ」 女性二人は朝の買い物帰り、紙袋いっぱいに詰めた食べ物を抱え、話の内容とは裏腹に楽しそうな足取りで町を歩く。 「犯人がどんな人か分かってないんでしょ?」 「それが、警察が話しているのがちょっと聞こえたんだけどね、被害者の方も分かってないんだって」 「ええ?何それ」 「アパートの間に変な血溜まりがあったけど、被害者もいなかった、とか。多分あれじゃない?その辺りで夜騒ぎまわってる子達が喧嘩したとか……、」 「ちょっとすいません」 お喋りに夢中になっていた女性達は声を上げて驚くと、肩を強張らせながら振り返る。二人の後ろから声を掛けてきたのは、町では初めて見る顔の少年。浅黒い肌に白い短髪が映え、黄色く細い瞳を半分に笑いかけていた。 「どうしたの?」 「いやあ、俺初めてこの町来たんですけど、」 「えっ、本当?そういえば見た事無い顔してるものね」 「観光かしら、あんまり良い場所ないんだけど」 「あーそうそう。この先の土地行く途中なんすよ。で、この町に靴屋無いっすか?」 扉の鐘が鳴ると、朝早くのお客に靴屋の店主は笑顔で挨拶を交わす。少年は自分の足を片方持ち上げると、先が大きく開いた靴を見せた。 「旅の途中なんすけど、壊れちゃって」 「ひどい壊れ方だね」 「やー、結構長い事使ってるからなー。でもまだ行かなきゃいけないとこあるんで、何かいいのないかなって」 「そこの緑の棚の靴なら、サイズが近いんじゃないかな」 「はーい。どうも」 ディスタは茶色のコートとリュックを躍らせ意気揚々と、先の開いた履き慣れない靴で店内を鳴らした。昨晩ゴミ箱からたまたま拾った靴はサイズが合っているだけのもので、寒い地域の、これからさらに寒い地へと赴くディスタにとっては不都合過ぎた。緑の棚の靴をいくつか見比べ、少年はシンプルな茶色のブーツを手に取った。革も紐もヒールも全て茶色、縫い糸だけが白のものを床に置くと、足を入れて足踏みする。それから数歩歩いてターンして、棚に置かれた値札に笑う。 「これいいな。これにする」 「はいよ。ちょっと古いけど大丈夫かい」 「歩ければいいよ」 「じゃあ、銀貨二枚だ。旅の土産に一枚は引いとくよ」 「すっげえ助かる。ありがとな!」 ディスタは銀貨五枚をカウンターに置くと、両足とも新しい靴に履き替えた。 「ああ、古い靴はうちで処分しようか?今日丁度焼却炉を動かす日なんだ」 「あー……、じゃあ、お願いしようかな」 ゴミ箱から拾われた靴は靴屋の手に渡ると、あと一時間もしない内に燃えるようだった。ディスタはもう一度礼を言ってまた扉の鐘を鳴らすと、少し陰った空の下、町の地図を取り出す。 「……」 元の靴は川に流した。今日の午後には雨が降るらしく、水笠は増し遠く遠くへと流れるだろう。ディスタの指先が川の線をなぞり海まで着くと、改めて今いる町をぐるぐるとなぞった。 「泊まれそうな所はあー……南の方に……宿があるな。丁度良い」 人差し指が、町の遠く向こうへとはみ出る。 「アラードは遠いなー。つってもそんなにか。あと町をー……六つ、いや七つか。あいつ今どの辺だろ」 地図を見ながら歩く少年の耳に届くのは話し声、客を呼ぶ声、蹄の音。ディスタがぱっと顔を上げると、制服の男が町の人に声を掛けている。何か話を聞いているようで、ディスタに気が付いた男はわざわざ駆け寄って少年に声を掛けた。 「ちょっといいかい」 黒い警察帽の下はいかにも人が良さそうな表情で、青い瞳が遠くからでも目につく白髪の少年を捉える。 「はあい」 「隣の町で昨晩、不審な人とか見かけなかったかな」 「ええ?事件ですか?」 「ああ、まあ……。隣町は人通りが少なくて、目撃者もいなくてね。何か知らないかと」 「んー見てないっすね。てか昨日丁度隣町通って来たんすよ、怖えわー」 「隣町に?君はー……ああ、旅行者かい?保護者は」 「一人すよ。俺南の方生まれなんで、北の方珍しくて周ってるんです」 「そうか。良い旅を、と言いたいが、しばらく夜遅くはあまり出歩かない方がいいよ。それでも、良い旅を」 「どうも」 お互い小さい会釈を交わすと、また自分の道を歩き出す。周りでは同じように声を掛けられた人達が噂話をしていたが、少年にはどうでもいい事だったようで、軽くなってきた胃袋と進む針に従うように近くの露店を覗いた。