羊の群れのリバーシ

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 残業を終えて帰宅した都古は訝しんだ。尚也が先に帰っているはずなのに、部屋の電気が消えている。普段なら定時で上がった尚也が晩御飯を作って、ミネラルウォーターを持って出迎えてくれるのに。暗闇の中、電気のボタンを探す。リビングのボタンをつけるとソファに座った尚也の姿が浮かび上がり、思わず声が出た。 「ただいま、どうしたの電気もつけないで」  ゆっくりと振り返った尚也の顔は明らかに憔悴していた。 「ああ、もうそんな時間か。おかえり」  虚な目をした尚也の姿に不安な気持ちが募る。尚也は意を決したように、震える声で告げた。 「都古、俺仕事辞めなきゃいけないかも」 「えっ」  尚也の言葉を飲み込めず何も言えないでいると、尚也が堰を切ったように弱音を漏らし始めた。 「部下が辞めるって言い始めて、理由が俺のパワハラだって言うんだ。俺はパワハラなんかしてないのに。同じ部署の奴もそいつの味方らしくて。自宅謹慎になった。復帰できるかも分からない」  語尾が掠れてくる尚也を抱きしめる。 「そうだったの。落ち着いて。大丈夫だから。お互いに何かあった時のための共働きなんだから。とりあえず今日は寝よう。夜に考え事したって悪い方向に考えちゃうだけだから、ね?」  尚也は小さく頷いた。晩御飯作れなくてごめん、と言う尚也に大丈夫だよ、と答える。子供をあやすように声を掛けるが、尚也は何度もごめんと繰り返した。気にしないで、お風呂入ってくるからもう寝ちゃっていいよ、と告げる。尚也が頷くのを見てバスルームへと向かう。シャワーを浴びながら都古の意識も何か大きな渦に巻き込まれたように、大きなうねりの中にいた。寝室に向かうと、尚也は泥のように眠っていた。よほど気を張っていたのだろう。深く眠る尚也の顔を見つめながら考える。  尚也もきっと、黒い羊にされてしまったんだろう。確かに尚也の口癖は褒められたものではない。部下を持つには相応しくない言動もあっただろう。問題は、これまで誰もそのことを指摘してこなかったことだ。都古は数年に渡ってよくないことだと指摘してきたが、身内ではない人間から指摘されないと自分に非があると認められないのが人間だ。  尚也が仕事に戻れるか分からない。戻ったとして今と同じ待遇では迎え入れられないだろう。尚也が仕事を辞めるなら、余計に辞められないな。マンション買うのも先になるかも。都古だけの収入では、とても住宅ローンを返せそうにない。  都古はほとんど眠れないまま一夜を過ごした。明け方に少し夢を見た。盤上に並べられた羊たちが、白黒を反転させながら勢力を争っている。やがて黒い羊は二匹だけになり、盤の外へと追放された。
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