第一章

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第一章

 「ちょっとそこの方、願い事はありませんか?」 夕焼けに染まった通学路。誰もいない、車一台通っていない見通しのいい道。遠くでカラスが鳴いているくらいで、他には音もなく静まりかえっている。 そんな中突然響いた声に僕は足を止め、俯けていた顔を上げた。 「はじめまして」 そうニコリと微笑んだのは、僕より背の高い大人の女性――いや、男性? どちらともとれる容姿と体型をしたその人は、黙り込んだままの僕に小首をかしげた。 「あれ、もしかして驚かせちゃいました?」 「……」 だれ、この人。 僕は一歩足を引いた。 馴れ馴れしくしてくるけれど絶対に初対面。気配もなく近づいてきたのだって怪しい。 いつか見たニュースが脳裏に浮かぶ。高校生が帰宅途中に誘拐される事件。女子だけじゃなくて男子も狙われたとか。ここら辺ではなかったような気がするけれどメディアの言うことは中途半端だから信用できない。それか犯人が移動してきたか。きっとそうだ。 「あ、決して怪しい者ではありませんよ」 警戒されているのを察したのかその人はのんびりと付け足した。 誰がそんな言葉を信じるというのか。 現在進行形で怪しいわ。 心の中でそう突っ込み、僕は鞄を握る手にぎゅっと力を込めた。 「ただ貴方の……」 「すみません。急いでいるので」 何か言いかけたその人を遮り、さっさと横を通り抜ける。怪しい人に関わっていられるような時間は今の僕にはない。 「あれれ、ちょっと?」 構わず突き進む。 カラスの声はいつの間にか止んでいた。 腕時計に視線を落とし僕は息をつく。こんなに遅くなってしまったのは予定外だった。 早く帰らないと。 その一心で足を前に進め、角を曲がったら。 「ひどいですよ」 「うわっ」 ドンと正面から何かにぶつかり、僕はよろめいた。 いたた、と顔を上げて。 「……え?」 僕はポカンと口を開けた。 「話は最後まで聞いてくださいよー」 泣いちゃいますよ?と目の前でニコニコしているのは、はるか後ろに置いてきたはずの。 「え、な、何で?」 「何でって、貴方が立ち去ってしまったので」 当然のことのように言うその人に戸惑いを隠せない。 何でここに、後ろにいたのに何で前にいるのだろうか。瞬間移動でもしなきゃ無理じゃないか。何なんだこの人…… 僕はじりっと後ずさりした。 「あ、また逃げないでくださいよ?」 「無理。怪しすぎ、無理」 もう恐怖しかない。 「貴方に聞きたいことがあるだけなんです」 その笑顔すらも不気味に見えてくる。でもここで逃げたらきっと同じことの繰り返しになるのだろう。 僕は一定の距離をあけたまま慎重に口を開いた。 「……聞きたいこと?」 「はい」 「じゃあ早くしてよ。時間がないんだ」 もう敬語なんて使う気は起きなかった。 睨み付けるようにそう言えばその人は苦笑した。 「始めに言ったんですけどね」 これは完全にスルーされてるなーと目を細めて。 「それではもう一度――貴方の願いを教えてください」 「……は?」 願い?何を言ってるんだ? 「……それ、答えたとしてどうするんだよ」 「叶えます」 「は……?」 ますます意味がわからない。 「こっちは大切な時間使って聞いてるんだけど。真面目に答えてよ」 「ふざけてるつもりはないのですけど」 「叶えるとか意味わからないこと言ってるじゃないか」 「叶えてあげられるんですよ。ミコトなら」 ミコト、と言いながら自身の胸を得意気にトンと叩く。それを僕は冷めた目で見つめた。 「随分適当なことを言うんだね」 「適当ではないですよ?」 「嘘だ。それで僕が例えば世界滅亡とかを願ったら叶えられないだろ。人間が可能な範囲を超えているものはできやしないんだから、叶えられるなんて適当なことだ」 「うーん、そうですねー。貴方の言っていることは正しいですね、普通なら」 含みのある言い方にいらっとする。 「なに、じゃああんたは普通じゃないとでも言いたいの?」 「はい。ミコトは人間ではありませんから」 「……は?」 