羊の群れのリバーシ

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 周りに誰も居ないことを確認してから、溜め息を吐いて品出しを始める。  昨日の尚也との会話を思い出す。車に乗っている時は自分の部屋にいるように感情が出やすくなってしまう人達。都古もその一人だ。  自分の部屋以外で自分のテリトリーだと思っている場所。都古の場合、運転自体に慣れていないためまだ車はそれに該当しない。大した趣味もなく家と職場の往復を繰り返す以上、必然的に職場がそれに該当する。ただし、一人でいる時に限る。  床に片足をついて新しく入荷したものを後ろに補充していく。賞味期限や消費期限が早く来るものを手前にするのは結果であって目的ではない。目的は鮮度を保つこと。店の都合だけでなく環境に配慮した結果だ。例えば牛乳。同じ値段を払うなら一日でも消費期限が長い方がいいという心理はまだ理解できるが、過去には「私に損をさせる気か」とクレームをつける客もいた。ルールに則って陳列されているものに文句をつけること自体が都古には理解できない。だが都古にはより理解し難く、より許し難い行為がある。  品出しをしようと奥に手を入れると、指先に不快な感触がした。ああまたか、と瞬間的に怒りが湧いてくる。見えづらい下の方の段。本来あるべきではない生鮮食品が放置されていた。一体いつから置かれていたのか。ピッタリと密閉されているはずのパックは液漏れし、下の商品のパッケージをも汚染して売り物にならなくなっていた。  生鮮食品を扱う以上ロスが発生するのはある程度致し方のないことだが、こういった事象に遭遇する度、都古の心のうちにはドス黒い感情が芽生えた。 「ぶっ殺す」  ボソッと、誰にも聞こえない声で呟く。  義務教育の期間、一般的にそうだと思うけれど、強い言葉が好きだった。自身は発展途上で力を持たないが、強い言葉はそれ自体が力を持つと感じていた。本部の研修に行くと「いつまでも学生気分でいるな」とよく言われるが、人生の四分の三近く学生をしていたのだから、そうすぐに抜けるものでもないと思う。口癖にしてもそうだが、急に変えられるようなものではない。  ぶっ殺すと言いながら、本当は自分の預かり知らぬところで死んでくれと願っている。  どう丁寧に言い繕おうと、内心思っていることに変わりはない。人の心はどうこうできるものではない。口に出さないだけ偉い。それが社会人であることだと都古は考えている。  それなのに何故思考を矯正しようとするのか。お客様は神様です。企業理念として掲げるならさぞ崇高なことだろうが、自ら名乗りを上げて利益を掠め取ろうとするなんて祟り神か腐れ神だろう。崇めれば崇めるだけ助長させるだけだ。せめて本部が毅然とした態度をとってくれれば溜飲も下がるが、それも期待できない。  アンガーマネジメント。怒りなんて、制御できなくて当然だ。抱いた怒り自体は消えることはないのだから。他人に迷惑を掛ける行動に出なければ、内心どう考えていたっていいじゃないか。  死ね。心の中でそう呟いた。
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