俺は今、火星だよ!

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自分の部屋のデスクに座り、机の上に置いている眼鏡を手に取る。少し大きめのその眼鏡は、先月に買ったばかりのスマートグラスだ。スマートグラスとは、インターネットに接続された眼鏡で、電話やメール、ネット動画の視聴など、スマートフォンとほとんど変わらない機能を持っている。今までスマートフォン派だった俺もデザインに惚れて、ついつい買ってしまったのだ。 スマートグラスをかけると、すぐにレンズにメールボックスの画面が現れる。新着のメールは、なさそうだ。俺はサイドのボタンを押し、天気予報を見る。視界に雨雲レーダーが現れ、時間ごとの雨雲の動きが映し出される。昼から町一帯に大きな雨雲が通過するようだ。買い物は午前中のうちに済ませた方が良いみたいだ。 その時、レンズに着信の通知が届く。部長からだった。俺はもう一度ボタンを押し、電話に出る。 「おはようございます。山下です」 「ああ、おはよう」 部長が明るい声で答える。 俺が働いているのは、あるWEB雑誌を発刊している会社だ。俺はライターとして毎月、色んな記事を書いている。 「実はお願いしたいことがあってな」 口調は変わらなかったが、何かあったのは明らかだった。普段はよほどのことがないと部長から電話なんてかかってこない。おそらくトラブルがあったのだろう。 「十時からのVR会議って、山下も参加できる?」 「十時、ですか」 俺は壁にかかった時計を見る。針は九時五十分を過ぎたところだ。会議までもう十分もない。 「はい、まあ、大丈夫ですけど」 「良かった。実は中根のやつが急に体調を壊したんだよ。それで中根の代わりに会議に出てほしいんだよ」 「えっ、中根がですか」 中根は俺の同期の人間だ。少し太っているが健康体で、病気とは縁のなさそうなやつだ。食べ過ぎでお腹でも壊したのだろうか。 「ま、数合わせみたいなもんで、特に何も言わなくていいから。十時になったら、いつも通りVRでよろしく」 部長はそう言って、電話を切った。 俺は小さくため息をつく。この一ヶ月は父のこともあるので、大きな仕事はしないと部長にお願いしていた。しかし、同期のライターである中根が体調を壊したとなれば、俺が穴埋めしなければいけないのは目に見えてる。 まあ、この時代、メールやオンライン通話を利用すればどこでも働ける。しばらくは楽をしようと思ったが、仕方がない。いつも通り働こう。 俺はスポーツバッグからヘルメット型のVRを取り出す。実家からリモートワークするということで、会社から借りてきたのだ。 VRのヘルメットをかぶると、目の前に会社の会議室が現れた。いや、もっと言うなら、視覚も聴覚も、まるで会議室にいるように感じた。会議室のテーブルには何人かの社員の姿があった。そのほとんが、俺と同じようにVRで参加している人間であり、ホログラムによりその場にいるように見える。他の人達も、ホログラムの俺の姿が見えているはずだ。 三十年ほど前に地球上では、ある感染症が猛威を振るった。数年で感染は終息したが、その間に在宅勤務が主流になり、オンラインテレビ通話やVRの技術が一気に進んだ。遠い場所から、まるでその場にいるように会議に参加できるのだから、人類の進歩には恐れ入る。 「さあ、それでは会議を始めましょう」 部長の一言で、皆が席につき、会議が始まった。週に一回の会議、いつも通り雑誌の記事をどうするかなどを話し合っていた。 会議が進み、中根の話となった。しばらく彼は休むみたいで、その穴埋めについても話されたが、中根の分の仕事は一人の後輩が引き受けることになった。俺に振られるだろうと思っていたので、かなりホッとした。 「最後に、来月号の特集について話し合いたいと思う。一つ提案なんだが、火星の移住について特集をするのはどうだろう」 部長の言葉に、俺の心臓がトクンと跳ねる。火星。すぐに須賀のことが頭に浮かんだ。 「世間でも旬な話題だし、注目を集めるだろうと思う。まあ、一番は実際に火星に行った人に取材するのが良いだろうが、なかなか火星に行った人というのも少ないから難しいかもしれない」 「あっ」 俺は思わず声が漏れてしまった。みんなの目が俺の方に向く。 「どうした。山下。何かあったか」 部長の言葉に、「実は」と俺は話し始める。 「僕の同級生に、今、火星に住んでいるやつがいるんです」 「ほお、それはすごいな」 「僕で良ければ、その同級生に取材しましょうか」 「おお、それなら有り難い。しかし、山下はお父さんのことで忙しいんじゃないか」 「いえ、大丈夫です。父も体調はかなり良くなったので、そんなに忙しくもありませんし」 「そうか。よし。じゃあ、火星についての取材は山下に任せるよ」 あっという間に決まってしまい、俺は少しドギマギする。普段はあんまりこういった場で前に出ないタイプのはずが、こうやって積極的に出て行ったのが自分でも不思議に感じた。ただ、火星の記事を書くことは、とても魅力的なことに思えた。
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