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29日
「年末、帰ってくるなら、飲もうよ」
希美から誘われて、文は市街の居酒屋に向かっていた。
文は、就職して、地元を離れている。帰省するのは、主に年末年始。片道2時間の道のりだから、帰ろうと思えばいつでも帰れる。そんな距離感に安心して、いつのまにか足が遠のいていた。希美は、地元で結婚し、家庭を持っている。今でも連絡を取っている数少ない友人で、去年帰省したときは希美の家に出産祝いを持参して、子どもの顔を見せてもらった。
今年は、母乳も卒業して飲めるようになったから、と一日旦那に子供を預ける日を作って飲みに行こう、と誘ってくれたのだ。
いつのまにか話が大きくなり、連絡先のわかる高3のときのクラスメイト10数人が集まることになった。希美は、顔が広いしマメだから・・・とメッセージを見て微笑んだ。
さやかが交通事故で亡くなった、と連絡をくれたのも希美だった。
さやかも、高3のときのクラスメイトの一人で、文の隠れた嫉妬の対象だった。文が想いを寄せる、伸享と付き合っていたから。
文と伸享は、同じ美術部に所属していた。伸享の書く絵に魅了された文は、いつのまにか伸享自身にも好意を寄せるようになっていた。仲の良い異性の友人、という枠から踏み出すことを躊躇っていたうちに、3年になってしまった。3年では同じクラスになったが、さやかが伸享に告白し、夏休み前にはさらりとカップル成立してしまっていた。
表面上は、伸享を冷やかしていた文は、そんなに簡単に受け入れられるのなら、もっと押していればよかった、と後悔した。けれど、ずっと友人でそばにいられるのならと自分を納得させた。友人関係のまま受験を経て、20歳くらいまでは季節ごとにとっていた連絡や、同窓会も次第になくなり、数年を経て、伸享とさやかの結婚しましたという年賀状を受け取ったのは、25歳の年だった。
このとき、大きなショックを受けたことを今でも覚えている。大学でも、社会人になってからでも、文自身恋人ができた時期もあったし、年相応それなりの交際をしていた。が、伸享が、人のものになってしまった・・・という事実が、文を大きく打ちのめした。そのときに、伸享をこんなにも好きだったのか、忘れられなかったのか、とその存在の大きさを自覚した。
居酒屋の前に、希美が立っていた。
「久しぶり!・・・待たせちゃった?」
文が駆け寄ると、希美は笑顔で迎えてくれた。
「久しぶりだよお・・・。全然、今きたんだけど、まだ誰も来てないから外で待ってたんだ。一緒に入ろ。」
そういって、二人で居酒屋の暖簾をくぐる。
中に入ると、座敷へ通された。
「結局、何人来るの?」
「私が返事もらってるのは8人。で、その先で連絡とって、都合があえば連れてくるとか言ってたから・・・12,3人くらいになるかも」
「顔見てわかるかなあ・・・なんだかんだ、10年ぶりくらいになるじゃん?」
「えっ、10年かあ・・・!もうそんなになるんだね」
座敷の入り口近くに二人で座る。
「酔っぱらう前に、会費徴収しとかないと」
「そうだ、私も先に払うね。5000円だっけ」
そういって財布を開き、五千円札を渡す。
「はい、ありがとう~」
希美は空の封筒をバックから取り出し、文の名前を書いて五千円札を中に入れた。
居酒屋の扉が開いて、話し声がこちらに近づいてくる。
「ここか?」
「ここだよー、久しぶり」
希美が明るく話かける。
「久しぶりだなあー」
「先に会費徴収するよー。」
そんなやり取りをしながら、すこしずつ席が埋まっていく。人の集まる様子をみて、テーブルの上に料理が並べられていく。6人ほどが席についているのを確認して、声をかける。
「じゃあ、飲み物頼みまーす。みんな一旦ビールでいいかな?他のがいい人は言ってー」
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席がほぼ埋まって、2、30分ほど経ったころだろうか。座敷の入り口に掛けられた小さな暖簾が揺れ、ジーンズと紺の靴下をはいた足元が見えた。
「沢村、おせーぞ!」
席の奥から叫ぶ声がする。文の心臓が、どくんと大きく跳ねた。
目線を上げると、伸享が立っている。文は、息をのんだ。涙があふれそうになる。
最後にちゃんと顔を見たのは、もう何年前だったろうか。
「ごめん、遅れた。」
そういって膝をつき、財布をポケットから取り出して、封筒を構えている希美に一万円札を差し出す。
「はい、沢村、と。おつりね」
そのやり取りを黙って見守る。伸享が視線を上げると、目があった。
何か言いかけた伸享は、
「こっちだぞ、沢村」
と奥から声を掛けられ、一瞬だけ文に微笑んで、無言で声のするほうへ向かった。
数年ぶりに見た伸享は、少し頬がこけて、無精ひげを生やしていた。
「沢村が来るとは、思わなかった」
文の耳元で、希美が囁く。
「えっ、なんで・・・」
確かに、同級生の妻を亡くしてはいるが、それから2年、同窓会に顔を出してもおかしくはないと思うが・・・と、不思議そうな文をみて、希美は
「帰り道、話す」
そういって、話題を切り替えた。
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文は、居酒屋を出て、一次会で帰るという希美と二人で帰路についていた。勢いのついた数名は、二次会に繰り出すという。そのグループのなかに、伸享もいた。
「さっきの話、さ・・・」
希美が切り出した。
「ん?」
「沢村の話」
文が伸享のことを想っていることは、誰にも告げていない。文は名前を出されて、何か悟られたのかと思いドキリとする。
「沢村が、今、シングルファーザーなのは、知ってるよね?」
「・・・え??・・・知らない・・・」
「あれ、そっか・・・。結婚してわりとすぐに子どもも産まれたみたいで」
「そうだったんだ・・・」
文は絶句する。結婚したのはハガキで知っていたが、子どもが産まれていたとは。たしかに、小さい子どもがいて、しかもシングルだとしたら、夜の飲み会は出席しずらいだろうなと文は思った。希美は続ける。
「まあ、来るとは思わなかったっていうのは、子持ちっていうもあるんだけど・・・」
希美は、どう話そうか、考えているようだった。
「私は、ずっと地元にいるし、沢村の実家もうちの実家も自営業で・・・今は沢村が家業継いでるけど・・・親同士の仕事の付き合いがあって、私は出席したんだけど・・・告別式。・・・そこで、噂話っていうか・・・話してるのが聞こえちゃったんだよね。」
一旦、言葉を切って、希美は声を落とす。
「さやか、事故にあったとき、会社の男の人が運転する車に乗ってたって・・・」
「・・・会社の人に送ってもらってたとか・・・?」
「そういう話なんだけど、事故にあった場所が、家と会社とは全然別の方向だとか・・・時間も深夜だったとか・・・、いろんな話が聞こえてきて、もしかして・・・なんて」
「そんな・・・」
文は眉をしかめる。
「悪意のある噂だよね。真偽はわからないけど。もし本当なら、沢村も複雑なんじゃないのかなあって・・・。でも、今日出てきたってことは、杞憂だったのかもね」
希美は笑顔を作る。文も胸に広がる不安を隠しながら笑顔を作って頷いた。
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