チーズとハムのサンドイッチを買って近くのベンチに座り、薄ら暗くなっていく空を見ながらサンドイッチを齧る。少し焼けたチーズを飲み込みながら、少年は心の中で独り言ちる。 (雨が降る前に宿に泊まって、明日には止むだろうし、そうしたら出るか。明日も止みそうになかったらもうレインコートで行こう) 少年は空を見ていたのだが、気が付けば遠くで自分を見ている人がいる事に気が付いた。ディスタは視線を一瞬だけ下げると、男が一人、自分を見ているのだと分かり、サンドイッチと共に飲み込んだ息を吐き出す。自分が目立つ容姿をしているのも目付きが悪いのも自覚していて、生まれ育った町でさえ何かと言われる事があった。 (約束……) ディスタは中身の無くなった紙袋をゴミ箱に放り、男達と目が合っていないようにその場を去る。遠くから雨の匂いもしてきたので、自然と足は速くなった。 小雨がぽつぽつと当たり出す。宿までの間に、水や食料を買い足すと、外ではもう傘を差す人ばかりになっていた。リュックの底に入れてあるレインコートを取り出すのは面倒くさく、ディスタは走り出し、店やバス停の屋根の下をくぐりながら目当ての宿へと向かう。町の端に近付き屋根と屋根の感覚が徐々に大きくなってくると、レストランの文字が書かれた看板にようやく辿り着いた。二階建てそこはレストランと併せて宿をしているようだったが、一階のレストランのおまけのように宿の部屋は全部で三部屋だけ、少年の周りで賑わうのは全てレストランのお客のようだった。そちらはとても繁盛しているようで、ディスタが案内された部屋にまで声が聞こえてくる。夜にはバーも開きます、ジュースもありますよ!と案内してくれた女性に適当に返事をして、少し濡れているコートを椅子に掛けると、自分はベッドに腰かける。ベッドが一つ、机が一つに椅子が二つ、小さいがシャワールームも付いているのに安いのは、あまり泊りがけの客が来ないからだろうか。一つだけある東向きの窓の外では強い雨が硝子を叩いている。ディスタはベッドに寝転がり目を瞑ると、雨音のコンサートで眠りにつく事にした。 目が覚めた時には雨脚は少し弱まり、一階から聞こえる声にかき消されるほどだった。少年は起き上がり腕を伸ばすと、コートのポケットから路銀の入った袋を取り出して中身をベットに転がす。銀貨九枚、銅貨四枚がシーツの上で踊った。宿の支払いは出て行く時で、ここから銀貨が三枚減る。あと七つの町を超えるにはいささか心許無い懐にディスタは溜息を吐くと、晩御飯を食べようと、少ないお金を持って部屋を出た。下の階の分、三部屋しかないのにやたらと廊下が長く、そして人は通らない。廊下の隅には非常用で外に出られる階段だけが佇み、使われる事の無い静けさが満ちている。下に降りたディスタはレストランで渡されたメニュー表に口を歪めると、肩を落として入り口の鐘を鳴らす。給仕の女性が慌てて少年に声を掛けた。 「外は雨が強くなりますよ?」 「あー、レインコート取って来るわ。あんまり金ないから、別のとこで食う」 ディスタはふざけたように笑い、もう一度階段を上がった。 「ごちそうさま」 ディスタは銅貨を二枚置いて店を出る。まだレインコートがいらないくらいの小雨まで落ち着いていたので、コートを片手に少年は宿への帰路を歩く。大きな水溜まりに足を突っ込み、人もいなくなった通りを我が物顔で闊歩すれば、自然と視線は集まるものだ。ディスタは今度こそちゃんと顔を向けて路地の方を見れば、昼間に見かけた若い男が、昼間に目立っていた旅行者を見ている。ディスタが顔を逸らせばお決まりのように向こうから声を掛けてきた。 「なあ、金あるか?」 皺の無いシャツにぴっしりとしたパンツを着こなし、見た目はそこまで荒くれていないというのに、男は自分より弱く味方がいないと、そう決めつけた少年を見下ろし、緊張したように笑う。 「……」 少年は男と目を合わせると、黙って、そのまま走り出した。 「はっ?あ、おい!待て!」 男は慌ててディスタを追ったが、地の利があれど素早し少年の足には勝てず、途中で地面を睨む結果に短く叫ぶ。その声はディスタに届いていたが、それよりもまた強まり出した雨にどうしようかと悩んでいた。少し考え、そのまま走り続ける。雨がコートを濡らし、頭も顔も服も重たくすると、ようやく宿の明かりが見えてくる。 