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雪平家の敷地を跨いだ途端、私の中で「ああ、遅かったか」という感情が襲った。
雪に沈んだ庭先の向こう側。開け放たれた障子の奥で、家人たちが慌ただしく行き来を繰り返しているのが見える。
そんな騒然とした家中とは対照的に、庭は静止しているかのようだった。
池には薄氷が張られ、彩りを添えるように植わっている松は雪を背負っている。雪は降っておらず、昨晩の名残がそのまま刻を止めているかのようだった。
届いたばかりの手紙を強く握ったところで、「西堂さん」と呼ばれ、私は意識をそちらに向けた。
荒い息づかいでこちらに向かってきた着物の男は、雪平家の次男である孝光君であった。
「兄が……兄がいなくなったんです」
私の着物の襟を掴むなり、必死の形相でそう口にした。
普段は聡明で物静かな印象の彼が、こんなにも取り乱した姿に、私は呆気にとられる。
それと同時に、やはり君が言っていたことは間違いじゃないかと、消えた男を責める心持ちがしていた。
「もしかして……貴方は、何か知っているのでは?」
私の微妙な表情に気づいたのか、孝光君は怜悧な目を見開いた。
「教えてください。兄はどこに行かれたのですか?」
私は逡巡の末、白い息と共にゆっくりと吐き出す。
「彼はね。影女に魅入られたのだよ」
唖然とする孝光君に私は、この三ヶ月程の出来事を訥々と語ったのであった。
まだ夏の気配が残る初秋。
生暖かい風が寝床で身体を起こしている宗清と、傍にいる私の所まで届いていた。
「夜な夜なね、あの障子の向こう側に、女が現れるんだよ」
そう口にするなり、宗清は力ない腕を上げ指を指す。
開け放たれている庭先は、白色に包まれ、池の水面が金剛石を散らして
いるかのように瞬いていた。
「怪談話かい? 僕がそういったものを信じない質だってことは、君はよく分かっているはずだが」
私は不機嫌さを顔に出したが、宗清は力なく笑みを浮かべていた。
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