弟の道2

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弟の道2

ディスタは目を覚ましてすぐに、何か懐かしい夢を見た気がした。思い出そうとしたが、兄が出てきた事しか分からず、諦めてベットから起き上がる。短い髪を適当にかくと、椅子にかけていた薄い上着を羽織り部屋を出ると、エプロンを付けたお婆さんが丁度ノックをしようと手をかざしていた。 「あら、おはよう。早いのね」 「おはよー。いっつもこんなもんだよ」 「あらあいいわね。朝ご飯の準備出来てるから、キッチンに来てね」 「ありがと」 ディスタが人懐こく笑うと、お婆さんも笑顔で返してキッチンへと戻って行く。少年もその後に続く。 アラード地に近づく程、町は寂れていた。オーロラと共に仕事が無くなったと嘆く宿やホテル、観光業、その他食堂や雑貨屋に至るまで多数の店が人の多い南へと流れて行き、少年がこの町を訪れる今には泊まれるような場所も無く、野宿を決めていた時だ。お婆さんが一人、せっせと荷物を運び出していた。ふらふらとした足つきで両手に荷物を抱え、ゴミ捨て場に置いてはまた帰って来る。ディスタが声を掛けると、引っ越す為に荷物を整理しているのだと。ディスタは手伝いを申し出、代わりに一晩泊めてもらう事になった。 ディスタは切れ目から油が滴るウインナーを半分齧り、半熟が破けた目玉焼きの上に置く。 「今日は何かあんの?午前中くらいなら手伝えるけど」 「いいの?じゃあ、キッチンの物も全部仕舞うんだけど、お願いしていいかしら。今日の午後には引き取られるのよ」 「いいぜー」 ウインナーをもう半分、目玉焼きを畳んで一口に、薄い紅茶を一気に飲み干すと、ごちそうさま、と少年は笑った。皿を運ぶと、早速箱を探す。廊下にあるわよ。と言われ、少年は廊下から箱を三つ取って来ると、食器棚から皿の山を取り出し、箱に入れる。箱は山を二つも入れれば満杯になり、間にぐしゃぐしゃに丸めた新聞紙を詰めて閉じた。コップや、洗われたばかりのフライパンも同じように詰め込んでいく。 「何から何までありがとうね」 「いいって。俺も一晩泊まらせてもらってるし。したくてしてるし。まあ、約束があるけど」 「約束?」 「兄貴とのね。もうちょっとで会えると思う」 「お兄さんがいるのね。お兄さんもそんな珍しい髪と肌してるの?」 「そうそう。そっくり。目の色だけ違うくらい」 まあ、素敵ね。とお婆さんは笑い、自分も午後に向けて荷物を纏めにキッチンを出た。食器の音だけになったキッチンは静かで、窓の外からは何も聞こえない。遠くからお婆さんの荷物を片付ける音が偶に聞こえると、ああ誰かいるのだなと分かるくらいだ。懐かしいな、とディスタは呟いた。故郷の家でも、兄と二人だけだったからだ。一つ違うのは、窓の外はいつも煩かった事だ。治安が非常に悪く、親らしき人もすぐに死んだ。危なっかしい兄を守るのが大変だった日々に、ディスタはケトルを箱に入れながら、「そっか、そんな夢だったな」と零す。 ある日、大怪我をした兄に泣きついた夢。 ディスタはそんな事を思い出し、箱を閉じる。空になった食器棚と流し台の下を確認し、お婆さんの所へと、少年はキッチンを出て行った。 少ないけれど。とお婆さんから駄賃を貰い、少年は昼も過ぎた頃、北に向けて歩き出す。リュックの中身はそれほどなく、せめて何か買って行こうとコートのポケットから地図を取り出した。小さな地図を見て店を探す。だが何年前の地図か、店はどこもシャッターが閉まり、張り紙が一つ、”南に行きます”。 何か無いものかとディスタが辺りを見渡せば、小さな店が開いていた。看板を見ると雑貨屋のようだが、硝子窓の向こうにはお菓子も見え、少年はとりあえずと扉の鐘を鳴らす。 「いらっしゃいませー」 店員の女性がレジの向こうから明るく挨拶する。中にはもう二人いて、何を買おうか選んでいた。この辺りではまだ繁盛しているらしく、もう一人背の高い、眼鏡を掛けた女性が入って来る。少年は何か食べ物をと、入り口近くの棚の眺めていると、急に後ろに引っ張られ、背の高い女性の腕の中でナイフを向けられたのだ。 「おっ、お金を出して!早く!」 ナイフを見た店員が声を上げると、気が付いた客の二人がひっと悲鳴を零す。