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2日(1)(※)
ハンカチを受け取るだけだから、玄関先で受け渡しするだけになるかとも思っていたが、伸享は部屋にあげてくれた。今日も湯を沸かし、お茶を入れて、文に進めてくれる。
「相変わらず、コーヒーは苦手なの?」
文はお茶を一口のんで言った。
「うん。・・・飲めなくはないけど、自分では淹れないかな」
そういって、伸享はテーブルの端に置いてあった文のハンカチを差し出した。
「ありがとう」
ハンカチは、洗濯して、アイロンがかけてあった。
「アイロンまで・・・ありがとう」
文はハンカチを手に取る。
「それ。山中先生が、卒業祝いにくれたやつだよね」
「そう。・・・覚えてたんだね。」
「それは、もちろん。一緒に、和柄の意味とか、教えてくれたし・・・」
文は、ハンカチに目を落とす。日本の伝統的な模様である、和柄。波千鳥、七宝、麻の葉、青海波、市松模様。先生がくれた七宝柄は、人の縁やつながりは、七宝と同等の価値があるということを示していて、ハンカチには、「卒業してこれからも、縁がつながっていくように」との願いが込められている、と聞いた。
「一ノ瀬のハンカチ見て、思い出した。・・・なんか、せっかく先生がつないでくれた縁だったのに、長い間粗末にしてたっていうか・・・うまく言えないけど、とにかく、ちゃんと連絡とかしてなくってゴメン」
文は少し微笑み、すっと背筋を伸ばす。
「じゃあ・・・。これからは、マメに連絡してくれる?」
文は伸享の顔を覗き込む。
「・・・うん、あ、・・・うん。」
伸享は、一瞬考えて、返事をした。そして、迷うように次の言葉を口にした。
「あの・・・」
「ん?」
文は湯呑に手を伸ばす。
「この前、帰り際に・・・」
「帰り際に・・・?」
文が冷静に復唱する。
「や、・・・いや、うん」
伸享は言葉を濁す。文は、お茶で喉を潤す。
「・・・今日も、お子さんは実家?」
「うん、今日は、俺の実家。」
それを聞いて、文は湯呑を置いて席を立ち、伸享の隣に座る。ふぅ、と大きく息を吐いた。
「一ノ瀬・・・?」
伸享が文の方を見る。文は自分の動悸を感じながら、伸享を見つめた。
「ずっと、好きだったんだよ。沢村のこと」
「・・・」
伸享は、黙って文を見つめ返した。
「気づかなかった?」
伸享は黙って目をそらし、湯呑に口をつける。
「だから、この前、もう会えないかも、って思ったら、何か覚えててもらえるようなことしたい、って思った。」
伸享の太ももに、両手を添える。
「ハンカチのこと、連絡が来て。うれしかった。また会えるかも、って。でも、・・・迷ってたんだ。・・・もし、ハンカチのこと・・・、先生がくれたものだって、覚えててくれたら・・・」
文は沢村に体を近づける。
「覚えてたら、諦めない、って賭けてた」
文の方に顔を向けた伸享に、ゆっくりと唇を重ねた。
「一ノ瀬・・・」
文は、伸享の首に腕を巻き付け、すがるように抱き着いた。
「沢村・・・」
文は伸享の体に跨り、もう一度、と唇を重ねる。伸享が文の腰を抱える。互いの唇を食むようなキスにかわり、どちらからともなく舌を絡ませる。文は涙をにじませる。もっと、終わりたくない、という気持ちを唇に乗せて、どちらも離れようとしない。文は体が熱を帯びてくるのを感じる。自分の体の下で、伸享のものが大きくなり始めている感触を感じた。うれしくなって体を揺らすと、テーブルにぶつかって湯呑を倒し、テーブルに萌黄色の液体が広がり、少しずつ文のハンカチに染み込んでいく。
「だめ、だ、一ノ瀬・・・」
伸享が唇が離れた隙に、ようやく言葉を発する。
「なんで・・・?今、私もフリーだよ?それに・・・」
文は、自分の下で大きくなっている伸享のものに、自分の体をこすりつけた。
「俺、できない・・・」
文は、伸享の首に縋りついて、体をぴたりと密着させる。
「どうして・・・」
そうして、一番言いたくなかった言葉を吐く。腕に力がこもる。
「・・・そんなに、さやかのことが忘れられないの」
ほんの少しの沈黙のあと、
「・・・俺、・・・そんな聖人君主みたいなやつじゃないよ・・・」
伸享は小さく呟く。そして、落ち着いて、というように文の背中を両手でやさしくぽんぽんと叩く。
「全部、話す。・・・話したい。」
こぼれたお茶を拭いている間、テレビの前に置かれたソファに座るように言われ、文は腰かけて待つ。片づけ終えた伸享がやってきて、文の隣に座った。膝の上に肘をついて、ふっと一息吐いて、話し始めた。
