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第七章
「……ごめん。ちょっと外の空気吸ってくる」
「え、あ……ま、待って翔兄!」
バタンと玄関が閉まる。咄嗟に伸ばした手は何にも触れることなく宙に漂って。
颯太は目の前が真っ暗になった。
「……どう、しよう……」
翔兄を、傷つけた。
『翔兄には関係ない!』
自分が言い放った言葉が返ってくる。
関係ない、と言ってしまった時の翔の顔が忘れられなくて。
颯太はふらふらと床に座り込んだ。
どうしよう、と。頭の中ではそればかりがぐるぐるとループしている。
傷つけた。どうしよう。俺が。
「まったく……何をしているんですか」
ビクッと肩を弾ませる。
顔を上げた颯太の視界に映ったのは、呆れた様子のミコトだった。
「ミコト……」
「人間は本当に馬鹿ですね」
何も言えなかった。
黙り込む颯太にミコトは面倒くさそうにため息をついた。
「はあ……なんでそこまでするんです?」
「え?」
「翔のために。何でそこまでするんです?」
「それは……」
そんなことを聞かれるとは思っていなかった颯太は、戸惑ったように瞳を揺らした。
「……だって……」
「だって?」
「……家族だもん」
家族だから。
「無理してほしくないし、笑っててほしい。皆で幸せじゃないと意味ないんだ。翔兄だけが無理してるなんて、そんなの幸せじゃない。俺は家族皆で幸せになりたい」
だからこそ。
「翔兄に頼ってもらいたい。悩みは誰かに話せば楽になるって言うから。半分じゃなくてもいいから、俺は翔兄の思いを持ちたい」
それなのにと俯く。
翔兄は相談どころか文句一つ溢さない。
狭い視界の外で、ミコトが立ち上がる気配がした。つられたように視線を上げて。
「ミコトに言うよりも翔に言った方が早いと思いますけどねー」
ふいと気まずそうに颯太は目を逸らした。
「……言える訳、ないじゃん」
「どうしてです?」
「こんなこと言い出したら……迷惑かもしれないじゃんか……」
大きなため息をつかれビクッとする。
「もう。面倒くさいですねー。ミコトにはほんと理解できません」
そのまま玄関の方へ歩いていったミコトの背に向けて颯太は慌てて声をかけた。
「ちょっと待って、どこに……」
「翔を探しにいくんですよ。ミコトの主人ですからね」
ミコトはあっさりとしていた。
チラッと颯太を振り返って。
「ミコトが連れてきますから。ここで待っていればいいですよ」
本日何度目かの玄関の閉まる音。
取り残された颯太はふるりと身震いをした。
時間の流れがとてつもなく遅く感じて不安が増してくる。
……このまま、翔兄が帰ってこなかったら……?
颯太は自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
そんなわけないと否定しようとしても、一度浮かんでしまった考えはなかなか消えてはくれなくて。
だってわからないじゃないか。
日常が崩れていくのなんてあっという間なんだから。いつ壊れてもおかしくない。
母さんと同じように。
もう二度と会えなくなったら?
「嫌だ……」
そんなの嫌だ。
『颯太』
名前を呼んでくれるのが嬉しかった。
くしゃっと頭を撫でてくれるのが嬉しかった。
全部全部、自分のことを大切に思ってくれているのがわかって嬉しかった。
だから。
「嫌だ」
いなくならないで。消えないで。
颯太は立ち上がった。
携帯だけをポケットに突っ込み、震える手で玄関を開けて外へ駆け出す。
会いたかった。
会って謝りたかった。
関係ないなんて嫌だ。
溢れ出てくる涙を袖で乱暴に拭い走る。
「翔兄……どこっ……」
いない。見つからない。
焦りと不安だけがどんどん募っていく。
「翔兄っ……!」
颯太はいっそう強く地面を蹴った。
涙で滲む視界に何か点滅する光が見えた気がしたが、構わずそのまま走り続けて。
キーッという直接頭に響いてくるような音と、遠くから聞こえる誰かの声。
次に颯太が感じたのは、目が眩むほどの眩しさと抗いようのない大きな衝撃だった。
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