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5:腐った世界が牙を剥く
いや、待ってくれ。
まったくもって意味がわからない。
どうしていきなり『お礼もない』とか言って、同性からキスされなきゃいけないんだよ?!
「んっ……!」
おかげで俺は、現在進行形であたまが混乱しまくっていた。
なのに、相手はそれを待ってはくれない。
こちらが無抵抗なのをいいことに、今度はくちびるを割って舌が入ってくる。
「っ??!」
しかもその隙に、腰にしっかりと腕がまわされ、さらにキツく抱きしめられた。
そうすると相手のほうが背が高いだけに、自然と首が上を向く。
片手はあいかわらず手首をつかまれたままだし、もう片方は腕ごと相手に抱き込まれている。
あれ、ひょっとしてこれ……抵抗しようがないんでは??
それにコイツ……めちゃくちゃキスが上手い。
さっきから遠慮なく相手の舌がからめられ、上あごのあたりをなめられたりしているのに反応して、腰から背中にかけてゾクゾクとしたなにかが広がっていく。
それどころか、気を抜けば抵抗するどころか、全身から力が抜けていってしまいそうだった。
見知らぬ男にいきなりキスされるとか、気持ち悪いだけのハズなのに、逆に気持ちよくなりかけている……だと……?!
───そんなの、冗談じゃないっ!!
「~~~っ、ふざけんなっ!!」
バシッ!
全身で相手を押しかえし、腕をふりほどいたいきおいのまま、遠心力を利かせて相手のほっぺたにビンタをカマす。
「おや?私の頬を張るとは、なかなか愉快な子ですね?」
「あ、あやまらないからなっ!」
ほっぺたをおさえつつも、ぺろりと舌なめずりをする相手に必死に虚勢を張る。
そうでもしなきゃ、めちゃくちゃ混乱しているのがバレてしまいそうだったから。
だって、相手はおそらく上級生、場合によっては我が家よりも爵位が上の可能性もあるわけで。
とっさのことでグーパンチにならなかっただけ、まだマシだと思えばいいんだろうか?
とはいえ、ビンタって……そんなヒロインでもあるまいし。
そんな俺の心のゆらぎを知ってか知らずか、相手は泰然とした態度をくずすことはなかった。
「ふふ、そんなに顔を真っ赤にして動揺しちゃって……キミはおとなしそうな顔をして、案外咲かせてみたら大輪の花が開くタイプかもしれませんね?えぇ、楽しみです……」
「────っ!?」
いや、ちがう、今のセリフにおぼえがある!!
そうだ、さっきから、なんとなく知らない人のハズなのにそう思えなかったのは、彼がやはり『星華の刻』に登場するキャラクターだからだ!
そう気づいた瞬間、あたまにのぼっていた血が、スッと下がっていく。
腰まである紫の長髪は優美な縦巻きを描き、大きめのリボンにより後ろでひとつにまとめられている。
長いまつげにふちどられた理知的な瞳は薔薇色で、口もとには常にあでやかな微笑が浮かんでいた。
そんな彼に、ゲームのファンからつけられたあだ名は『エロ・テロリスト』。
つまり、色気がダダもれになっているフェロモン系年上キャラだ。
当然のように、彼のルートはほかの本編攻略キャラとはちがって、ピンク度が増し気味になっていた。
───どうして見た瞬間に気づかなかったんだろう?
今さらなげいても、しょうがないけれど。
だって彼は、うちより爵位が上なんてモンじゃない───彼の名はブレイン・リーパー・スコヴィル。
このゲームの舞台であるスコヴィル王国の第二王子にして、『星華の刻』隠れ攻略キャラのひとりでもあった。
先ほどのセリフは、そのブレインルートに入るときのイベントで、ヒロインを見そめたブレインが、いきなり口づけたあとに口にするものだった。
なんだよそれ、不穏すぎる一致の仕方だろ!?
でもそれ以上に怖かったのは、別のことだった。
「あ……いや、あの……ブレイン殿下……」
どうしよう、うっかり相手がだれかわからなかったからといって、この国の王族にたいしてビンタをカマしてしまうとか。
なんなら不敬罪で投獄されてもおかしくはないし、そのことで我が家に責がおよんだとしてもおかしくはないレベルの話だった。
あぁそうだよ、社畜は権力に弱いんだよ!
ついでに貴族のおぼっちゃんもまた、おなじだった。
爵位なんて超越した先にある、忠誠を誓うべき王族を前にしたら、自然とひれ伏すように幼いころから教育されている。
「おや、さっきまでの威勢はどうしちゃったのかな?私としては、そういう新鮮な対応も嫌いではないんだけどね?」
「いえ、滅相もございません……っ!」
どうしよう、公式でも『腹黒』という設定の彼の笑顔が、恐ろしくてたまらない。
ついでに言えば、身についた習性はそう簡単には変えられないものだ。
伯爵家の次男にすぎない『テイラー』としての自分の常識が、この身を縛る。
おかげで相手の正体に気づいてしまってからは、どうしていいかわからなくなっていた。
「ふぅん?そんなにふるえないでも、いきなり取って食べたりはしないよ?」
そう言いながらも、気がつけば俺は壁際まで追いつめられ、いわゆる壁ドンスタイルで相手の腕のなかへと閉じ込められていた。
絶対それ、ウソだろ!
思わずそうツッコミそうになりながらも、必死に目をそらしてうつむくくらいしかできなくなっていた。
冷や汗が、ドッと背中を落ちていく。
案外、蛇ににらまれたカエルっていうのは、こんな感じなのかもしれないな……。
必死にちがうことをかんがえなければ、ひざがカタカタとふるえてしまいそうだった。
と、そのとき───。
「いやあぁぁぁ!!」
絹を引き裂くような悲鳴が、廊下の奥から聞こえてきた。
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