「さやかと付き合いだしたのって、高校3年の夏休み前で・・・。告白されたときは、受験を理由に一度は断ったんだけど、・・・目標達成のために一緒にがんばりたい、って言われて・・・、それなら、って付き合いだしたんだ」
文は、高3の夏に思いを馳せる。
「一緒に勉強したりして・・・お互いの得意科目を教え合ったりしてさ。彼氏彼女って名目で、実情は勉強仲間みたいな・・・。思い返しても、恋愛感情は強くなかったと思う。・・・さやかには、悪いけど」
伸享は文のほうに一度顔を向ける。じっと横顔を見つめていた文と一瞬目が合うが、また逸らしてしまう。
「夏休みに、さやかが・・・。その、やっぱり恋人としてステップアップしたいって言いだして。・・・俺は、邪念がはいると集中できなくなるから、受験が終わるまでは、って。で、進路が決まったときに、約束だったよね、って、卒業式の後、初めてホテルにいって・・・」
伸享が、ちらりと文の方を見る。今度は、文が目をそらした。
「まあ、俺も興味はあったから・・・、でも、緊張したせいか、その日はうまくできなかったんだ。でもさやかは諦めなくて、積極的で・・・で、何度目かでなんとかできたんだけど・・・」
伸享が思い切って吐き出した。
「避妊に失敗してて、さやかが妊娠して」
文は、ゆっくりと視線を伸享のほうへ戻した。伸享は、視線を落として、斜め前を見ている。
「学生でも、結婚して、働いて育てていく、っていう選択肢もあったはずなのに・・・俺はその決断ができなかった。」
文は息をのんだ。
「中絶したの・・・」
「・・・うん・・・」
文も視線を落とした。
「そのあとも、さやかのケアをしなきゃ、って付き合ってたんだけど・・・。俺が、怖くなって。さやかに触れられなくなって・・・。結局、数か月後にさやかから別れを切り出された。」
伸享は、ソファの背に体をもたれかけた。
「・・・正直、ホッとしたよ。」
文は、だまって伸享を見つめた。いたたまれない表情をした伸享は、目を合わせようとしなかった。
「その後、何人か、いい雰囲気になったり、実際付き合ったりしたんだけど・・・また同じことになったらどうしよう、って。学生時代は深い付き合いは出来なかった」
二人とも、無言だった。しばらくして、上体を起こしながら伸享が沈黙を破る。
「こういう奴だよ。幻滅したよな。・・・一ノ瀬が好きって言ってくれたのは、こんな俺じゃないだろ?」
文は、黙って首を横に振る。
「・・・さやかの子どもの父親になる、って言えたのも、沢村のなかに、ずっと後ろめたい気持ちがあったからなんだね。」
「・・・うん。」
「・・・なんか、納得できたよ。」
文は、伸享のほうに向き直した。
「私だって・・・、いろいろ黒いところのある人間だよ・・・?今だって、私が強く迫ったら、沢村は断れないんじゃないか、って思ってるよ」
「・・・っ」
伸享が黙り込む。文は体を近づけながら続ける。
「沢村、ほんとは、私の気持ち、気づいてたでしょう・・・。この前も、今日も、誰も居ない自分の家で二人きりになって・・・。私が何の感情もなく、ただの暇つぶしで来てるなんて、思ってないよね。」
「それは・・・」
文は何か言おうとした伸享に口づける。勢いがあまって、伸享はソファに倒れこむ。文が伸享を押し倒したような体勢で、上から眺める。
「全部、私のせいにしていいよ。自分の意思じゃない、って。・・・恋愛感情なくても、興奮するでしょ・・・?」
そういって、伸享の下腹部に手を這わせる。伸享はびくりと体を揺らす。
「それと同じだと思ってて、かまわないから。」
「そんなふうに・・・」
文は、自らニットのワンピースを脱ぎ、キャミソール姿になって、伸享の胸に手を添え、再び唇を重ねる。
「こんなふうにするのは・・・、沢村だからだよ・・・」
伸享のズボンのボタンをはずし、ファスナーを下ろす。
「ち・・・ょっと、待った」
伸享は、ズボンに手をかけている文の手を強く握った。せつない目をした文が、伸享を見上げる。握った手は熱く、震えている。伸享は、体を起こし、文の体を支えるように抱き起こして、口を開く。
「そんな、悪者になろうと、しないで・・・」
文は目を瞠る。
「さっき・・・誰も居ない家に呼んで、って言ってたよね。・・・確かに、俺は・・・、俺が、一ノ瀬に、何か変えてもらえるかもしれない、って期待してた。」
文の肩に添えた手に、力がこもる。
「昔・・・進路決めるときに、背中押してくれたみたいに・・・、何かきっかけをくれるんじゃないかって・・・」
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