少年は自分を掴む震える手に、女性の顔を覗き込んだ。歯がカチカチと鳴り、眼鏡の下で泣きそうな顔をしている。 「早く!この子を刺すわよ!」 店員が何を言っているか分からない声を上げながら、必死にレジのお金を袋に移しだす。その間にディスタがナイフを持つ手の下に手を持っていったが、女性は気付く素振りすら無く、必死に店員を睨んでいる。やがてどうぞ!と震えた声でお金の入った紙袋が渡されれば、女性はそれを奪い取り、急いで鐘を鳴らして走って行った。 「あっ、待てー!」 鐘が静まるよりも前にディスタは身を翻し、女性の後を追う。ちょっと不自然だったなあと舌を出した。 女性は人の少ない通りから細い路地裏に入り、人の全くいない道を走る。人の代わりにたむろする鳥が足音で羽ばたき、小さなゴミを散らす。女性は瓦礫を蹴りゴミ箱に当たりながら長い髪を振り乱し、一心不乱に走っているようだったが、後ろから少年の声が聞こえたのだろう、一度振り返り、ディスタの顔を見て悲鳴を上げて走り続けた。 地の利と荷物の重さがあれど、少年の足は速かった。やがてディスタは路地に転がっていたどこかのパイプを拾うと、女性の背中に投げつける。直撃した女性は前のめりになって転がり、急いで立ち上がろうと翻した上着を踏まれ、もう一度地面に落ちた。 「ひっ……許して、許して!お金が必要だったの!」 「へえー」 初めて見る派手な見目の少年に、半分の黄色い瞳に、女性がまた短い悲鳴を上げる。片手に握り締めていたナイフをあちらこちらに振り回し、来ないで!と叫ぶが、ブーツの底に蹴られた腕からナイフは簡単に飛んでいき、壁に当たって女性の顔の横へと落ちた。変わらず見下ろす少年に、女性はとうとう紙袋を抱きしめ、震えながら泣き出した。 「妹がっ、病気なの……!こんな場所じゃ、病院に行くにも、治療してもらうにもお金がいるの……!私一人の稼ぎじゃ足りなくて……!」 ふうん。そう言ってしゃがみ込んだ少年の顔が近寄って来ると、女性は少年のコートの内側にナイフの柄が見え、息を止めた。自分も喋らなくなった路地裏では何も聞こえなくなり、沈黙に首を絞められているように、女性は短い息を吐き出す。少年がポケットに手を入れると、女性の心臓が跳ねた。 「じゃあ交換な」 女性の胸に、袋が落とされた。太った袋はチャリ、と音を立てる。代わりに女性の腕から紙袋が取られたが、呆気に取られた女性は、え、え?と声を漏らすばかりだ。 「多分この袋よりもあんだろ。じゃーなー」 ディスタは立ち上がり、紙袋をぶらぶらと振って元来た道を歩いて行った。少年の姿が見えなくなると、女性はようやく立ち上がれ、恐る恐る袋の紐を取る。中には金貨が数十枚、銀貨も同じくらい。小さな店の紙袋よりいくらも多いだろうお金に、もう一度「え?」と声を漏らした。 「あーあー。結構稼いだのに、無くなっちゃったなー」 軽くなったポケットを叩いて、お礼にと少し重くなったリュックを背負い直し、ティータイムの時間、ディスタはお礼の一つのビスケットを齧りながら道を歩く。 「今日はさすがに野宿か」 アラード地は東西に山が聳え立つ。北に向かえば向かうほど山は町ににじり寄り、道は緩やかなカーブを描き、時たま急に曲がったりする。ディスタが道を曲がると、後ろから付いて来る足音も、少しして道を曲がる。少年が真っすぐ進み足を止めれば、足音も止まる。ディスタは食べ終わったビスケットの袋をポケットに突っ込むと、振り返った。振り返った先にいたのは、ボロボロの上着を着て楽しそうに笑う大柄な男。 「やっ。君旅行者だろ?」 「そうだけど」 「この辺宿が無いだろ?俺達も仕事が無くて、偶に君みたいな旅行者に家の部屋を貸してるんだ」 「あー。そういうこと。いいね、昨日もそういう感じで借りたし。でも俺今金無いんだよね」 「物々交換でも大丈夫だよ」 「まじ?」 少年がリュックを下ろすと、ああ、と大柄な男がそれを止める。 「家に家族もいるからね。物々交換が何ならいいか、家族で決めたいんだけど、いいかな」 「いいよ」 少年はリュックを背負い直し、こっちだよ。と笑う男の後に付いていく。廃墟と家を崩した跡の通りを進み、細い路地に出る。側溝をちらちらと流れる水の音しかせず、通りに誰も住んでいないような静けさだった。