第二章『形代学園の人々』/第09話 命のトレードオフ

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第二章『形代学園の人々』/第09話 命のトレードオフ

「――あっ、チュロス買いに行かないと」  どれくらい呆然としていただろうか? 夜も更けた午前三時、脩太は、レミーに言付かっていたチュロスを分けてもらいに、(くだん)のバーへ向かうことにした。  もっとも、それが目的というよりも、外を歩きながら気持ちを整理したい、というほうが断然勝っていたのだが。  サイメタルとバイオニックは、そのルーツを同一としながらも、別々の流れで進化しただけあって、「似た技術」ではあるが「異なる概念」とも言えた。  例えば、サイメタルが「人間が電卓を持って計算する姿」だとするならば、バイオニックは「人工知能を備えたコンピュータそのもの」といった具合だ。前者はあくまで「人間が使う道具」だが、後者は「自律した何者か」である。  レミーを見ればわかるように、バイオニックには自我がある――少なくとも、「人間には心があり魂がある」というのと全く区別が付かない。  しかし、バイオニックは、自身の存在に大きな矛盾を孕んでいる。  バイオニックは、サイメタル手術を受けた人間と同じように、イマジネーションで道具を作り出すことは出来るが、自分そのものをうまくイマジネーションすることが出来ないのだ。人間ならば「我思うゆえに我あり」という言葉で上辺だけでも納得する行為が、バイオニックには出来ない。  そのため、バイオニックがフル稼働するためには、観測者として設定された人間によって「観測」され続ける必要があるのだ。  この場合の「観測」とは何か?  それは、観測者の生命エネルギーを注入することだという。  言い換えれば、観測者は自分の余命を削ることで、レミーを観測することが出来る。先ほど脩太が強いショックを受けた数値の一つが「脩太自身の余命」であった。推定値という注釈は付くが、脩太の余命は最大であと六八年だという。  それを知ってからというもの、脩太の思考は同じところをぐるぐると回り続けている。 『余命が六八年ということは、僕は八五歳まで生きるかも知れないということだ。ずいぶんな大往生じゃないか。それならきっと満足して死んでいけるだろう。だからといって、僕の命を削ることでしか、レミーをフル稼働させることが出来ないなんて、あんまりな仕様だ。託されたことを成し遂げるまでに、僕は一体どれだけの余命を削られることになるんだろうか――いや、そもそも六八年という余命で足りるんだろうか? 全ての余命を失ってもまだ道なかばだとしたら、そのとき僕はどんな気持ちで死んでいけばいいのだろう?』  人ではない何者かとして、この世に生を授かったバイオニック。  それを生かすために人の命を奪う、ということに、はたして意義や価値はあるのだろうか? 今の脩太にはわからない。もしかすると是も非もないのかも知れない。  脩太はさらに考えを深めようとしたが、通り二つ向こうの『BARたなごころ』には、あっという間に到着してしまった。  はたして高校生の自分が、正面きって「夜の店」に入っていいものだろうかと思案していると、となりのビルとの隙間でゴミ捨てをしている若い店員らしき姿が目に入った。 「すみません――」と脩太は声をかける。 「はい……あぁ、何だ弾君じゃないか」  そう言って笑った顔には見覚えがある。放課後に声がけしてくれた、クラスメイトの吉田君だった。  脩太の「なぜこんなところに?」という表情を読み取ったのだろう、吉田君は言う。 「この店は僕の実家なんだ。兄弟が四人いて息苦しいから、学園の寮に入れてもらったんだけど、その寮費を稼ぐために裏方の仕事を手伝わせてもらってるのさ」 「どうして裏方なの?」 「ああ、実家とはいえ、高校生の僕がお酒を飲む店に立つのはまずいと、両親は考えているんだろうね。まぁ、自分のペースで作業出来るから、僕にとってもありがたいバイトなんだけど――ところで弾君こそ、こんな夜遅くにどうしたんだい?」 「うん、実は――」  脩太は、レミーという女性に頼まれてチュロスを買いに来たことを告げた。状況がうまく伝わるのか心配だったが、吉田君はすぐに「あぁ、聞いてるよ」と笑う。 「確かにうちのチュロスは自家製で絶品だと思うけど、取り置きでお持ち帰りなんて珍しいなと思ってさ――それにその女性のことを聞いてると、何だか『黒いセーラー服少女』の話を思い出しちゃって……夜中は学園から抜け出して、チュロスを買いに来てるんだとしたら、面白いと思わないかい? アハハハハ」  リアクションに困ったので、とりあえず脩太も笑っておいた。  まさか「そのとおりだ」とは言えなかった。 「ところであの後、大丈夫だった? 千歳佐菜子さんのグループに連れて行かれたみたいだけど」  これもまたリアクションに困り、脩太は「まあまあ楽しかった」という趣旨の返事をするにとどめておいた。 「そうかあ、なら良かった。千歳さんってとっても良い人だろう? もう聞いてるかも知れないけど、彼女も転入生なんだ。四月の年度始めに来たばかりさ。だけどもうすっかり学園に溶け込んでるよね。いきなり副委員長もやってるし」  そうだったのか――だとすれば、それは、曽祖父である弾博士の死から、脩太の学園転入までの流れと無関係ではないのだろう。  脩太が、「大槻先生も新任なの?」と訊ねると、吉田君から「よくわかったねえ」という答えが返ってきた。
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