「わっ、ずぶ濡れ!だから言ったのに……タオル持ってきますね」 「悪い。もう部屋でシャワー浴びて寝るんで、本当に悪い」 渡された分厚いタオルを被り、少年は部屋へと戻る。レインコートとタオルを掛けてコートとその下の薄い上着を脱ぐと、静かに扉を開け、廊下の隅へ、非常階段の扉を開けた。まだ賑わい続けるレストランはその内バーへと変わり、さらに賑わい続けるのだろう。少年が閉めた扉の音は、誰一人として聞いていなかった。 「あー……クソッ……いいカモだったのによ……」 男は一人、少年に追いつけなかった苛立ちを何にもぶつけられず、一人路地裏を歩いていた。彼のポケットに入っているのは何枚も金貨の入った財布。彼が欲しかったのは金ではなく、適当に殴ったり蹴ったりとストレス発散できる誰かだ。誰も知らない旅行者など丁度良く、しかも子供となれば申し分ない。 雨が強まって来たが、路地裏には屋根も多い。男が少し道を逸れた。 「あの苛つく目付きに逃げられたとか……はーア゛ッ、?、!?」 男は体を強ばらせ、それから大きく咳き込んだ。口から吐き出されたのは息と、血。両手いっぱいの血に目が泳ぎ出す。 「は……は?あ!?なんッ……」 「久しぶり」 男は驚きで体を跳ねさせると、同時に走った激痛にもう一度体を浮かし、耐え切れず水溜まりに顔を落とす。 「ハッ、ハッ……がっ、あ……?!」 痛みで顔を歪ませ、水溜まりを吐き出しながら男が振り返ると、後ろに立っていたのは黄色い瞳の少年だった。シャツ一枚という身軽さで、手にはナイフを持ち、雨に濡れた刀身が暗闇でも分かるほど艶光している。 「おまっ、お前、さっきの、っヅ……!いてえ、いてえよクソ!」 「いやさあー俺も同じ事考えてたからさあー……来ちゃったわけ」 「同ッ、じ……?」 男は必死に体を捩じり、少年に背中を見せまいと、この場から逃げようと空を蹴りながら這いずる。ディスタは男に一歩大きく近づくと、しゃがみ込んだ勢いのまま、男の太ももを突き刺す。 「ッヅ!!アアアッ、ぐっ、む?!!」 男の口が大きく開くと同時に、口の中に丸めた紙袋が詰め込まれた。目に涙を溜めた男が口から吐き出そうと手を上げれば、今度は手に一つ穴が空く。 「ッぐうむうんんんん!?!」 「うるせえから取るなよそれ。……あれ俺、何て言おうとしたっけ」 「ヴヴんむ?!!んんん!」 「てかさあー目付き悪いとかでからまれるの、本当どこ行ってもあるんだなー。リトはどうだろ。あいつもあいつで絡まれやすいし」 男は痛みと恐怖で暴れ出し、必死に立ち上がろうとすれば、体に増えた穴の痛みでひっり返り、水溜まりを赤く染めていく。男のくぐもった声は雨が床石を叩く音にかき消され始め、代わりに少年の笑い声が微かに聞こえるようになってきた。 「隣町の奴はさあ、三回刺して脅したら逃げて行ったし、まだ出て来てないって事はちゃんと約束守ってんなあ。お前はどう?」 男は荒い息のまま、何かを言いたげにうんうんと頷く。立ち上がった少年に驚いて水溜まりに落ちれば、涙と雨で顔を汚した。少年は男に跨ると、黄色い瞳を半分に、ナイフを真下に向ける。 「そんなに目付きが気になるならさあ、見えなくしてやろうか」 飛びださんばかりに開いた男の目へと真っすぐ落とすと、直前で止める。男は飛びそうだった意識が震える体で起こされ、がくがくと手足で地面を叩く。 「有り金を寄こす事。あと誰にも言わない事」 男は震えているのか頷いているのか、とにかく頭を上下に振り、ゴンゴンと床石に頭をぶつけている。少年は一つ大きく笑い、男のポケットから財布を引っ張り出す。中身三分の一ほど自分のポケットに移すと、よっ、と立ち上がった。 男は必死に立ち上がり、震えた目が黄色い瞳と合うと、口の中身を吐き出す事すら忘れよたよたと走り出した。男から出た血は雨に流され排水溝に落ち、何も無かったように床石を綺麗にしている。少年も隠していた茶色のコートを着れば、きれいさっぱり、血の跡の無いずぶぬれの旅行者になった。 ポケットで金貨がぶつかり合うと、ああそうだったと、誰もいなくなった路地裏で笑う。 「いいカモだなって思ったんだよ」
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