男が平らな屋根の扉を四回叩けば、中から「どうぞ」と返事がする。男もどうぞ、とうるさく音の鳴る扉を開けた。 「おじゃましまーす」 扉を開ければすぐにリビングのようで、中には大柄な男と同じような、ボロボロの服を着た男女二人が、二人共笑顔で少年を招き入れた。女性が椅子を引き、小さな机の正面に立つ男性が茶の入ったカップを置いた。 「どうぞ座って」 「どうも」 ディスタがリュックを前にし、椅子に座ろうとした後ろから、女性がナイフを振り上げた。 ナイフはディスタは座る直前で振り上げたリュックに刺さり、三人が目を丸くした時には、ディスタは椅子を後ろに蹴って女性を下敷きにすると、その上にリュックを投げつけた。 「物々交換、何でもいいって事だよな」 「おい、早く捕まえろ!殺してもいい!」 ディスタはしゃがみ込みながら懐のナイフを取り出すと、机の下に隠れるように視線を切り、正面に立っていた男の太ももを突き刺す。次いで小さな机が片手で持ち上げられ、痛みで体を丸めた男の顔面とぶつかり鈍い音を立てた。落ちたカップが破片と茶を飛ばし、少年の頬を濡らす。 「ガッ……!」 大柄な男が斧を持ち上げてディスタ目掛け走って来ると、ディスタはカップの破片を男の顔へと投げつける。一瞬びくりと目を瞑った男の真下に滑り込んだディスタは、ナイフを持つ腕を真っすぐに振り上げ男の顎を突き刺した。 「っぐァ、?ガハッ……」 男は目を白黒させると、ぐるりと体を回し、斧と共に床に倒れた。すぐに血だまりが男の顔を汚し、鉄の臭いを放つ。椅子を握り締めた女性はヒッ、と短い悲鳴を上げ、足を引きずり立ち上がろうとする仲間に、早くと目配せをする。 「……」 ディスタは刀身を、真っ赤に染まったナイフの刀身を見つめた。それを一度コートの内側に仕舞うと、それから落ちた斧に手を伸ばし、両手で持ち上げる。壁を這い立ち上がろうとする男の前まで引きずり、痛みでもう何度も床に落ちた体に、斧を振り上げた。 「待っ、待て!待てまて待ってくれ!たのッ、」 ゴン。重たい音が男の言葉を切った。斧は男の肩に突き刺さり、そこから体の中心にかけて斜めに肉を割いた。男は一度大きく血を吹きだすと、ビクビクと痙攣を始める。 「ガッ、ア゛、ああアアあああア!!あ゛?!あ、ッアア゛アアア!!」 少年が手を離すと、斧は勝手に肉を滑り落ち、さらに傷を開きながら床に落ちる。男の叫び声が酷くなり、辺りが赤く染まっていく。 「あ、あああ、ああああああ!」 女が椅子を振り回しながらディスタに向かって走り出した。ディスタはすぐ脇の倒れた机を掴み、同じように両手で振り回すと、椅子を弾き飛ばす。勢いでよろめいた女は手が付いた先で、男の血だまりに手を掬われ倒れ込んだ。真っ赤に濡れた男と自分の手に半狂乱になりながら、涙を零しだした。 「しっ、仕方無かったのよお!!お金もっ、仕事も無くてえっ……!!」 ディスタは懐からもう一度、真っ赤に染まったナイフを取り出す。逆手で持つと、一歩、また一歩と女に歩み寄る。その度に女は悲鳴を上げ、後ろに下がろうとする度に血だまりに手を滑らせる。 「来ないで!来ないでえ!!」 肩が半分になった男が音を立てて倒れた。泡と血を吹くと、それ以上何も言わなくなる。女は顔に爪を立て、来ないで、死にたくない、許してと繰り返し叫んだ。 「来ないで!!許して!」 「……っは、」 「死にたくないの!!来ないでえ!!」 「ハハ、……アハハハッハハッハハハ!!!!」 ディスタはナイフを握り締めると、楽しそうに黄色い瞳を半分に笑い出す。女の叫び声が、狂った笑い声にかき消され、女は思わず息を止め、真っすぐに自分を笑う少年から目が離せなくなった。 「ハハ、ハハハハハハッ!ハーッ……ハハッ……あー……楽し」 「え、……っひ、嫌、来ないでエッ、ッ?!」 ナイフが、女の首に突き刺さる。 「ハッ、は……、あ、……がっ……」 肩を痙攣され、何かを掴むのか両手をわなわなと動かすと、涙と涎と血で顔を汚しながら、女は静かに血だまりの中へと頭を落とした。 ディスタは女の首からナイフを引き抜くと、さらに溢れだす血に、もう一つ笑い声を零す。 「あー……楽し……楽しいな……、……ハハ」
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