羊の群れのリバーシ

2/8
18人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
 都古は家に着くなり恋人である牧原(まきはら)尚也(なおや)に愚痴を零した。 「お疲れさま」  にこやかな笑顔を浮かべた尚也の手には水滴の付いたミネラルウォーターのペットボトルが握られている。都古が愛飲してやまない、海外のメーカーのものだ。都古はそれを受け取り、半分ほどを一気に飲み下した。ペットボトルを勢いよくテーブルに置く。わずかに水滴が散った。  尚也と都古は大学生の頃に付き合い始め、付き合って五年、同棲して三年になる。尚也の方が先に卒業し地元企業に就職した。都古の就職に合わせて同棲を始め、来月には入籍を控えている。 「煽り運転とかする人って、何なんだろうね」  ほんと、腹立つ。呟きながら膝を抱き抱える。 「アンガーマネジメントができない人間なんだなって思うな」  聞き慣れない冷たい声音が響き、都古は訝しげに尚也に視線を向けた。都古の感じた「腹立つ」と尚也の言葉に込められる言葉には乖離があるように思えた。都古としては同意は求めたが意見を求めていた訳ではなく、即座には意図を掴みかねた。その様子を察して、尚也は言葉を重ねる。 「こないだから面倒見てる部下が煽り運転じみた危ない運転しててさ。やめろって言ったら不貞腐れて。車の中って密室みたいなものだから、自分の部屋みたいな感覚になっちゃうんだろうね。自分の部屋でもどうかと思うけど。正直、人間性を疑う。社会的なルールも守れなくて、人としてどうなの? って思っただけだよ」  尚也はよく「人として」「常識的に考えて」「普通」という言葉を多用する。都古はそれが少し苦手だった。人は生まれ持った感性や育った環境によって左右される。「普通」に普遍的なものなどなく、個人差が生じると都古は考えていた。尚也と口論になる度にそう伝えてきたが、反応は変わらなかった。異動と残業が重なったこともあって都古もわざわざ指摘することに疲れてしまっていた。  都古は立ち上がって夕食を準備する尚也を手伝い始めた。嫌なことがあったら早めに就寝するように努めている。早く今日を終わらせてしまおう。そうしたら明日がやってくる。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!