1 真夜中の「預け物」

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1 真夜中の「預け物」

 宿泊客が寝静まった後、オレはいつものようにカウンターの奥の椅子に座り、明日の計画を練る。  静けさの中で時計の針が時を刻む音だけが室内に響いている。一日のうちでオレが最も心安らげる時間だ。机の上に城下町の地図を広げて念入りに眺め、逃走経路を再確認する。 「ちょっと、預け物をしたいのだが、よろしいかな?」  不意に声をかけられ、オレは飛び上がらんばかりに驚いた。声の主へと振り返る。  カウンターの向こうには黒いローブに身を包んだ爺さんが影のように立っていた。夕方にふらりとやってきた宿泊客の一人だ。  こんな真夜中に「預け物」とはどういうつもりだと内心、むかっ腹が立ったが、反射的にいつもの営業用スマイルを浮かべる。 「ああ、かまいませんよ。貴重品か何かですか?」  オレは机の上の地図をさりげなく裏返して椅子から立ち上がると、カウンター越しに爺さんに応対する。宿泊客の貴重品を預かるのもこの宿屋の主人であるオレの務めだ。 「で、何を預かりましょう?」  見たところ、爺さんは何も持ってはいなかった。  改めて爺さんの顔を繁々と眺めた。頬のそげた皺だらけの青白い顔は生気がなく、まるで死人のようだった。それに反して二つの瞳だけがギラギラと異様なまでの光を放っている。その瞳の奥が赤黒く燃えているように見えるのは目の錯覚だろうか。 「では、これを……」  言いながら爺さんはローブの袖から骨ばった両手を出すと、何かを捧げ持つように胸の前に掲げた。両の掌の上に真っ黒な闇が渦巻き、それは徐々に人の形へと変わる。老人の手の中に昏々と眠り続ける赤ん坊が現れた。  呆気にとられているオレに向かって爺さんが赤ん坊を差し出す。 「我が息子をお主に託したい」  我が息子って……ちょっと何を言っているのかわけがわからない。  見た目は普通の赤ん坊だが、爺さんの手の中からどす黒い闇とともに現れ出た状況から察するに、どう考えても人間の赤ん坊ではないだろう。だいいち、爺さんの息子というよりは孫にしか見えん。  とにかくこの爺さんに関わり合いになるのはヤバいと本能が告げていた。 「えーと、ですね……。貴重品をお預かりすると申しましても、当宿屋と致しましては、さすがにお客様の御子息をお預かりすることは……」  オレは営業用スマイルをキープしつつ、触らぬ神に祟りなしのスタンスで丁重に預かりを拒否する。  爺さんの眉間に深い縦皺が入り、憮然とした表情へと変わった。 「我は魔王であるぞ……この赤子はただ一人残された我が子孫……即ちやがて魔界の王を継ぐべき者……」  オレは思わず鼻で笑った。どこからどう見ても、目の前に立っているしょぼくれた爺さんが魔王だとは到底思えなかったからだ。 「どうやら、ワシが魔王だとは信じられないようだな」  オレの心を見透かして爺さんが静かに微笑む。  オレは素直に頷いてしまった。 「よかろう。ついてくるがよい」  爺さんが鋭い爪の生えた人差し指をあげるとくいっと天井を指す。  次の瞬間、爺さんの体の周りに暗闇の渦が生じたかと思うと、その渦にオレも巻き込まれていた。  
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