何ふざけたことを。 「あ、その顔は信じてませんね?」 「当たり前だよ。誰がそんなこと言われて、はいそうですかって信じると思ってるの?せめてもっとマシな理由考えなよ……」 願いを言えとか自分は人間じゃないとか。ここまでくると怒りを通り越して呆れてくる。僕は引いていた足を戻して時計を見た。 本当にそろそろ帰りたい。 「嘘じゃないですよ?」 「あーはいはい」 そうですかと適当に相づちを打てば。 「では証明してあげましょう」 そんな声が聞こえてきて僕は顔を上げた。 「……え?」 ミコトと名乗っていたその人の体が……縮んでいく。どんどん小さくなっていき、僕の目線よりも随分低くなって止まった。そこには――小学生くらいの子供の姿。 「は?え、は?」 「どうです?これで信じられますか?」 「え、いやいや、ちょっ、え?」 子供はさっきまで目の前にいた大人と全く同じ声で話し出して。僕の頭の中は大混乱中。 どういうこと? 「だから、ミコトは人間じゃないんですよ」 「はあ……?」 そんな訳がない。ふざけるなよ。 そう言いたくても、体が突然縮んでいくのをこの目ではっきりと見てしまった。そうだ、人間にはできるはずがない。そうでないと今起きた現象の説明がつかない。でも、人間じゃないなんてことあるわけが…… 「あーもういいや」 ぐるぐると回る思考に僕は首を振った。 考えすぎて何だか頭が痛くなってきた。 「あ、信じてくれました?」 「知らない」 「ええっ、ここまでしたのにですか?」 「興味ないしどうでもいいや」 「そんなぁ、ひどいですよー。ミコト、せっかく力使ったのに」 「人外みたいなこと言わないでもらえる?」 「だから人間じゃないんですってー」 大人の姿に戻った自称人外が頬を膨らませる。 せめて子供の姿でやれ。可愛くも何ともない。 「まあこの際、そのままでもいいですよ。さあ、願い事をミコトに教えてください」 「ない」 「……あれれ?」 キョトンとする目に僕は軽く肩をすくめた。 「だから、ない」 少しの沈黙。 「……一つもないんですか?」 「うん」 「願いですよ?何でもいいですよ?遠慮しなくていいんですよ?」 「じゃあ早く帰りたい」 そういうことじゃないです!と騒ぐ声に僕は耳を塞いだ。 「何でですか?何でないんですか!」 「何でって言われても……僕自分で叶える派だし」 「……かっこいいこと言いますね」 「ふざけてるなら帰る」 「わっ、ふざけてないです。帰らないでください!」 僕はため息をついた。 まだ何かあるのか。 「願いがない……そんなこと……予定外です……」 「僕もこんな変人に会うなんて予定外だよ」 「どうすれば……いやでも、せっかく見つけて……」 何やらブツブツと一人で呟いている。今は完全に不審者だ。これ待っていないとダメなのかな。 「……よし、決めました!」 しばらくして勢いよく顔を上げたそいつは僕にニコッと微笑んだ。 「帰りましょう」 「帰る?……ああ、帰っていいってこと?」 「はい」 いいんだ。何だったんだ。 「あーじゃあそういうことで」 いいって言われたんだし。 僕は鞄をかけ直して歩き出した――。 「……って、あのさ」 「はい」 「何で僕の鞄に入ってるわけ?」 いつのまにかポケットに入っていた白猫のぬいぐるみ。それをぎゅっと握って睨み付ける。 「もちろん、願いを聞くためですよ」 「僕ないって言ったよね?」 「これから見つけてもらうんです」 「はあ?」 名案と言わんばかりの猫。ぬいぐるみになってるなら顔を変えるなよ。というかそんなこと勝手に決められても困る。 「という訳でよろしくお願いしますね」 「……」 「そんな露骨に嫌な顔しないでくださいよ」 出ていく気はさらさらないらしい。無理やり捨てていこうとしても戻ってきそうな勢いだ。 はあっと僕は息をつく。 これは面倒くさいことになった。 「もう知らない……勝手にしなよ」 「ありがとうございます」 そんな僕とは対称的に、ぬいぐるみはふわりと笑った。
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