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31日
大晦日、文は実家で母親がおせち料理を作るのを手伝っていた。
文の母は、煮しめの野菜を単品で煮て、それぞれ微妙に味付けを変えている。れんこんは甘めに、サトイモはあっさり・・・と、家にある鍋を総動員して作る。煮しめ以外にも、田作り、黒豆、きんとん、なます・・・と次々に下処理を進めていく。
家族皆が大好きな数の子は、大きめの箱で買う。前日から何度か塩水を変えながら塩抜きをして、薄皮を剥く。この作業が文は好きで、小さいころから毎年手伝っていた。
「文は・・・仕事は忙しいの」
母が料理する手をとめずに文に尋ねる。
「うん、それなりに・・・。部下もついたし、さあこれから、ってところかな」
「仕事頑張るのもいいけど、体第一にしないと。何事も体が資本よ」
「そうだね」
そう答えて、ふと母のほうを見る。母は、年齢よりも若く見える方だが、それでも、最近は老けたな、と感じることが多くなった。声の張り、ちょっとした所作。シワも、この数年で増えたかもしれない。
母は、28歳で文の兄を、32歳で文を出産している。前の正月に、兄のところに産まれた初孫を子守りしながら、「私に面倒を見させるつもりなら、元気なうちにしてね」とやんわりと催促された。来年はもう、母が兄を出産した年齢になる。ぼんやりとそんなことを考えながら、文は数の子の入ったボールの水を張り直した。
玄関のチャイムが鳴る。
「あ、私でるね。多分、お兄ちゃんでしょ。」
文は、手を拭いて玄関に向かい、ドアの鍵を開ける。
「ただいま」
兄が大きな荷物を手に声を張る。
「おかえり」
文が返すと、台所から母も手を拭きながらでてくる。
「おかえり。寒かったでしょ。」
「こんにちは。お世話になります。」
兄嫁は、少し膨らんだおなかをさすりながら挨拶する。今、二人目を妊娠中だ。両親は、無理はしないように、と話していたようだが、今は安定期だからと家族全員で帰省することにしたらしい。
「いらっしゃい」
「文ちゃん、久しぶり」
甥っ子は、兄嫁の影に隠れている。
「久しぶりに会うから、忘れちゃってる?」
「ほら、文ちゃんだよ。パパの妹」
兄が、荷物を部屋に置いて戻ってくる。
「ほら、靴脱いで、手を洗うよ」
甥っ子の靴と上着を脱がせ、手を取って洗面所へ向かう。すっかり父親の顔をしている。実家にいるときは、食べ終えた食器を運ぶくらいしかしなかったのに・・・と文は内心驚く。
「いいにおいがしてる・・・」
兄嫁が、リビングに入って開口一番に言う。ずっと同じ部屋にいると気づかないが、出汁と煮物のあましょっぱい香りが部屋中に漂っていた。兄嫁も料理が好きなようで、こうやって帰省の時に皆で集まると、一緒に台所に立っていた。
「一日中、出汁とって、煮てるからね」
「おせちの用意は、もうほとんど終わってるから、座ってて。」
母が兄嫁に言う。
「お茶入れるね。お母さん、私たちも、ちょっと休憩しようよ」
「そうね」
母がやかんを火にかける。文が急須にお茶の葉をいれ、湯呑を人数分用意する。兄嫁がやってきて「お茶請けに」と大福の包みを出してくれた。
「予定日、いつだっけ」
「4月14日です。」
「ふふ、お兄ちゃんになるんだね・・・」
リビングで皆で一息つきながら、そんな話になる。文は、兄嫁のおなかと兄の膝の上に座った甥っ子を交互に見つめる。
「やっぱり、大変ですか?子育て・・・」
つい、口について出てしまう。
「ふふ・・・毎日バタバタだよ。目を離すと、想像つかないようなことしてたるもするし・・・。私、もともとそんなに子どもが得意なほうじゃなかったから、不安だったんだけど・・・大変なこともたくさんあるけど、やっぱり無条件にかわいいよね。パパと協力しながらやってるよ。」
兄嫁は笑顔で答えてくれる。
「お兄ちゃん、協力してんの?」
文が疑わしいという目で兄を見ると、兄は本当だというように胸を張って主張する。
「してるさ。朝だって、保育園の荷物準備して、送っていって、家帰ってからは風呂も入れて、寝かしつけることもある。家事だってしてるぞ。一人で全部なんて大変だろう。特に今、妊婦なんだし・・・。」
そういって、兄は兄嫁のお腹に視線を向ける。
「まあ、圧倒的に負担はママのほうが多いだろうから、あんまり大きな顔はできないけど。二人目も産まれるし、もっと俺もいろいろできないとな
・・・と思ってる。」
「下の子が産まれたら、赤ちゃん返りとかするかもしれないしね・・・」
母が甥っ子を優しい目で見つめながらつぶやく。
「お前も、産めばわかるんじゃん。どうなんだよ、いい話ないの」
兄が湯呑を片手に悪態をつく。
「ないでーす。だいたい、結婚したい、って思う相手にもまだ巡り合ってないし」
文はそういって、大福に手を伸ばした。
「こればっかりはご縁だからね。そんなこといって、来年は旦那さん連れてきてるかもしれないし・・・」
おだやかな口調で話しながら兄嫁が微笑む。
縁、か。文は大福を頬張った。文の好きな塩豆大福だ。塩気が、餡の上品な甘さを引き立てている。おいしい、と文は豆大福を嚙み締めた。
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