日本縦断に至るまで

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日本縦断に至るまで

水翔は東京都内の大学に通っていました。 大学一年生の後期から、自転車旅行のサークルに所属します。 部員は二十名ほどでそれほど大きい規模のサークルではありませんでしたが、月に一回程度、関東甲信越を中心に電車で移動して日帰りから二泊三日程度のサイクリングをする集まりです。 木曽福島や奥多摩、秩父、南房総など、夏に涼しく、冬に暖かいところでサイクリングをしました。 年に一回、他大学との合同サイクリングも開催され、活力のあるサークルでした。 このサークルの先輩たちが毎年のように数人、自転車で日本縦断をしているという話を水翔は聞きます。 また、以前から自転車で日本縦断をやってみたいという思いが水翔にはありました。 そのため、大学二年生の夏休みに自転車で日本縦断をすることを決意します。 日本縦断を経験した先輩からは、達成する日数の短さやスピードの速さに重点をおくと、楽しめなくなるという話を聞きます。 おそらく、一生に一度の体験です。 そのため、ときに観光をしたり、風景を楽しむことも大切だとアドバイスを受けました。 他の部員の参加者を確認したところ、日本語が流暢(りゅうちょう)な留学生のジョンと一緒に日本縦断をすることとなります。 水翔が使用した自転車はクロスバイクという一般的な旅行用の自転車で舗装路、ダートともに走れるものです。 今では死語となっていますが、正確には当時のランドナーに近い自転車でした。 その自転車は、電動自転車で有名なパナソニック製、セミオーダーのものでした。 フレーム、ハンドルなどを数タイプの大きさから自分の体のサイズに合うように選択し、それらを組み上げて一台の自転車が出来上がります。 特にハンドルは、ドロップハンドルという競技用の自転車に取り付けられているような、独特の形をしたものを装備しました。 これにより、スピードを上げるときは前傾姿勢、速度を維持するときは体力を温存する姿勢をとることができ、とても機能的で便利でした。 この自転車は、以前に使っていた自転車よりも格段に走りやすく、疲れにくかったところが長所です。 自転車のギヤは、二十一段変速です。舗装路で私道でなければ、ほぼ全ての坂をのぼることができました。 自転車のほかには、テントや寝袋、寝るときに地面に敷くマット、オートバイ用のツーリング地図、着替えの服、工具類、スペアのタイヤチューブ、自転車のフレームに取り付けられる水筒、速度計などを準備します。 ハンドルの前やタイヤの両サイド、リアキャリアの上に専用のバッグなどを装備して、荷物を積めるようにしました。 準備は整い、七月三十一日に羽田空港から北海道の稚内(わっかない)空港へ旅立ちます。 自転車は解体して輪行袋という自転車を詰め込む専用の袋に入れて、手荷物カウンターに預けました。 稚内空港で自転車を受け取り、組み立てていざ出発します。 数ヶ月ほど前から使用していた自転車のため、手間取ることなく自転車を組み上げることが出来ました。 北海道から鹿児島までの長い旅は、こうして始まります。
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